クロスレビュー(年間パスがお得※私は9/30に)

演出家である篠田千明(しのだちはる)さんの『ZOO』(原作:マヌエラ・インファンテ)が、2018年の乌镇戏剧节(Wuzhen Theatre Festival)に招聘された時、私も一緒に乌镇(Wuzhen)に行った。渡航まで半年以上にわたる契約書のやり取りから現地フェスのマネージャーとのコミュニケーション、日本側の技術スタッフと役者のビザ取得や現地での諸々の作業等を、制作スタッフとして担当した。

 

(ちなみに、たまにアート関係で制作的な仕事をしますが、結局は文章を書く、言葉にすることが制作の仕事の大きな意味だと思っている。人と人のコミュニケーションのあいだにあるのは言葉だし、予算や支出積算だって、大きな意味で言えば数字を用いて状態を可視化することとなり、つまりは、お財布状況を精密に言語化することでもある。)

 

篠田さんチーム『ZOO』での乌镇行きの経験における、カルチャーショックならぬ「ウーヂェン(Wuzhen)ショック」みたいなものは、いつかまた日をあらためて書きたいなあと思いながら、もうあれから3年が経とうとしている。

中国では今、リアリティショー形式の番組が大流行しているが、今年のはじめ、この乌镇を舞台にしたリアリティショーも放送されていて、乌镇戏剧节に密接に関わる。乌镇戏剧节常連だったり賞を獲得した若手から、ベテランまで、約8人の舞台役者たちがチームで演劇を行いながら生活費を獲得していくというもの。これについてまもなく全放送回を見終わるので、このレビューを書くついでに『ZOO』in乌镇についても書きたいところ。

 

本題がそれたけれど、先日、その篠田千明さんに紹介してもらい、劇作家の岸井大輔さんとお会いした。(Zoomで。)

 

自己紹介するなり、すぐにこのような面白い企画に御誘いいただき、昨夜1回目の登場を終えたところ。

 

playsand.work

 

メルマガやSNSではちらりと告知したけれど、あらためて。

9月30日は、米光一成さんがゲームの『ミクロマクロ:クライムシティ』、河野聡子さんがマンガの『女の園の星』、そして私山本が音楽アルバムの『There is no music from China』を取り上げ、この3作品を3者+司会・企画の岸井大輔さん、齋藤恵汰さんとで話すことになる。

 

年間パスでは毎月末のクロスレビュー放送を視聴でき、特典回も視聴できる。昨夜私が登場したのは特典回。都度の支払いとなるが、バラでの視聴も可能。

ウェブサイトからステイトメントを引用する。

 

深く広く楽しみたい。けれどコンテンツの沼は深すぎ、ネットは広大で、どうしても自分の慣れ親しんだジャンルばかり楽しんでしまう。そんな人に様々なジャンルを紹介していくオンライン番組です。
毎月、専門の異なる3名のレビュアーが、分野の異なる3つのコンテンツを共有し、3人で語りつくします。
1年で36のコンテンツと様々なレベルのレビューを紹介。新たな作品や表現との出会いこそ、人生を変えていく。そう信じる皆さん是非ご鑑賞ください。

 

コロナ禍で、身体的には特定の人・コミュニティとしか接しなくなっている代わりに、インターネットやSNSなどを経由した非身体的な空間では、専門外や普段接しないコミュニティと気軽に接することができる。錯覚かもしれないが、フットワークが軽くなったような気もする。私が最近中国のリアリティショー番組なんかを、ミーハーだなあと思いながらも見ていることに関しても、中国の動画配信プラットフォームが充実して便利になって、日本からでも気軽に鑑賞できることの証明でもある。中国には物理的には行けないのに、番組を見ていると、今自分は中国で暮らしていた時ぐらい中国語に親しんでいるような気もする。おかげさまで、今は中国の地下音楽だけでなく、映画や現代演劇や、ちょっとエンタメ寄りの情報にも少し親しくなった。でも、分野を超えていろいろ楽しめるようになったからと言って、それが一人だけの閉ざされた空間での楽しみにとどまってしまうのが、ソーシャル・ディスタンスを基本とする状況。今ここが中国であるような錯覚には陥っても、それは閉ざされた空間だからこそ没入できるということの表れでもある。

 

まったく違う分野の3名がそれぞれ3分野からオススメ(あるいはオススメではないけど気になる作品等)を持ってきて、分野を超えてああだこうだ批評を展開できる場。異種格闘戦のようだけれど、共通する何かが見えてくる。そして、人間というもの、どうしても他の場にも何か共通言語を見つけ出したくなってしまうのが本能なのだと思う。この企画、かなり面白いと私は感じています。

 

昨夜は、レビュアーの皆様と年パス購入の方に向けての山本紹介となる特典放送回。一緒に参加してくださった興行研究者の田中里奈さんが、この回のために提案してくださったレビュー作品は劇団四季の『李香蘭』。

劇団四季、実はCATかライオン・キングだったか、どちらだったかをそもそも記憶していないぐらいこれまで興味を持っておらず、劇団四季に限らずミュージカルと縁のなかった私。岸井さんと田中さんの分析を昨夜Zoomを通して聞いているなかで、ハッと気づいた恐ろしいことが一点。私は、脳内で勝手に抗日劇や革命京劇と比較して観てしまっていたようだ(!!!)。私の脳、あらゆるものの標準値が、限りなく中国国内に近づいている……。軍服が登場する舞台を「よくあるもの」として捉えてしまっている自分に、昨夜、気づくことができた。そのうち、私の脳内にはVPNでしかアクセスできないエリアができたりするんじゃないだろうか……。

 

