身体の声を聞き観察する/不眠と肩こりとストレッチ

肩こりと背中のこりがひどく、どうしたものか困り果てていて、こんなときはたいていの人はマッサージや鍼灸院に行ったりするのだろうけど、なぜか意地でも行かず、じっと家で自分の身体の声を聞こうと健気に日々試行錯誤をしていたら、理解できたことがいくつかあったので、記しておく。

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映画レビュー:張艾嘉『相亲相爱』/黄渤『一出好戏』

長引く雨。長引く私の背と肩のコリ。そろそろ1週間ぐらい連続で毎日全身風呂に浸かっているが、それでもコリが取れない。鍼に行くか悩みつつも、最近医者にかかりすぎでこれ以上医療費払うのもなあ、と躊躇する。ではせめて自分で少しでも楽に、と、百均で買ってきたテニスボールをゴリゴリと背中にあてて腕を動かしていたりする。夜、寝る前にこれをやり始めると、ゴリゴリがすごくて意識が興奮し始めて、眠れなくなり、不眠ぎみ。肩と背中をゴリゴリすると、なぜか腸が反応して動く。すごいすごい、身体っていったいどうなってるんだろう! と、寝床に入って2時間ぐらいはゴリゴリ(肩・背)、ゴロゴロ(腸)というのをやっている。

しかし本当に毎朝肩と背中のコリにはがっかりするし、いい加減に鍼いくか、と考えていた頃、かかりつけの漢方内科に月一回の診療へ。全身浴を心がけるようにしてから冷えがましになったことや、今肩と背中がコリまくっていることを伝えると、漢方薬が変わった。肩こりや生理痛や瘀血に効く漢方が処方された。診察を受ける前日、私の今の症状にぴったり合うものはこれかな、とあたりをつけていたのが、あたった。飲むとさっそく、2日目から効いてくる。

 

そういう身体の状況で、まだまだ頭が冴えない日々なのだけれど、毎日できるだけ書く・読むを繰り返し、その隙間に中国映画を見ている。今日は、大雨の外のようすにうんざりし、ついついボーッとしてしまい、2本も立て続けに観てしまった。

 

シルヴィア・チャンこと張艾嘉が監督・主演を務めた『相亲相爱』と、黄渤(ファン・ボー)が監督・主演を務めた『一出好戏』。適当に再生ボタンを押してみた映画だったが、図らずも共通点があった。まず、人気俳優がそれぞれ主役・監督を務めているということ、そして微妙な人間関係の経過や揺れがきちんと描かれているということ。また、そういった描写はセリフや動作にしっかり表される。映画というよりは、2時間ドラマを観ている感覚だった。

 

前者『相亲相爱』は、張艾嘉演じる主人公の父は、田舎で女性と結婚したが、のちに家を出て都会で2人目の妻を持った。その2人目の妻との間にうまれた子が、張艾嘉演じる主人公。2人目の妻である、母の遺言では、いまだ田舎に埋葬されている父の遺骨を動かし、同じ墓に入れてほしい、とのこと。その遺言を守ろうとする主人公は、夫(田壮壮が演じる)と娘と田舎へ行き、第一夫人に交渉する。第一夫人は頑なに拒む。血眼で母の遺言を守ろうとする主人公の、神経質さ、気の強さが、張艾嘉のイメージそのまま。親の世代と、娘の世代と、3世代における中国の夫婦、恋愛、家族に対する考え方の違いをあぶり出している。対パートナーや対家族への愛情は、時代によって変化し、生活とのバランスのなかで優先順位が前後する。都市と田舎でもまた、風習や変化の時間感覚が大きく違う。

前半で、田壮壮演じる父親と娘が、ショッピングモール内の書店で待ち合わせし、書店内のカフェでコーヒーを飲む姿は中国の現代にあっても少し前にはなかったものの代表。そして、中国のこういった書店でコーヒーを飲むという行為には、なぜかとっても贅沢な雰囲気がある。中国の書店はたいてい、今どきの台湾発「誠品書店」や代官山発「蔦屋書店」のような内装であるから、ということもあるし、あと、書店で飲むコーヒーはやっぱり高い。日本円にして500〜600円するから、スタバよりほんの少し高めだったりする。そういうコーヒーがごく当たり前の娘と、「君らの時代はいいよな、コーヒー飲みながら本読んで……」と、ぼやく田壮壮。良いシーンだった。

最終的には映画の終了時間に間に合わせるように、登場人物それぞれの愛情と生活のバランスにおける折り合いがつき始める。いかにもなドラマっぽさを除けば、今の中国における世代間の溝がくっきりと見えて、鑑賞後の回想が止まらない作品。台湾出身の張艾嘉が撮っていることで、現代中国(大陸)の急激な発展を客観的に捉えられているのかもしれない。

