「そして助成金をうまく使う」の意味――ラジオ公開収録イベントに向けて

年末ぐらいからいろんなTODOに追われている。年度末にかけてとても。仕事が多い。おまけに、オフショア第二号の編集、組版と入稿も、この時期に重ねてしまった。

 

忙しかった日々のピークでは、毎日24時か25時までパソコンに向かい、風呂に入って25時か26時に寝る、という日がまる1週間ぐらいは続いたと思う。3月に入った今は、そこまでではないけれど、まだなんとなく気の抜けない日々。さすがに21時には仕事を終わらせるようにはしているが、でも、「この日は丸一日休めるんじゃないか?」と思える日がない。

 

もともとワーカホリックなせいもあるけれど、やるべきことを数えて、それが増えていくように並べるのが好きなのかもしれない。もしかしたら、その中のいくつかの仕事は多少遅れたって誰も文句言わないし許されたりするのかもしれない。また、仕事のひとつひとつをきちんと見ていけば、まったく割に合わなかったり、ほぼ無料で引き受けてしまってたりすることもあるのかもしれない。よくないなと思いつつも、でも、あんまりお金だけで動きたくはない(我々が存在している文化周辺の仕事なんて、一般的な社会で決められた賃金や労務のシステムが合わなさすぎることを、製作あるいは制作側――つまりは資金調達をやる側――にまわればよくわかる)。

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見返したメモより〜face to face と移動の停止

2月は公演制作の仕事がクライマックスで、人生でこんな忙しいことがあったかというぐらい忙しかった。2月はまだ残っているが、私の2月はもう終わった。あとは事務処理の残務を確実につぶしていく。

 

さて、1月2月と忙しかった日々の中でも、歩きながら、飯食いながら、電車で人間ウォッチングしながら、考えたことが多くある。最近は、思慮に耽ったときに「これだ!」と思ったことをとにかくiPhoneアプリのメモに残していっている。打つのが面倒なときは、音声入力を使っている。

 

そのメモを見返すと、その瞬間は「これだ!」と思ったのだろうが今考えると「?」「何を言ってるの?」「当たり前では?」と思ってしまう内容が多い。

 

一部をここに書いておく。解説も添えて。

 

[凡例]

  • メモの内容

(今読み直して思うこと)

 

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メディアをもつこと

リニューアルした『オフショア』に執筆してくださる書き手を募集したとき、ローカルメディア研究者の和田敬さんが手をあげてくださった。和田さんはもともとミニFMを発信していた側であり、小さなメディアの研究をしている。『オフショア』には全5回の連載を掲載予定で、創刊号である第一号には、「台湾における市民による地下メディア実践と民主化との関係――1990 年代の台湾の地下ラジオ運動を軸として」という論考を寄稿してくださった。

和田さんから自己紹介を受けたとき、もし私が「ミニFM」と日本で呼ばれるものが何であるか、またそれを実施するうえで法律上で気をつけることなどがわかっていなければ、和田さんの連載企画にピンときていなかったのかもしれないが、実は、昔デイジョブでミニFMについて調べていたので、それがどれだけ儚いメディアなのか、結構知っている。日本では電波法の都合上、自分で勝手にFM局を立ち上げたとしても、半径30メートルの範囲内にしか電波を飛ばしてはいけないのだ。

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2022年11月、中国の市民によって自発的に歌われた「インターナショナル」

まさか2022年、中国で「インターナショナル」が市民により自発的に歌われるとは思わなかった。

ゼロコロナを目指す中国。ゼロコロナという言葉がもしかしたら数年後、10年後、数十年後にまったく意味が通じない言葉となっていたら不安なので付け足しておくと、この記事執筆時点の中国は、Covid-19感染者が出たエリアはどんどん封鎖されている。

2021年、大都市である武漢市全体がロックダウン=封鎖された記憶がもうはるか昔となってしまった。現在の中国における「封鎖」は、わずかな単位のエリアでのことを指している模様だ。あれから変異を続けてきたウイルスは、ごく小さなエリアで検出されるたびに、権威による管理システムを媒介して、その地に暮らす市井の人々の自由な活動、行動、散歩、買い物、運動に制限をかける。