私から提案したレビュー作品であるZoomin' Nightからリリースされた『There is no music from China』は、岸井さん・田中さんには意外と好評だったので、9月30日のクロスレビュー本チャン回では、違う角度の評価も聞けたらいいなあと期待している。また、私の宿題として、「聴覚で受け取った音情報への評価」は可能なのかどうか(アクースマティックとも言えるかもしれないけどちょっと違う気もしている)というところを、もう少し自分なりに詰めて考えておきたい。

 

というわけで、興味のある方はぜひ上記の「クロスレビュー」ウェブサイトへのリンクをクリックしてみてください。

文脈で聴く中国音楽

最近はSpotifyで中国のロックやポップスをたくさん聴くことができて便利でありがたい。中国国内ではSpotifyはブロックされていて使えないらしいが。

 

窦唯や万能青年旅店などは、私のSpotify内で、かなり再生回数が多い。けれども、2011年から東アジアの音楽を調べ始めてつい数年前までは、中国で著名なロック音楽のほとんどに興味が湧かなかった。欧米のポストパンクやシアトルのSUBPOPと音が近いレーベル兵马司(MAYBE MARS)や、摩登天空レーベルの一部の音楽は聴いた瞬間から好きになっていたが、万能青年旅店や、中国ロックの王道である窦唯、中国ロック元祖の崔健を聴いても、「なんだか普通すぎてなあ」という感想だった。このあたりの音楽をよく聴くようになったのは、たった数年前からのことである。

 

当時はまったく好きになれなかった中国の著名なロック音楽を、今Spotifyなどで聴いて「とてつもなくハイレベル」「良い」と思うのは、自分が中国のロック音楽の文脈を数年かけて理解したからだと思う。

 

「アートは文脈が大事だが、音楽は直感で文脈を必要としない」というような言い方を目に耳にしたことがあるけど、音楽こそ、文脈に左右される。その音楽の背景にあるストーリーを理解しなければ、思い入れを抱いたりより深く理解することができないのではないか。アクースマティックに、ランダムに、音楽を楽しめる、理解できる、音楽に没頭し愛聴できる、という人もいるかもしれないが、私においてはそれは不可能である。現に、音楽を商品として販売するレーベルや小売店が、「ポップ」や「キャッチコピー」でしきりに関連する別の音楽家名やジャンル名を表記したがるのも、そういった音楽聴取者の傾向を配慮してのことではないだろうか。

 

80年代生まれの私が持っているポップ・ミュージックの素養は、タワーレコードの輸入盤コーナーや都会に数多くあったジャンル専門レコード店や中古レコード店、そういった媒介となる店舗そのものであり、それらの場は常に「最低限の文化知識として知っておくべきものが洋楽だ」と思わせるようなブランディングと一種のがめつさで、私に洋楽を選び取ることを推し進めてきた。まるでそれを聴くことが、他の人から頭一つ抜きん出る方法で、若者の義務であるかのように。最先端のポップ・ミュージックとは、疑うこともなく、アメリカとイギリスのそれだと思い込んできた。

 

アメリカとイギリスがポップ・ミュージックを世界的にPopularなもの=流行にのし上げ、商品としてのカセットやCDを大量生産し大量廃棄する過程で、それが廃棄物として中国に渡り、中国の都市部で闇に出回り、欧米の様々なビートやアレンジが、音楽演奏を生業としたり音楽を嗜む余裕のあるエリートやインテリのあいだで消化された。そこから生まれたのが中国のロックである。

 

日本ではMTVやレコード店を媒介として、欧米のポップ・ミュージックは日本になだれ込み若者の文化的な欲望を刺激したが、中国では長らくのあいだ海外の情報が閉ざされていた。1970年代末期の改革開放後、慎重な中国共産党政権下の中国では、洪水のように海外情報が押し寄せることはなかった。洞窟の天井から水滴が一滴一滴落ちるのをじっくり待つような速度で、慎重に選ばれた情報だけが民衆の手に与えられた。

 

幸運にも、闇ルートから欧米のポップ・ミュージックを耳にすることができたインテリやエリートは、中国で元々馴染み深いメロディや東洋的なリズムと楽器を用い、欧米からやってきた誠に新しいそのビートやアレンジと、じっくり合成した。中国独特のロックが持つ、どこか民族音楽っぽいイメージの正体はそこにある。ただ、日本で育った我々の主観で考えると「中国の民族音楽っぽい」という印象を持ってしまうが、日本で育った我々は、東洋や自国の独特の旋律、拍子を幼い頃から意識せず、音楽といえば西洋音楽だという認識が固着している。逆説的だが、私たちが西洋音楽にどっぷり浸かっていて非西洋の音楽を知らないからこそ、そういう印象を持ってしまうことができる。

 

私こそまさに、つい数年前まで音楽といって思い浮かべるものはほぼ西洋発祥のものであったし、その私が持ち合わせた感覚から中国のロックを聴くと、耳に馴染まなかった。「かっこいい音楽」の基準は欧米だった。東洋的な旋律にどこか田舎臭さを感じたし、あれだけ「裏でリズムを取れ」と言われてきたのに、いきなり正々堂々と表に重心を置くロック風のビートを聴いても、どうも認められなかったし、認めることはこれまで自分が正しいと思っていたことを否定することになる。

 

長年かけて、中国の歴史や社会状況を知るなかで、中国における西洋音楽受容の歴史も知ることとなった。そこには、西洋から押し付けられた「ゴミ」「廃棄物」としての大量生産ポップ・ミュージックをうまく活用して、自分たちの文化に沿うまったく新しいものを作り上げた当時の音楽家たちの才能や大きな挑戦があった。この文脈を知ってから聴く崔健、窦唯、そして彼らの楽曲を少年時代にたっぷり聴いてきたであろう万能青年旅店。数十年に渡る現代中国の移り変わりを感じさせ、堂々としていて、かつ、とても斬新に聴こえた。