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続いて黄渤の監督デビュー作『一出好戏』。観光用の水陸両用バスが、地球に落ちた隕石が起こした津波に飲み込まれ、無人島に漂着。全員無事だが、ここから約30名によるサバイバルが始まる。それぞれの本性や魂胆などがむき出しになったり、そのたびに衝突が起こり、島での人間関係や社会に変化が現れたりする。しまいには、誰かが持っていたトランプカードが通貨代わりに用いられ、島で採れた野菜や果物、魚などと交換できるような社会が構築される。良い奴だと見えていた登場人物が、極限を超えて私利私欲に走り豹変してしまうようすや、狂ってしまうようすも描き、繊細な人間の心の移り変わりを見せたようにも見えるが、最終的には、黄渤による黄渤のための黄渤の映画である。主役の黄渤が、紆余曲折しながらもやはり一番良心を忘れず人間らしくあることで物語が収束する。王宝強、张艺兴、舒淇などのスター俳優たちを配しているが、かえって逆に、だからこそエンタメ人間ドラマでしかないという残念さもある。無人島で何もなくてほとほと困っていたはずなのに、後半で小麦を原料とするように見える麺料理が出てくるのは謎。どうみても小麦の栽培ができそうな島ではない。

ストーリーの中で、3人の男性が順番にこの漂着した無人島の中で王座をとる。一人目が王宝強扮した水陸両用バスの運転手兼ガイドで、彼が持っていたものは「技と力」だった。ほとほと困り果てた客たちが、どのように食料や生活に必要なものを島内でまかなうのか。木登りも得意で運動神経がずば抜けてよく、自然のなかでの緊急時の過ごし方を知り、果実やキノコの採集もお手のもの。みるみるうちに力を持ち、まさに王のようにふんぞりかえって、それにより一部で反乱が起こる。

反乱ののちに、次に王座に座ったのは「金」を持ったものだった。社長で富豪の张代表が、島内で食料や生活に必要な物資を交換するためのトランプカードによる独自通貨の流通を始める。

そして最後に王座を奪ったのは、主人公の黄渤だった。彼が無人島で暮らす皆に見せたのは「希望」だった。希望により、それまで派閥争いや喧嘩が絶えなかったこの難民たちが見事に団結し、仲良く暮らしていけるようになった。

黄渤が希望を見せるシーンは、島に随分前に漂着していた沈没船のサーチライトを使って照明の演出もされる。黄渤の後ろから照明の目潰しのようにライトを当てることで、黄渤のほうを見ている人たちは黄渤の表情が見えない代わりにシルエットのみを見る。何もない島で、希望の光が射してきたという演出を自らでやりながら、希望により島内社会をコントロールしようとする。

狡猾であるよりも正直で真面目な者が最後はうまくいく、というようなメッセージが込められていたようにも思う映画だが、このシナリオを、例えば張芸謀が監督したとすれば、もっと人間を人間らしく意地汚く見せて、何人も死ぬだろう。人間の本質に迫るとしたら、黄渤が描いたような「死傷者ゼロ」「勧善懲悪」の世界はあり得ない。そういった意味で、家族で友達どうしで楽しめるエンタメドラマとして見る作品で、映画としては物足りない。

 

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 雨はまだ止まないし、明日も振り続けるらしい。実のところ、最近の中国映画で動画プラットフォームを介して観れるような有名作には、私が求めるような心奪われる映画が少ないのではないかと感じている。物足りなさのようなものを感じていて、そろそろ、中国映画を観続けるのも飽きてきた。

Offshoreの本サイトのほうでは、音楽レビューを連載すると書いておいて、まったく進めることができていない。明日から心を入れ替えて。音楽レビューにも手をつけ始めることにしたい。

中国の農民工問題と元農民工である俳優・王宝強の人気について

 『唐人街探案』について調べて書いていたときから、このシリーズの主役である王宝強(ワン・バオチャン)の中国における人気と人間像と中国社会の関係が、非常に興味深いことに気づき、勝手に一人で「王宝強レトロスペクティブ」をしている。(要は、王宝強が出演していた映画や出演したテレビ番組などを見まくっている。)

 

 王宝強が出る映画や映像を片っ端から見ていると、もしかして自分は王宝強のファンなのか? と錯覚する瞬間もあった。Offshore立ち上げ10周年にして、私はミーハーな方向に行ってしまうのか……。と、少し悲しくなりかけたのだけれど、この文章を書くために引っ張り出したのは、中国の農民工問題や戸籍問題に関する文献だった。やっぱり自分の興味は、中国の芸能人や俳優のその人物そのものではなく、やはりそれを取り巻く社会ということらしい。

 

 王宝強という俳優は、いまさら私が彼のプロフィールをここでなぞる必要もないほど、中国“商業”映画を知っている人にとっては有名人である。私がこの俳優を彼の主演作『唐人街探案』を観るまで知らなかったのは、中国の“文芸”映画、つまりはアート系映画ばかり観ていて、興行収入が何十億元と大ヒットを飛ばすメインストリームの映画をまったく観ていなかったからである。ウィキペディアの日本語版にも、王宝強のページは存在する。

 

ja.wikipedia.org

 