百度地図を久々に開いてみると、写真のように赤いマークがたくさん着いていた。私の北京の友人が住む朝陽区に近いエリアだ。「疫情高风险」と赤いコロナ印が打たれた場所がたくさんある。「6号楼」「1号楼」など、数字に「号楼」が付く表示は、日本でいう団地やマンションのA棟B棟、あるいは3号棟や12号棟など、団地群やマンション群の一棟の建物を指す。集合住宅に住んでいて、同じ棟に住む住民から感染者が出たら封鎖、そして毎日のPCR検査(中国では「核酸检测」と呼ばれる)を義務づけられる。それがこの赤いコロナ印「疫情高风险」(=コロナハイリスク)だ。

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死んだ犬のこと

以前ここにも書いた犬、私が人生で初めて友達になれたと思った犬は、2022年6月の終わりごろに死んでしまった。あっけなかった。どうして飼い主でもないのに私がよくこの犬の面倒を見に行っていたかというと、つまりは、飼い主が留守にせざるを得なかったからで、私が犬を見に行くときは、実はいつも犬の体調が悪かった。下痢。嘔吐。バッチリ健康なんてときがなく、動物病院に連れて行くのも、もう慣れていた。死んだときの犬は、いつものように下痢して嘔吐していたらしく、そして病院でいつものように注射を打って、今度は回復せずにそのまま逝ってしまったとのこと。

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カンフー映画と肉体と犬肉

もう数ヶ月まえのことだけれど、ブルース・リーの映画を初めて見た。『ドラゴン怒りの鉄拳』。1972年の映画。

肉体的な映画に全く興味がなかったのでこのままいけばブルース・リーを一本も見ずに老人になるところだったが、見ておかなければならないと思った理由はレオ・チン著『反日―東アジアにおける感情の政治』だった。

 

www.jimbunshoin.co.jp

 

東アジアにおけるポップ・カルチャーの政治性が引き出されていく書籍。ゴジラブルース・リーのストーリーを題材に論じられている章がある。ブルース・リーもあの時代に香港からアメリカに渡り映画スターとして活躍することが政治的でないわけがないなと合点がいく。

『ドラゴン怒りの鉄拳』、一番驚いたシーンは、公園に入ろうとしたブルース・リーがインド系(だっただろうか? うろ覚え)の守衛に拒まれるシーン。

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島根と鳥取たみ、湯梨浜の中国庭園:中国地方旅行レポ02

かなり時間が経ってしまったけれど、以前書いた01に引き続く中国地方旅行レポを書いておく。

yamamotokanako.hatenablog.com

 

中国地方鳥取、山口へのひとり車旅行。上記の埋め込みリンクから読める01は、最後に訪れた山口でのこと。この同日のYCAMイベントでの角田俊也さんのトークもかなり面白かったのだけれど、どう説明していいのかまったくわからないので潔く端折る。角田さんの作品に触れると、音の性質や音そのものを聴くということが、いかに普段注目されていないかを思い知ることとなる。

 

さて、山口に到着する前は、岩国市にいた。夕方18時ごろに着いて、何をするでもなく、東横インにチェックインして泊まっただけだった。やたらアメリカ式英語を話す屈強な白人や黒人が男女問わず多い。東横インが位置する通りにたむろする、アメリカ人と思われる人たち。よくよく考えれば岩国には米軍基地がある。沖縄のパークアベニュー通りみたいだ。その日は土曜の夜で、なるほど街に繰り出す米軍人が多いということか。そうか、じゃあここはコザの週末とも通じるのかも。いやいや、私は車を持ってなかったから週末のコザやパークアベニューなんて行ったことなかったじゃないか。と、岩国と沖縄の共通点を見出せもしないのにぐるぐる考えながら、夕食に、米軍人も訪れているインド料理店へ。インド料理店こそ、グローバリズムの象徴かもしれない。北谷にもインド料理店は多かった。米軍がいれば、インド料理店がある。

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