 

たまにSNSやネット検索で、「中国のロックっていまひとつ」という、当時の私と瓜二つの意見を目にすることがある。もし、そのように感じているなら、あとは文脈を追うだけである。崔健のアレンジの華麗さや、窦唯の録音の繊細さ、万能青年旅店の旋律と歌詞がいかに新しく他の追随を許さないものとして完成されているか。

 

まずは、「音楽は感覚で聴く」や「音楽に文脈は不要」というような固定概念を捨て、音楽の裏側にある文脈を楽しむこともまた音楽を理解することとなるのだということを、まだまだ日本で知られない中国ロック音楽から、試してみてほしい。

 

 

 

 

映画レビュー:陳思誠『唐人街探偵 東京MISSION』と柯汶利『共謀家族』

『唐人街探偵 東京MISSION』は映画シリーズ『唐人街探案』の3作目。1作目と2作目についてはここに書いた。

yamamotokanako.hatenablog.com

 

監督は、ロウ・イエ監督『スプリング・フィーバー』で三角関係となる探偵役だった陳思誠。役者と監督の両方を続けていたが、2015年に『唐人街探偵』1作目が大当たりしてからはほぼ監督業に専念している。

以下、ネタバレしまくります。

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東京オリンピック2020開会式についての若干の意見

あまりにも悲しい開会式だった。東京五輪開会式。

芸術や創作の嗜好で言っているのではない。そこに、世界の人に向けて訴えたい日本文化のアピールも、式全体をまとめあげるスケールの大きな物語も存在しなかった。

 

とは言いつつ、家にテレビはないのでYouTubeでライブ動画を探し、台湾かどこかのライブで見ていたら選手入場前で終わってしまい、そこまでしか見ていないのだけれど……。

 

悲しくなり、腹が立ち、Twitterで他の人の開会式への感想や酷評を見ていると、日頃スマホTwitterを見る時間は15分間のみに設定しているのに、何度もそれを更新してしまった。

 

私と音楽や映画、アートの好みが似ている人には、「オルタナティブな我々にとってはオリンピックなんて関係ない」と思う人もいるだろう。でも、これは違う。北野武がなにかの番組で言っていたように、もう海外に恥ずかしくて行けない。海外に行って、比較的オルタナティブな位置にいるアート関係者やクリエイターたちと会ったとして、彼らが「日本の開会式はあれだったけど、こうなってしまった事情と背景にはこういうことがあって」と理解してくれてるとは思わない。日本という国家は、文化芸術をないがしろにしてきたから、あの開会式という結果になったのだ。

もちろん、コロナ禍における文化芸術への支援の薄さと、繋がっている。

 

ところで、きのう珍しくメルマガを発行した。2017年から2018年ごろ、中国留学中に、月一回程度送信するメルマガを発行していた。今は毎月は続けていないが半年か年に1回ほど気まぐれで発行している。そこに、以下のように書いたので転載する。

 

(五輪開会式、途中までしか見てないですが、ここまで日本が「国威発揚」「プロパガンダ」が下手なのか、と、がっくりきました。プロパガンダ国威発揚もしてほしくないという気持ちはありつつも、でも、文化芸術界隈では「文化の祭典でもあるのがオリンピック」というのは常識ですし、得てして文化芸術とは国の威厳に利用されるもの。そして、だからこそ、オルタナティブな動きも意味を持つというもの。五輪開会式は、その国の文化がプレゼンされることが常識であり、日本の文化が何かを、どのような歴史を歩んできたのかを、演出により語らなければならなかった。今後、もし海外の舞台芸術関係者と会う機会があれば、「ダムタイプ岡田利規も生み出した日本が、どうして五輪開会式はアレだったんだ?」と聞かれるかもしれないよな……とか考えちゃいました。加えて、あの開会式を見て「恥ずかしい」と思ったということにより、「私も、まだ日本という国に対して期待していることがあるんだなあ」と、気付きました。)(「Offshoreメールマガジン014」山本佳奈子、2021年7月24日)

 

私が文化行政関連の職に就くようになったのは、2015年ごろ。2014年ごろから、しきりに「東京オリンピックが開催される。オリンピックは文化の祭典でもあるとオリンピック憲章に決められているから、文化プログラムを東京で開催し世界にアピールしなければならない」「ロンドン五輪の際は、文化プログラムが約17万件開催されたから東京は20万件だ」「ロンドン五輪では車椅子にのった障がい者の方などがパフォーマンスを行い、それが好評だった。東京五輪に向けて日本の文化芸術ももっと障がいを持つ方や福祉分野とのコラボレーションが必要だ」とか言われてきた。

それらの機運を引っ張ってきたのは、各地方自治体や国の文化政策にアドバイスできる実績を持った有識者や研究者、シンクタンクの人たちだったのだろうと思う。

この開会式、そういった人たちはどのように見たんだろうか。

 

2015〜2016年ごろは、全国でブリティッシュ・カウンシルによる「評価ワークショップ」がアートマネージャーや各地のアーツカウンシル職員、公立施設職員相手に開かれ、税金を使った文化芸術プロジェクトをどのように評価し効果測定するかといったロジックモデルが日本にも輸入された。このロジックモデルとは、社会的効果(インパクトと呼ぶ)を起こすために、どのような結果を導き出し、その結果を導くためにはどのようなアクションが必要か、といった、「その空間(地域あるいは分野など)が将来どのようになっているべきか」という像をイメージしながら逆算して文化芸術プロジェクトを企画していく手法である。一時期多くの文化関係者や文化政策に関わる人がこのロジックモデルを参照してきたけど、みなさん、あの開会式にどのようなインパクトがあったと考えているだろうか。

 