私が以前書いた『唐人街探案』の記事はこちら。

yamamotokanako.hatenablog.com

 


 とはいえ、日本では中国映画がヒットすることはあまりなく、特に21世紀に入ってから活躍し始めた王宝強については、知らない人が大多数だろう。Wikipediaよりももう少々詳しく、中国語の情報を拾いつつ、彼のこれまでを整理しておく。特筆すべきは、彼は朴訥なキャラクターで、元農民工。農村の貧しい家庭出身ながらも奇跡的な成功を掴んだスター。私が一瞬、王宝強のファンになってしまったのかと錯覚したのは、大衆から同情や共感を呼びやすい彼の経歴に依拠しているような気がするのだ。

 

 王宝強は1984年、河北省邢台市の小さな農村で生まれる。幼少期に観た映画『少林寺』(1982)でジェット・リーに憧れ、8歳の頃、親元を離れ嵩山少林寺に入門。一人っ子ではなく、姉と兄がいる。中国の1980年代生まれでも、農村出身者には兄弟姉妹を持つ者が多い。6年間少林寺で修行し、師匠に「映画に出演する夢を叶えたい」と相談すると「北京に行くのがいい」と勧められ、14歳の頃に北京に一人で出る。北京に出てきたときは、所持金は500元しかなく、月120元の部屋を6人で20元ずつ払い、タコ部屋のような石炭工場の一室に住んでいたという。毎日、中国電影集団公司北京電影制片廠(国営の映画製作会社)の門の前でひたすら待ち、エキストラを含む映画出演の機会を伺った。エキストラとして出演しながらも、無論それだけでは食べられず、また、実家も農業を生業とする家庭のため貧乏で仕送りはできない。映画撮影のない空いている日は、日雇いの建設現場で働いた。
 北京で貧しい暮らしを続け、エキストラ出演しか掴めない生活が3年間続いたあと、16歳のときに映画主演の機会をやっと得た。初の主演は、李扬監督の映画『盲井』(英名:Blind Shaft、2003)での少年役だった。この2011年に放送されたテレビ番組でのインタビューでは、その時のエピソードについても語っている。

 

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 映画『盲井』では、学費が払えず学校に行けなくなったため、自分と妹の学費を工面しに街に出てきたジャージ姿の16歳の少年を、当時同じく16歳だった王宝強が演じた。社会をまだまだ知らない無垢で素朴な少年。父親は出稼ぎ労働者だが、しばらく前から消息が掴めず送金も止まったという。仕方なしに自ら働きに出ることになった少年は、労働者のたまり場で2人の男に誘われ住み込みの炭鉱労働に就くことになる。しかしこの2人の男は、炭鉱に労働者として入り込み、事故を装って仲間を殺し、その仲間の死に対する炭鉱主からの賠償金をせしめることで稼いでいる男たちだった。80名以上もの炭鉱労働者を殺した容疑者が捕まったという衝撃的な実話をもとに作られた脚本で、当時の中国では上映禁止となった。しかしながら、台湾の金馬奨では高い評価を得て、王宝強は新人俳優賞を受賞した。


 作品は、ベルリン国際映画祭でも銀熊賞を獲得しており、無論、素晴らしい。炭鉱の闇と、日差しのきつい乾燥した地上を、何度も往復する画面の移り変わりの中で、非道な殺人者たちの動向をたどる。王宝強演じる少年のあどけなさは、映画の中で観客が唯一安心できるよすがとも言える。無垢だった少年は炭鉱で過ごすたった数日間のうちに、人生の苦難や矛盾や葛藤を忙しく体験する。映画の終幕で見せる彼の一皮向けた表情や眼差しの変化は、初主演でありながらも、彼がれっきとした俳優であることを証明していた。


 『盲井』を観た映画監督・馮小剛(フォン・シャオガン)は、アンディ・ラウを主演に迎えた『イノセントワールド』(2004)において、物語のキーとなる田舎の少年役として王宝強を抜擢。こちらは中国国内でももちろん上映され、大ヒットした。この映画でも王宝強の演技は高く評価され、ついに中国国内でも有名な俳優となった。


 その後も、テレビドラマで純真でドジな軍の新入隊員を演じたりしながら、彼はますます人気を得ていく。2008年にはフォーブス中国版の有名人ランキング38位にランクインし、現在まで毎年100位以内にランキングされている。「農民出身」「貧困でも負けずに努力する」「夢を諦めない」「真面目であること」「家族を愛する」といった、スクリーンのなかで演じる役柄の人物像と、実際の王宝強の人物像は、うまくリンクしており、かつ、混同さえされている。


 先に挙げたテレビ番組では、映画の出演料が出たらすぐにその大部分を実家に送っていたことも明かしている。家族への感謝を忘れず、母と父、兄姉を敬い、そして自身の妻と子供を大事にする。農村の家族を想いながらも一人北京に出て夢を追い、貧しくても踏ん張り、夢を諦めず努力し続けることで掴んだ映画スターの座。演じる役柄と、本人の境界があいまいであることも、絶大な人気を得た理由のひとつだろう。