ひとつの大きな違和感が、あの開会式の後、私の頭に居座っていて気分が晴れない。

私たち下っ端や民間の文化事業者は、我々の文化的なアクションが将来どのような社会づくりに貢献するか、必死で考えているのに、今回トップレベルの演出を見せるべきだった開会式はどうしてあんなことになったのか。

 

オルタナティブにやればそれでいい、という人もいるかもしれない。でも、王道や主流の大きな軸があってこその、オルタナティブである。

 

文化政策に関わる方や、各地方自治体や国の文化政策に意見できる人たちにこそ、あの開会式に対して怒ってほしい。国を代表するパフォーマンスアートとして、あれをプレゼンテーションされてしまうと、私たちは、これからどうやって海外と交流すればいいのか。

 

今噛みしめる、北京五輪の開会式の凄まじさ。演出を担当した張芸謀は、明らかに商業的な映画を撮ることもあるが、多くの作品が文革時代や社会問題を素材にしており、人間の"面子"や人間同士の危うい信頼関係について描いてきており映画検閲ともしょっちゅう戦っている。中国政府に中指を立てる艾未未も、五輪のために建設されたスタジアム鳥の巣を設計した。花火の演出を行った蔡國強も、検閲の面倒な本国より海外のほうがやりやすいと海外に移住し、海外でキャリアを築いたアーティストだ。そんな反骨精神をもつ作家たちが、故郷の文化を世界にどう見せるか、作家としての自身の面子にかけて一肌脱いでいる。

 

youtu.be

 

もし今後も日本で生活していくなら、この国の社会構造を変えるためのアクションを本気で起こしていかないと、まずいだろう。

 

(これからも、極めて不定期にメルマガを発行する予定なので、もし購読を希望する方はその旨をサクッとOffshoreのフォームにお送りください。その場合、電話番号や住所等、メールアドレス以外の情報はダミーで「0000」や空白を入力して、「メルマガ希望」とMessageに書いてお送りください。 https://offshore-mcc.net/contact/ )

 

 

身体の声を聞き観察する/不眠と肩こりとストレッチ

肩こりと背中のこりがひどく、どうしたものか困り果てていて、こんなときはたいていの人はマッサージや鍼灸院に行ったりするのだろうけど、なぜか意地でも行かず、じっと家で自分の身体の声を聞こうと健気に日々試行錯誤をしていたら、理解できたことがいくつかあったので、記しておく。

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映画レビュー:張艾嘉『相亲相爱』/黄渤『一出好戏』

長引く雨。長引く私の背と肩のコリ。そろそろ1週間ぐらい連続で毎日全身風呂に浸かっているが、それでもコリが取れない。鍼に行くか悩みつつも、最近医者にかかりすぎでこれ以上医療費払うのもなあ、と躊躇する。ではせめて自分で少しでも楽に、と、百均で買ってきたテニスボールをゴリゴリと背中にあてて腕を動かしていたりする。夜、寝る前にこれをやり始めると、ゴリゴリがすごくて意識が興奮し始めて、眠れなくなり、不眠ぎみ。肩と背中をゴリゴリすると、なぜか腸が反応して動く。すごいすごい、身体っていったいどうなってるんだろう! と、寝床に入って2時間ぐらいはゴリゴリ(肩・背)、ゴロゴロ(腸)というのをやっている。

しかし本当に毎朝肩と背中のコリにはがっかりするし、いい加減に鍼いくか、と考えていた頃、かかりつけの漢方内科に月一回の診療へ。全身浴を心がけるようにしてから冷えがましになったことや、今肩と背中がコリまくっていることを伝えると、漢方薬が変わった。肩こりや生理痛や瘀血に効く漢方が処方された。診察を受ける前日、私の今の症状にぴったり合うものはこれかな、とあたりをつけていたのが、あたった。飲むとさっそく、2日目から効いてくる。

 

そういう身体の状況で、まだまだ頭が冴えない日々なのだけれど、毎日できるだけ書く・読むを繰り返し、その隙間に中国映画を見ている。今日は、大雨の外のようすにうんざりし、ついついボーッとしてしまい、2本も立て続けに観てしまった。

 

シルヴィア・チャンこと張艾嘉が監督・主演を務めた『相亲相爱』と、黄渤(ファン・ボー)が監督・主演を務めた『一出好戏』。適当に再生ボタンを押してみた映画だったが、図らずも共通点があった。まず、人気俳優がそれぞれ主役・監督を務めているということ、そして微妙な人間関係の経過や揺れがきちんと描かれているということ。また、そういった描写はセリフや動作にしっかり表される。映画というよりは、2時間ドラマを観ている感覚だった。

 

前者『相亲相爱』は、張艾嘉演じる主人公の父は、田舎で女性と結婚したが、のちに家を出て都会で2人目の妻を持った。その2人目の妻との間にうまれた子が、張艾嘉演じる主人公。2人目の妻である、母の遺言では、いまだ田舎に埋葬されている父の遺骨を動かし、同じ墓に入れてほしい、とのこと。その遺言を守ろうとする主人公は、夫(田壮壮が演じる)と娘と田舎へ行き、第一夫人に交渉する。第一夫人は頑なに拒む。血眼で母の遺言を守ろうとする主人公の、神経質さ、気の強さが、張艾嘉のイメージそのまま。親の世代と、娘の世代と、3世代における中国の夫婦、恋愛、家族に対する考え方の違いをあぶり出している。対パートナーや対家族への愛情は、時代によって変化し、生活とのバランスのなかで優先順位が前後する。都市と田舎でもまた、風習や変化の時間感覚が大きく違う。

前半で、田壮壮演じる父親と娘が、ショッピングモール内の書店で待ち合わせし、書店内のカフェでコーヒーを飲む姿は中国の現代にあっても少し前にはなかったものの代表。そして、中国のこういった書店でコーヒーを飲むという行為には、なぜかとっても贅沢な雰囲気がある。中国の書店はたいてい、今どきの台湾発「誠品書店」や代官山発「蔦屋書店」のような内装であるから、ということもあるし、あと、書店で飲むコーヒーはやっぱり高い。日本円にして500〜600円するから、スタバよりほんの少し高めだったりする。そういうコーヒーがごく当たり前の娘と、「君らの時代はいいよな、コーヒー飲みながら本読んで……」と、ぼやく田壮壮。良いシーンだった。

最終的には映画の終了時間に間に合わせるように、登場人物それぞれの愛情と生活のバランスにおける折り合いがつき始める。いかにもなドラマっぽさを除けば、今の中国における世代間の溝がくっきりと見えて、鑑賞後の回想が止まらない作品。台湾出身の張艾嘉が撮っていることで、現代中国(大陸)の急激な発展を客観的に捉えられているのかもしれない。

youtu.be

 

 

続いて黄渤の監督デビュー作『一出好戏』。観光用の水陸両用バスが、地球に落ちた隕石が起こした津波に飲み込まれ、無人島に漂着。全員無事だが、ここから約30名によるサバイバルが始まる。それぞれの本性や魂胆などがむき出しになったり、そのたびに衝突が起こり、島での人間関係や社会に変化が現れたりする。しまいには、誰かが持っていたトランプカードが通貨代わりに用いられ、島で採れた野菜や果物、魚などと交換できるような社会が構築される。良い奴だと見えていた登場人物が、極限を超えて私利私欲に走り豹変してしまうようすや、狂ってしまうようすも描き、繊細な人間の心の移り変わりを見せたようにも見えるが、最終的には、黄渤による黄渤のための黄渤の映画である。主役の黄渤が、紆余曲折しながらもやはり一番良心を忘れず人間らしくあることで物語が収束する。王宝強、张艺兴、舒淇などのスター俳優たちを配しているが、かえって逆に、だからこそエンタメ人間ドラマでしかないという残念さもある。無人島で何もなくてほとほと困っていたはずなのに、後半で小麦を原料とするように見える麺料理が出てくるのは謎。どうみても小麦の栽培ができそうな島ではない。

ストーリーの中で、3人の男性が順番にこの漂着した無人島の中で王座をとる。一人目が王宝強扮した水陸両用バスの運転手兼ガイドで、彼が持っていたものは「技と力」だった。ほとほと困り果てた客たちが、どのように食料や生活に必要なものを島内でまかなうのか。木登りも得意で運動神経がずば抜けてよく、自然のなかでの緊急時の過ごし方を知り、果実やキノコの採集もお手のもの。みるみるうちに力を持ち、まさに王のようにふんぞりかえって、それにより一部で反乱が起こる。

反乱ののちに、次に王座に座ったのは「金」を持ったものだった。社長で富豪の张代表が、島内で食料や生活に必要な物資を交換するためのトランプカードによる独自通貨の流通を始める。

そして最後に王座を奪ったのは、主人公の黄渤だった。彼が無人島で暮らす皆に見せたのは「希望」だった。希望により、それまで派閥争いや喧嘩が絶えなかったこの難民たちが見事に団結し、仲良く暮らしていけるようになった。

黄渤が希望を見せるシーンは、島に随分前に漂着していた沈没船のサーチライトを使って照明の演出もされる。黄渤の後ろから照明の目潰しのようにライトを当てることで、黄渤のほうを見ている人たちは黄渤の表情が見えない代わりにシルエットのみを見る。何もない島で、希望の光が射してきたという演出を自らでやりながら、希望により島内社会をコントロールしようとする。

狡猾であるよりも正直で真面目な者が最後はうまくいく、というようなメッセージが込められていたようにも思う映画だが、このシナリオを、例えば張芸謀が監督したとすれば、もっと人間を人間らしく意地汚く見せて、何人も死ぬだろう。人間の本質に迫るとしたら、黄渤が描いたような「死傷者ゼロ」「勧善懲悪」の世界はあり得ない。そういった意味で、家族で友達どうしで楽しめるエンタメドラマとして見る作品で、映画としては物足りない。

 

youtu.be

 

 雨はまだ止まないし、明日も振り続けるらしい。実のところ、最近の中国映画で動画プラットフォームを介して観れるような有名作には、私が求めるような心奪われる映画が少ないのではないかと感じている。物足りなさのようなものを感じていて、そろそろ、中国映画を観続けるのも飽きてきた。

Offshoreの本サイトのほうでは、音楽レビューを連載すると書いておいて、まったく進めることができていない。明日から心を入れ替えて。音楽レビューにも手をつけ始めることにしたい。

中国の農民工問題と元農民工である俳優・王宝強の人気について

 『唐人街探案』について調べて書いていたときから、このシリーズの主役である王宝強(ワン・バオチャン)の中国における人気と人間像と中国社会の関係が、非常に興味深いことに気づき、勝手に一人で「王宝強レトロスペクティブ」をしている。(要は、王宝強が出演していた映画や出演したテレビ番組などを見まくっている。)

 

 王宝強が出る映画や映像を片っ端から見ていると、もしかして自分は王宝強のファンなのか? と錯覚する瞬間もあった。Offshore立ち上げ10周年にして、私はミーハーな方向に行ってしまうのか……。と、少し悲しくなりかけたのだけれど、この文章を書くために引っ張り出したのは、中国の農民工問題や戸籍問題に関する文献だった。やっぱり自分の興味は、中国の芸能人や俳優のその人物そのものではなく、やはりそれを取り巻く社会ということらしい。

 