 さらに、俳優・王宝強の人気が高まった時期に、ちょうど中国では農民工の諸問題が大きな議論を呼んでいたということも、注目に値する。

 

 都市に出稼ぎに来る農民を中国では「農民工」と呼ぶ。文化大革命が終わり改革開放となった1978年頃から農民工が出現し始めた。天安門事件の起こる1989年頃から1990年代中頃には、より多くの農民たちが耕作地を置いて農村を去り、子供の学費や家族の生活費を稼ぐため都市で農業以外の労働に就いた。農業では子供を学校に行かせることもできないほど、収入が低いのだ。農民工の労働内容は、単純作業や建設業、また危険作業等も多く、日本で俗に言う「3K労働」(きつい・汚い・危険)にあたるものが多い。また、農民工は都市にもともと住む都会住民からの差別や蔑視を受けることも少なくない。1990年代中頃以降は第二世代、つまりは第一世代の農民工の子供たちも親子代々の農民工となり都会へ出稼ぎに来るようになった。中卒や高卒、あるいは就学ができなかったり、低学歴の者が多いことも特徴と言える。映画『盲井』で王宝強が演じた役柄も、学業を泣く泣く中断し、出稼ぎに行かざるを得なくなった。

 

 農村出身者が出稼ぎ先の都市部で社会保障や教育を受けるには、中国の独特な戸籍制度上、より多くの金が必要となる。ただでさえ低学歴で、しかも農村出身であるという理由で差別を受け、低賃金労働しか選択肢がなく、それでも自身の生活費を切り詰めながら家族に送金しなければならない農民工たちに、さらに金を支払う余裕はない。では、故郷の戸籍を捨てて農家を辞め、都市に戸籍転入すればいいのではないか、と日本人ならば思ってしまう。しかし、都市人口抑制のため、人の自由な移動を認めないのが中国の戸籍制度だ。21世紀を迎える直前から、都市に定住を望む農村出身者たちの戸籍転入条件の緩和が徐々に行われているようではあるが、やはり条件は厳しい。都市で納税していること、定職に就いていること、合法住宅に居住していること等、農民工の実態になかなか見合うものではなさそうだ。農民工にまつわる様々な問題は30年以上にわたり解決の兆しを見せず長期化し、中国における階級社会を確固たるものに仕立て上げてしまっている。農村と都市で開き続ける貧富の差に加えて、両親がともに出稼ぎに行ってしまった家庭の留守児童の非行や、誘拐被害など、派生して出現した深刻な社会問題が、農民工の周辺に重々しく横たわっている。21世紀に入り、様々な映画監督が都市と農村、格差などを映画のテーマとして描き始めるなかで、王宝強は農村出身者の役を実に多く掴みとり、俳優として成功した。

 

 2008年のリーマン・ショック中国経済にも影響し、非正規雇用である農民工たちの多数が失業した。また、2008年の北京五輪、2010年の上海万博を終えると、北京および上海の建設バブルは落ち着き、ひたすら農村から都会へ仕事を求めて増え続ける農民工を支え切ることができなくなった。問題が表面化し、ついに、中国社会は農民工問題に正面から対峙しなければならなくなった。

 

 リーマン・ショック北京五輪の2008年、元農民工であった王宝強はすでに有名俳優になっていた。そしてこの頃は、「元農民工」あるいは「草根(中国語で庶民の意味)」出身スターとして、彼が大変活躍した年だった。歌手としていくつかの音楽作品を出版しており、その歌詞内容からして、まるで農民工都市戸籍住民のあいだに生じた軋轢や摩擦を少しでも和らげる潤滑油を買ってでたような歌である。


 『有銭没銭回家過年』(タイトルの意味は「お金があってもなくても故郷で新年を迎える」)は、女性歌手・龙梅子のレパートリーだった歌で、お金があってもなくても故郷に帰るんだ、帰りたいんだという、故郷を離れて暮らす者の、故郷を愛する気持ちが歌詞に綴られている。2007年、王宝強が龙梅子と一緒に歌うことで大ヒットした。
 『出門靠朋友』(タイトルの意味は「家を出たら友達を頼ろう」)も、2008年に王宝強が歌った曲だ。実家では両親に頼って暮らしたが、実家を出たからには、両親に頼らずに友達と助け合って生きていこう、友達と一緒に頑張ろう、という地方出身者同士を励まし合う歌詞だった。田舎から出て、北京や上海などの都市で夢を追い求める若者に向けて歌っており、中国における庶民の等身大の生活感を表した。


 さらには同年、中国で毎年春節前夜に生放送されるCCTVの歌番組「春節聯歓晩会」(日本の大晦日に放送される「紅白歌合戦」同様、多くの中国人が家族で鑑賞する番組)では、王宝強は農民工役として寸劇に登場し、加えて、『農民工之歌』を歌った。この年の大晦日の国営放送「春節聯歓晩会」に向けて特別に作詞作曲されたこの歌は、深刻化している様々な農民工にまつわる問題を見据えた中国共産党政府が用意した、一種のキャンペーン・ソングと言えるだろう。YouTubeCCTV公式チャンネルに、当時の映像がアップロードされている。