 王宝強という俳優は、いまさら私が彼のプロフィールをここでなぞる必要もないほど、中国“商業”映画を知っている人にとっては有名人である。私がこの俳優を彼の主演作『唐人街探案』を観るまで知らなかったのは、中国の“文芸”映画、つまりはアート系映画ばかり観ていて、興行収入が何十億元と大ヒットを飛ばすメインストリームの映画をまったく観ていなかったからである。ウィキペディアの日本語版にも、王宝強のページは存在する。

 

ja.wikipedia.org

 


私が以前書いた『唐人街探案』の記事はこちら。

yamamotokanako.hatenablog.com

 


 とはいえ、日本では中国映画がヒットすることはあまりなく、特に21世紀に入ってから活躍し始めた王宝強については、知らない人が大多数だろう。Wikipediaよりももう少々詳しく、中国語の情報を拾いつつ、彼のこれまでを整理しておく。特筆すべきは、彼は朴訥なキャラクターで、元農民工。農村の貧しい家庭出身ながらも奇跡的な成功を掴んだスター。私が一瞬、王宝強のファンになってしまったのかと錯覚したのは、大衆から同情や共感を呼びやすい彼の経歴に依拠しているような気がするのだ。

 

 王宝強は1984年、河北省邢台市の小さな農村で生まれる。幼少期に観た映画『少林寺』(1982)でジェット・リーに憧れ、8歳の頃、親元を離れ嵩山少林寺に入門。一人っ子ではなく、姉と兄がいる。中国の1980年代生まれでも、農村出身者には兄弟姉妹を持つ者が多い。6年間少林寺で修行し、師匠に「映画に出演する夢を叶えたい」と相談すると「北京に行くのがいい」と勧められ、14歳の頃に北京に一人で出る。北京に出てきたときは、所持金は500元しかなく、月120元の部屋を6人で20元ずつ払い、タコ部屋のような石炭工場の一室に住んでいたという。毎日、中国電影集団公司北京電影制片廠(国営の映画製作会社)の門の前でひたすら待ち、エキストラを含む映画出演の機会を伺った。エキストラとして出演しながらも、無論それだけでは食べられず、また、実家も農業を生業とする家庭のため貧乏で仕送りはできない。映画撮影のない空いている日は、日雇いの建設現場で働いた。
 北京で貧しい暮らしを続け、エキストラ出演しか掴めない生活が3年間続いたあと、16歳のときに映画主演の機会をやっと得た。初の主演は、李扬監督の映画『盲井』(英名:Blind Shaft、2003)での少年役だった。この2011年に放送されたテレビ番組でのインタビューでは、その時のエピソードについても語っている。

 

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 映画『盲井』では、学費が払えず学校に行けなくなったため、自分と妹の学費を工面しに街に出てきたジャージ姿の16歳の少年を、当時同じく16歳だった王宝強が演じた。社会をまだまだ知らない無垢で素朴な少年。父親は出稼ぎ労働者だが、しばらく前から消息が掴めず送金も止まったという。仕方なしに自ら働きに出ることになった少年は、労働者のたまり場で2人の男に誘われ住み込みの炭鉱労働に就くことになる。しかしこの2人の男は、炭鉱に労働者として入り込み、事故を装って仲間を殺し、その仲間の死に対する炭鉱主からの賠償金をせしめることで稼いでいる男たちだった。80名以上もの炭鉱労働者を殺した容疑者が捕まったという衝撃的な実話をもとに作られた脚本で、当時の中国では上映禁止となった。しかしながら、台湾の金馬奨では高い評価を得て、王宝強は新人俳優賞を受賞した。


 作品は、ベルリン国際映画祭でも銀熊賞を獲得しており、無論、素晴らしい。炭鉱の闇と、日差しのきつい乾燥した地上を、何度も往復する画面の移り変わりの中で、非道な殺人者たちの動向をたどる。王宝強演じる少年のあどけなさは、映画の中で観客が唯一安心できるよすがとも言える。無垢だった少年は炭鉱で過ごすたった数日間のうちに、人生の苦難や矛盾や葛藤を忙しく体験する。映画の終幕で見せる彼の一皮向けた表情や眼差しの変化は、初主演でありながらも、彼がれっきとした俳優であることを証明していた。


 『盲井』を観た映画監督・馮小剛(フォン・シャオガン)は、アンディ・ラウを主演に迎えた『イノセントワールド』(2004)において、物語のキーとなる田舎の少年役として王宝強を抜擢。こちらは中国国内でももちろん上映され、大ヒットした。この映画でも王宝強の演技は高く評価され、ついに中国国内でも有名な俳優となった。


 その後も、テレビドラマで純真でドジな軍の新入隊員を演じたりしながら、彼はますます人気を得ていく。2008年にはフォーブス中国版の有名人ランキング38位にランクインし、現在まで毎年100位以内にランキングされている。「農民出身」「貧困でも負けずに努力する」「夢を諦めない」「真面目であること」「家族を愛する」といった、スクリーンのなかで演じる役柄の人物像と、実際の王宝強の人物像は、うまくリンクしており、かつ、混同さえされている。


 先に挙げたテレビ番組では、映画の出演料が出たらすぐにその大部分を実家に送っていたことも明かしている。家族への感謝を忘れず、母と父、兄姉を敬い、そして自身の妻と子供を大事にする。農村の家族を想いながらも一人北京に出て夢を追い、貧しくても踏ん張り、夢を諦めず努力し続けることで掴んだ映画スターの座。演じる役柄と、本人の境界があいまいであることも、絶大な人気を得た理由のひとつだろう。


 さらに、俳優・王宝強の人気が高まった時期に、ちょうど中国では農民工の諸問題が大きな議論を呼んでいたということも、注目に値する。

 