 

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 ところで、中国で現在活躍する俳優の多くが、芸術学校や各地域の演劇学校(大学にあたる)を卒業しているエリートだ。中国の学歴社会は、日本の比ではない。学歴や文化資本を持たざる者よりも、それらを持つ者のほうが銀幕の世界と距離が近いと言い切っていいいだろう。
 だから、王宝強のキャリアは1980年代生まれの俳優の中ではかなり珍しい。奇跡の成功者なのだ。学歴も低く、農村出身で貧しかった彼のような元農民工が、俳優に挑戦し、いくつかの国際的な映画祭でその演技を認められ、いまや国民的スターとなった。そんな現象が稀有だからこそ、多くのネット民や国民の注目をさらに集め、同じ「草根」たちの共感を集めて、感動を呼ぶ。


 低学歴でも、田舎の貧しい農民の出身でも、努力を続け、夢を諦めず、家族を愛し、誠実で真面目であればチャンスがつかめる。映画や演技を学ぶ大学や大学院に行けずとも、文化資本に左右されず、自分の力で成功を勝ち取れる。王宝強の強烈な個人史は、まるで何かのスローガンのようで力強く、模範的な人物像そのものである。


 ちなみに、建国から文革時代までの中華人民共和国では、ブルジョワや知識階級が批判対象となり、まさしく王宝強の両親のような貧しい農民がもっとも尊ばれた。しかし改革開放後の中国は、社会主義政治のもとに資本主義経済がある。改革開放後、瞬く間に階級社会となり、学歴や文化資本はもちろん、戸籍も階級を左右する。都市戸籍を持つ者と農村戸籍を持つ者の格差は、努力で乗り越えられるものではなく、どちらに生まれるかという運命にすぎない。運命が、その者の将来に大きく影響を与える。もちろん都市戸籍のほうが、今の中国社会では何倍も恵まれている。

 

 彼の出演したバラエティ番組や他のインタビュー番組にも目を通してみる。彼の口語発音は、他の俳優らと比べると明らかに都会っぽくない発音で、滑舌は良くなく、北京なまりとも少し違う独特の舌の巻き方をする。(しかしながら、彼のその田舎っぽい発音が農民工役や農村出身者役の演技で発揮されると、抜群に現実味を帯びる。幼少の頃から綺麗な標準発音を叩き込まれてきた都会出身のインテリに、易々と習得できる発音ではないだろう。)ゲームやお笑い系のバラエティ番組であっても、見せる顔や発言は極めて実直。朴訥で、他の同世代の大卒エリート俳優らに比べれば、台本なしの会話ではユーモア・センスに乏しいとも言えるだろう。

 

 では王宝強は、中国の農民工や草根にとって、目標とすべき憧れの人物となったのだろうか。中国の農民工に関しては、様々な口述資料やインタビュー、調査報告がある。それらを読んでいくと、多くの農民工が、都市戸籍を持つ者や都市戸籍の雇用主に蔑視されたり差別を受けたりしながらも、日々あくせくと働いている。低学歴や教養のなさにより、トラブルに巻き込まれたり騙されたりしている事例も多々見られる。被害者になる者もいれば、農民工どうしで騙し合う詐欺事件や、弱者を狙った犯罪に手を染めてしまうような実例も多々ある。賈樟柯ジャ・ジャンクー)がこれまで幾度も描いてきた映画の中の農民工も、多くが悲劇の渦中にあるが、現実は、スクリーンよりもいっそう厳しい。ちなみに、王宝強も同監督の作品『罪のてざわり』(2013)で、銃を手に入れたことをきっかけに出稼ぎ労働をやめ、強盗殺人を繰り返しながら金を農村の家族に送る農民工を演じていた。

 農民工でも現実の王宝強のように努力し夢を信じていれば誰もが報われる社会なのであれば、そもそも、農民工が社会問題となっておらず、これほど農民工を描いた映画も撮られなかっただろう。やはり王宝強のケースは、奇跡なのである。

 

 それでも王宝強は、元農民工であるという経歴を背負い『農民工之歌』を春節前夜に歌い、政府や脱貧困慈善団体のキャンペーンにも協力し、俳優として、故郷河北省での中国人民政治協商会議における文化部門委員も務める。インタビューでは「貧しかった頃、努力し続け、決して諦めなかった」ことを頻繁に話す。映画をつくったり観たりするようなエリートの人々が普段なかなか接することのないであろう農民工を、そのまま演じきることができた王宝強は、農民工という暗い存在のイメージを向上させることに寄与したかもしれないし、世の中には、彼のイメージから、農民工への差別や蔑視を考え直した都市住民もいたかもしれない。

 