 都市に出稼ぎに来る農民を中国では「農民工」と呼ぶ。文化大革命が終わり改革開放となった1978年頃から農民工が出現し始めた。天安門事件の起こる1989年頃から1990年代中頃には、より多くの農民たちが耕作地を置いて農村を去り、子供の学費や家族の生活費を稼ぐため都市で農業以外の労働に就いた。農業では子供を学校に行かせることもできないほど、収入が低いのだ。農民工の労働内容は、単純作業や建設業、また危険作業等も多く、日本で俗に言う「3K労働」(きつい・汚い・危険)にあたるものが多い。また、農民工は都市にもともと住む都会住民からの差別や蔑視を受けることも少なくない。1990年代中頃以降は第二世代、つまりは第一世代の農民工の子供たちも親子代々の農民工となり都会へ出稼ぎに来るようになった。中卒や高卒、あるいは就学ができなかったり、低学歴の者が多いことも特徴と言える。映画『盲井』で王宝強が演じた役柄も、学業を泣く泣く中断し、出稼ぎに行かざるを得なくなった。

 

 農村出身者が出稼ぎ先の都市部で社会保障や教育を受けるには、中国の独特な戸籍制度上、より多くの金が必要となる。ただでさえ低学歴で、しかも農村出身であるという理由で差別を受け、低賃金労働しか選択肢がなく、それでも自身の生活費を切り詰めながら家族に送金しなければならない農民工たちに、さらに金を支払う余裕はない。では、故郷の戸籍を捨てて農家を辞め、都市に戸籍転入すればいいのではないか、と日本人ならば思ってしまう。しかし、都市人口抑制のため、人の自由な移動を認めないのが中国の戸籍制度だ。21世紀を迎える直前から、都市に定住を望む農村出身者たちの戸籍転入条件の緩和が徐々に行われているようではあるが、やはり条件は厳しい。都市で納税していること、定職に就いていること、合法住宅に居住していること等、農民工の実態になかなか見合うものではなさそうだ。農民工にまつわる様々な問題は30年以上にわたり解決の兆しを見せず長期化し、中国における階級社会を確固たるものに仕立て上げてしまっている。農村と都市で開き続ける貧富の差に加えて、両親がともに出稼ぎに行ってしまった家庭の留守児童の非行や、誘拐被害など、派生して出現した深刻な社会問題が、農民工の周辺に重々しく横たわっている。21世紀に入り、様々な映画監督が都市と農村、格差などを映画のテーマとして描き始めるなかで、王宝強は農村出身者の役を実に多く掴みとり、俳優として成功した。

 

 2008年のリーマン・ショック中国経済にも影響し、非正規雇用である農民工たちの多数が失業した。また、2008年の北京五輪、2010年の上海万博を終えると、北京および上海の建設バブルは落ち着き、ひたすら農村から都会へ仕事を求めて増え続ける農民工を支え切ることができなくなった。問題が表面化し、ついに、中国社会は農民工問題に正面から対峙しなければならなくなった。

 

 リーマン・ショック北京五輪の2008年、元農民工であった王宝強はすでに有名俳優になっていた。そしてこの頃は、「元農民工」あるいは「草根(中国語で庶民の意味)」出身スターとして、彼が大変活躍した年だった。歌手としていくつかの音楽作品を出版しており、その歌詞内容からして、まるで農民工都市戸籍住民のあいだに生じた軋轢や摩擦を少しでも和らげる潤滑油を買ってでたような歌である。


 『有銭没銭回家過年』(タイトルの意味は「お金があってもなくても故郷で新年を迎える」)は、女性歌手・龙梅子のレパートリーだった歌で、お金があってもなくても故郷に帰るんだ、帰りたいんだという、故郷を離れて暮らす者の、故郷を愛する気持ちが歌詞に綴られている。2007年、王宝強が龙梅子と一緒に歌うことで大ヒットした。
 『出門靠朋友』(タイトルの意味は「家を出たら友達を頼ろう」)も、2008年に王宝強が歌った曲だ。実家では両親に頼って暮らしたが、実家を出たからには、両親に頼らずに友達と助け合って生きていこう、友達と一緒に頑張ろう、という地方出身者同士を励まし合う歌詞だった。田舎から出て、北京や上海などの都市で夢を追い求める若者に向けて歌っており、中国における庶民の等身大の生活感を表した。


 さらには同年、中国で毎年春節前夜に生放送されるCCTVの歌番組「春節聯歓晩会」(日本の大晦日に放送される「紅白歌合戦」同様、多くの中国人が家族で鑑賞する番組)では、王宝強は農民工役として寸劇に登場し、加えて、『農民工之歌』を歌った。この年の大晦日の国営放送「春節聯歓晩会」に向けて特別に作詞作曲されたこの歌は、深刻化している様々な農民工にまつわる問題を見据えた中国共産党政府が用意した、一種のキャンペーン・ソングと言えるだろう。YouTubeCCTV公式チャンネルに、当時の映像がアップロードされている。

 

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 ところで、中国で現在活躍する俳優の多くが、芸術学校や各地域の演劇学校(大学にあたる)を卒業しているエリートだ。中国の学歴社会は、日本の比ではない。学歴や文化資本を持たざる者よりも、それらを持つ者のほうが銀幕の世界と距離が近いと言い切っていいいだろう。
 だから、王宝強のキャリアは1980年代生まれの俳優の中ではかなり珍しい。奇跡の成功者なのだ。学歴も低く、農村出身で貧しかった彼のような元農民工が、俳優に挑戦し、いくつかの国際的な映画祭でその演技を認められ、いまや国民的スターとなった。そんな現象が稀有だからこそ、多くのネット民や国民の注目をさらに集め、同じ「草根」たちの共感を集めて、感動を呼ぶ。