 けれども、もう一度、スクリーンよりも現実のほうが厳しいことは忘れずにおきたい。そして、王宝強はいまや、農民工でも草根でもなく、セレブとなった。同情と共感を引き寄せる成功物語は、多くの人々の模範となるうえに、感動を与え、消費に値する。ここまで彼のライフヒストリーを書きなぐった私も、彼の俳優という職業以外の部分を消費してしまっているわけでもある。ファンになってしまったのかと錯覚しかけたとき、私は、あまりにもドラマチックな彼の人生を見世物であるかのように感じ取ってしまっていたことに気がついたのである。


 頭を冷やせば誰もが理解できるのだが、中国の実際の農民工たちそれぞれが、努力すれば同じようにセレブになれるなんてことはない。努力しても報われないのが中国の農民工であり、彼らは努力では乗り越えられない戸籍制度に左右されている。残酷な階級制度から生まれた農民工問題が世間で取り沙汰され、多くの映画監督たちも、農民工や農村の貧困問題、都会との格差や階級社会の絶望を描きたがった。王宝強の人生と、中国の時代が、偶然にぴったりと噛み合い、運と追い風によって、彼は映画スターへの道を上り詰めることができたのだ。

 

 王宝強の成功物語に、水をさすわけではない。努力を続け、夢を諦めないことは、立派だと本心で思う。しかし、草根すなわち庶民には、努力し続けられない生死に関わる事情や、諦めなければならないタイミングが容赦なく訪れる。中国で製作された映画に描かれる農民工たちの悲劇やドラマは、社会を反映してはいるが、創作物として何らかの感動や心の揺れを与えるべくして生まれた映像表現である。農民工に関する調査報告や資料に書かれた淡々とした味気のない物語もまた、無名の多数の、草根の現実である。映画と、そういった資料と、交互に見比べ、一歩下がって観察する。貧困や格差から起こる悲劇や、人生のアップダウンを消費のネタにしないためにも、映画の向こう側にある映像化できない事象にも、目を配っておきたいものである。

 

***

以下の書籍および文献を参考にしました。

 

中国でタイ観光ブームをもたらした大ヒット作/映画レビュー:徐峥『ロスト・イン・タイランド』

 2013年頃だったか。Offshoreを初めてまだ数年の頃。コロナなんて存在せず、LCCも安く、私の当時の収入もそれなりに安定していたのか、数ヶ月間の海外旅行が可能だった。貯めたお金で、数ヶ月東アジアの各地に滞在し、フラフラしながら取材をすすめる、なんてことをやっていた。

 

 タイに行った時、中学校の同級生がちょうどその頃チェンマイで働いて暮らしていて、会いに行った。チェンマイで彼女が一番美味しいと思っている穴場のカオソーイ屋や、彼女いわく「世界で一番美味しいクイティアオ屋」に連れて行ってもらったりした。日本とタイの文化習慣の違いや、海外に暮らすことなどをとことん話し、話題が尽きなかった。

 

 数日間一緒に過ごしたが、確か、最初に落ち合ったのはチェンマイ大学の近くだった。バンコクからチェンマイまでは自分で高速バスに乗ったのか、バンコクから国内線に乗ったのか、全く覚えていないけれど、チェンマイ大学にほど近い、有名な寺院で待ち合わせた記憶がうっすらとある。

 

 その寺院に向かう途中も、その寺院の中も、非常に観光客が多かった。少し早めに着いてしまい、数十分間寺院のなかでボーッとする羽目になった私は、「ああ、〇〇(同級生の名前)はやく来ないかなあ」と重たい気分になっていた。私は、浮かれた観光客たちのいるエリアに入ることがとても嫌いなのだ。自分も観光客のくせに。

 

 やっと現れた同級生は、すでに最初のランチは彼女おすすめのカオソーイ屋と決めていたらしく、そこへ行こうと私を誘いながら、私たちは関西人らしくせわしなく会話をポンポンと交わす。

 

チェンマイ、こんなに人多かったっけ?」

「そうやねん、最近めっちゃ中国人観光客増えてさ。」

「今は中国人観光客どこ行っても多いけど、これはもうチェンマイどうなるんやろうと思うぐらい。」

「なんか、タイで撮影した映画が中国で流行ってるらしくて、その映画のロケ地にチェンマイが入ってるから、それで中国人が多いらしい。」

「へー。それどんな映画?」

「わからんけど、とにかくむちゃくちゃ流行った映画らしい。チェンマイ大学に中国人観光客が押し寄せて、大学で授業風景を覗かれたりして、大学側がめっちゃキレてさ。お金払った人だけに大学構内を観光させるとかなんとか……。」

「そんなに?どんな映画なんやろう?学園もの?」

「さあ。」

 

 今年、2021年になって、私はやっと彼女とのこの会話を思い出した。先日『唐人街探案』についてこのブログで書いたが、主役のタイ在住華人を演じた王宝強(ワン・バオチャン)の経歴を調べていたら、彼が以前、他にもタイで撮影した映画に出演していたということを知ったのだった。邦題は『ロスト・イン・タイランド』、原題『人再囧途之泰囧』。チェンマイ大学に中国人観光客が押し寄せる原因になった映画であり、王宝強は主役を務めた。

 

yamamotokanako.hatenablog.com

 

 ちなみに、当時、チェンマイ大学に中国人観光客が押し寄せているという問題を報じた記事も探し出した。

 

www.bangkokpost.com

 

 そこで、やっと私はこの『ロスト・イン・タイランド』を観てみることにした。ありがとう、中国動画アプリ爱奇艺。日本でも、会員になっていれば『ロスト・イン・タイランド』全編を観ることができました。

 

 結論から言うと、なぜか、この映画にはチェンマイ大学が一切登場していない。チェンマイ大学が映っていない『ロスト・イン・タイランド』なのに、中国人観光客たちはチェンマイ大学を見つけて、中を自由勝手に見学していた、ということになる。ちょっと不思議だけれど、思いつくことはいくつかある。映画をレビューしながら、少し考えてみたい。

 

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 映画『ロスト・イン・タイランド』は2012年12月12日に中国で公開された。実に気楽なコメディで、最初から最後までテンポが早く、軽快な会話のリズムで笑いを取る場面も多い。監督は、俳優の徐峥(シュウ・ジョン)。今作では監督も脚本も、そして主役も担当した。監督としては今作がデビュー作となる。そして、全編を通して、まさにB級映画らしい空気が漂っている。上記のYouTube予告動画を見てみると、それがわかるのではないかと思う。

 俳優は、徐峥と王宝強、黄渤(ファン・ボー)、そして徐峥の実の妻でもある陶虹が、徐峥演じる研究員の妻役として登場する。出演俳優はそれだけ。

 そして、アクション・シーンはいくつかあるが、そのアクションもB級のど真ん中を極めたような、アホな展開だったり鈍臭さだったりする。

 

 ただし、この映画はシリーズ作の2作目のような位置にある。第1作目は、『人在囧途』。これは監督は徐峥ではないが、主役は徐峥と王宝強が務め、2010年に公開された。ストーリーはまったく別物だが、「エリートと田舎者」という主役2人の対比は、1作目も2作目も変わらない。

 

 この文章では余談となるが、実は、徐峥と『ロスト・イン・タイランド』のプロデューサーたちは、1作目『人在囧途』の製作会社から著作権侵害で訴えられている。『ロスト・イン・タイランド』が公開されて少し経ってから(宣伝中には訴えていなかったらしい)、著作権侵害を申し立て、最終的に、徐峥側は500万元の支払いを命令されている。ネットでもいろいろと憶測を呼んでいるようだが、はっきりとした情報はない。たださすがに、タイトルも主役2名の設定も含めて完全に引き継いでいるので、さすがに徐峥側と1作目の製作会社では何らかの話はあったのではないだろうか。共同製作するつもりが、どこかで協働することが不可能となり、別のプロデューサーや製作会社と組むことになったが、2作目の大ヒットを見て、1作目の製作会社がいちゃもんをつけてきた、というのも考えられなくはない。(完全に憶測。)

 

《人再囧途之泰囧》被告罚500万,侵权原作大家都以为是同一家_网易订阅

 

《人在囧途》起诉《泰囧》侵权 网友:眼红才告

 

 後発となった『ロスト・イン・タイランド』は、当時のこの主役3名の俳優たちの人気もあってか、爆発的にヒットした。色白でスマートなモデル風の役者ではなく、どちらかというと、「オジサン」のイメージを十分に、いや十二分に纏ったこの3名だけが、ドタバタ喜劇を繰り広げる。

 そして、喜劇を繰り広げるだけで、中国の社会問題を投影してもいなければ、恋愛があるわけでもないし、大きな愛や成功物語に感動させられるわけでもない。ただ、この3名の掛け合いが面白すぎて爆笑できる、という映画である。そんな単純な映画が、中国の映画興行収入の記録を塗り替えた。最終的には、12.6億人民元興行収入となったそうだ。日本円にして200億円弱。気が遠くなる。

 

 そして、ほぼ全編タイで撮影されているというのも当時の中国の人たちにおいて非常に魅力的だったに違いない。ちょうど、中国パスポート保持者の海外旅行ビザが取得しやすくなってきたのが、この映画の公開と同じ2012年頃である。個人旅行のビザ取得は、収入や預金口座の残高を調べられるから大金持ちにしか実現できないが、比較的物価の安いタイで、旅行会社の団体ツアー旅行を通してビザ発給を申し込めば、容易に海外旅行ができる。日本も、その頃から中国人観光客が日本各地に多く訪れるようになり、各自治体の観光局や観光課、観光業界は、インバウンド戦略に血眼になった。コロナ禍の今は、すでに遠い昔の話のように感じてしまうが……。

 