 低学歴でも、田舎の貧しい農民の出身でも、努力を続け、夢を諦めず、家族を愛し、誠実で真面目であればチャンスがつかめる。映画や演技を学ぶ大学や大学院に行けずとも、文化資本に左右されず、自分の力で成功を勝ち取れる。王宝強の強烈な個人史は、まるで何かのスローガンのようで力強く、模範的な人物像そのものである。


 ちなみに、建国から文革時代までの中華人民共和国では、ブルジョワや知識階級が批判対象となり、まさしく王宝強の両親のような貧しい農民がもっとも尊ばれた。しかし改革開放後の中国は、社会主義政治のもとに資本主義経済がある。改革開放後、瞬く間に階級社会となり、学歴や文化資本はもちろん、戸籍も階級を左右する。都市戸籍を持つ者と農村戸籍を持つ者の格差は、努力で乗り越えられるものではなく、どちらに生まれるかという運命にすぎない。運命が、その者の将来に大きく影響を与える。もちろん都市戸籍のほうが、今の中国社会では何倍も恵まれている。

 

 彼の出演したバラエティ番組や他のインタビュー番組にも目を通してみる。彼の口語発音は、他の俳優らと比べると明らかに都会っぽくない発音で、滑舌は良くなく、北京なまりとも少し違う独特の舌の巻き方をする。(しかしながら、彼のその田舎っぽい発音が農民工役や農村出身者役の演技で発揮されると、抜群に現実味を帯びる。幼少の頃から綺麗な標準発音を叩き込まれてきた都会出身のインテリに、易々と習得できる発音ではないだろう。)ゲームやお笑い系のバラエティ番組であっても、見せる顔や発言は極めて実直。朴訥で、他の同世代の大卒エリート俳優らに比べれば、台本なしの会話ではユーモア・センスに乏しいとも言えるだろう。

 

 では王宝強は、中国の農民工や草根にとって、目標とすべき憧れの人物となったのだろうか。中国の農民工に関しては、様々な口述資料やインタビュー、調査報告がある。それらを読んでいくと、多くの農民工が、都市戸籍を持つ者や都市戸籍の雇用主に蔑視されたり差別を受けたりしながらも、日々あくせくと働いている。低学歴や教養のなさにより、トラブルに巻き込まれたり騙されたりしている事例も多々見られる。被害者になる者もいれば、農民工どうしで騙し合う詐欺事件や、弱者を狙った犯罪に手を染めてしまうような実例も多々ある。賈樟柯ジャ・ジャンクー)がこれまで幾度も描いてきた映画の中の農民工も、多くが悲劇の渦中にあるが、現実は、スクリーンよりもいっそう厳しい。ちなみに、王宝強も同監督の作品『罪のてざわり』(2013)で、銃を手に入れたことをきっかけに出稼ぎ労働をやめ、強盗殺人を繰り返しながら金を農村の家族に送る農民工を演じていた。

 農民工でも現実の王宝強のように努力し夢を信じていれば誰もが報われる社会なのであれば、そもそも、農民工が社会問題となっておらず、これほど農民工を描いた映画も撮られなかっただろう。やはり王宝強のケースは、奇跡なのである。

 

 それでも王宝強は、元農民工であるという経歴を背負い『農民工之歌』を春節前夜に歌い、政府や脱貧困慈善団体のキャンペーンにも協力し、俳優として、故郷河北省での中国人民政治協商会議における文化部門委員も務める。インタビューでは「貧しかった頃、努力し続け、決して諦めなかった」ことを頻繁に話す。映画をつくったり観たりするようなエリートの人々が普段なかなか接することのないであろう農民工を、そのまま演じきることができた王宝強は、農民工という暗い存在のイメージを向上させることに寄与したかもしれないし、世の中には、彼のイメージから、農民工への差別や蔑視を考え直した都市住民もいたかもしれない。

 

 けれども、もう一度、スクリーンよりも現実のほうが厳しいことは忘れずにおきたい。そして、王宝強はいまや、農民工でも草根でもなく、セレブとなった。同情と共感を引き寄せる成功物語は、多くの人々の模範となるうえに、感動を与え、消費に値する。ここまで彼のライフヒストリーを書きなぐった私も、彼の俳優という職業以外の部分を消費してしまっているわけでもある。ファンになってしまったのかと錯覚しかけたとき、私は、あまりにもドラマチックな彼の人生を見世物であるかのように感じ取ってしまっていたことに気がついたのである。


 頭を冷やせば誰もが理解できるのだが、中国の実際の農民工たちそれぞれが、努力すれば同じようにセレブになれるなんてことはない。努力しても報われないのが中国の農民工であり、彼らは努力では乗り越えられない戸籍制度に左右されている。残酷な階級制度から生まれた農民工問題が世間で取り沙汰され、多くの映画監督たちも、農民工や農村の貧困問題、都会との格差や階級社会の絶望を描きたがった。王宝強の人生と、中国の時代が、偶然にぴったりと噛み合い、運と追い風によって、彼は映画スターへの道を上り詰めることができたのだ。

 

 王宝強の成功物語に、水をさすわけではない。努力を続け、夢を諦めないことは、立派だと本心で思う。しかし、草根すなわち庶民には、努力し続けられない生死に関わる事情や、諦めなければならないタイミングが容赦なく訪れる。中国で製作された映画に描かれる農民工たちの悲劇やドラマは、社会を反映してはいるが、創作物として何らかの感動や心の揺れを与えるべくして生まれた映像表現である。農民工に関する調査報告や資料に書かれた淡々とした味気のない物語もまた、無名の多数の、草根の現実である。映画と、そういった資料と、交互に見比べ、一歩下がって観察する。貧困や格差から起こる悲劇や、人生のアップダウンを消費のネタにしないためにも、映画の向こう側にある映像化できない事象にも、目を配っておきたいものである。

 

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以下の書籍および文献を参考にしました。