 また、『ロスト・イン・タイランド』では、チェンマイの寺院、自然が美しく描かれる。これを見て、「タイに行きたいな」と思わない人はいないだろう。ソンクラーンの水かけ祭りからロイクラトン(灯篭まつり)も映し出し、タイ観光局あるいはタイのフィルム・コミッションからの資金獲得も、きっとあっただろう。この映画を観て、タイ、そしてチェンマイに来た中国人観光客たちは、実際に見るタイの仏教寺院やソンテウトゥクトゥクなどに興奮しただろう。日本人である私たちにとっても、タイは人気の旅行先で、みなタイに行き、寺院で、街なかで、写真を撮りまくってきたではないか。

 

 チェンマイでの『ロスト・イン・タイランド聖地巡礼ツアーを実行した中国人ブロガーの記事も、検索すればたくさん見つかる。そしてその記事を読んだ人が、チェンマイで同じルートを巡るのである。また、そのルートの近くに、どうやらチェンマイ大学が近くにあったようだ。「タイの大学ってどんなところだろう?」と思って興味本位で入ってみた人が、ブログでその様子を投稿している記事もあった。入ってみると、タイの大学生は皆制服を着ていて、それが中国人にとっては珍しかった。(日本人の多くも、タイの大学生の制服を珍しがる。)さらに、中国のブログやSNSで『ロスト・イン・タイランド聖地巡礼ツアーをやってきた人たちが、どんどん投稿する。さらにチェンマイ旅行は話題となり、観光旅行の行き先候補としてのチェンマイもどんどんランクがアップして、また、映画『ロスト・イン・タイランド』を観たいと思う人も、さらに増える……。そして、なぜか映画の撮影地ではないチェンマイ大学にも、「聖地巡礼ルートの中間にあるのであれば」と、みなついでに足を運ぶ……。それにしても、聖地巡礼ツアーのブログ記事を見ていて、ふと思う。人気アイドル俳優が撮影に訪れた地ならまだしも、オジサン俳優3名の、ドタバタ喜劇映画だぞ……。

 

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 中国での海外旅行人気の勢いと、出演俳優3名の人気と、個人で発信するブログやSNSにおけるインフルエンサーたちの隆盛と。それらの要素がうまく重なり合い、互いに相乗効果を高めて、興行収入も、チェンマイの中国人観光客数も、みるみるうちに膨れ上がったのではないか。ついでにチェンマイ大学にも人が溢れた。 

 

 これが初監督作となった徐峥には、「予算を抑えて、いかに中身勝負で面白い映画を撮ることができるか」という裏テーマがあったのではないかと思わざるを得ない。それぐらい、実に言葉の掛け合いだけで笑わせてくれる映画だった。

 同じコメディ映画の『唐人街探案』と比べるとする。『唐人街探案』では人を貶したり嘲笑うような言動で笑いをとるシーンが多い。日本で言うところの、志村けんの系譜や、ダウンタウンなどに見られる類の笑いである。対して『ロスト・イン・タイランド』は、異文化に持ち込んでも通じるような笑いを基本としている。例えば、王宝強演じる王宝がドジを踏んでしまったとき、徐峥演じる研究員・徐朗が立腹する。立腹した徐朗の気持ちを理解できない王宝は、「ところで星座は何座?」と聞き、さらに徐朗の神経を逆撫でしたりする。舞台演劇でも活躍してきて、英語も堪能な徐峥が、頭脳を駆使していかにコメディ映画を低い条件で磨き上げるか、知恵を総動員させたような映画である。おそらくその知恵は、世情を読むことにも長けていて、中国人のタイ観光ブームと見事にタイミングが合致した。

 

 クライマックスのシーンは、この映画のなかで最大限のおバカな寸劇が繰り広げられる。この3名の個性派俳優の、喜劇で抜群に発揮される実力、清々しい!実は私は、このクライマックスシーンだけを何度もリピートして観たりする。気分が落ち込んでいるとき、塞いでいるときに、この奮闘シーンを観るだけでバカバカしくなり、スカッとする。

 

 そんなわけで、約10年前にチェンマイで同級生から聞いた「中国映画」には、当時こそポジティブなイメージは抱いていなかったのだが、今年になってやっとその映画が何だったのかを知り、観て、腹を抱えて笑ってしまった。こんな映画だったら、そりゃチェンマイに行きたくなるし、どうせならタイでも大々的に公開してもらえばよかったのに。それに、今、コロナで海外旅行ができないこの時代に観ると、少し気分を満足させてくれたりもする。

 日本では配給されず、映画祭での上映のみ。これも残念だったが、それも知る人ぞ知る、B級映画の醍醐味かもしれない。

 

 

追記。

『ロスト・イン・タイランド』の予告編はこちらのほうが編集が行き渡っている。

ただ、どちらも「人妖(日本語で言うと"ニューハーフ"あるいは"オカマ"的なニュアンスの言葉)」をネタにしているというのはいかがなものか。ただ、これを見るとさらに、当時の中国の人たちにとってのタイへのまなざしが手にとってわかるようである。まだまだタイの情報が少なく、タイ旅行をする人がまだ少なかった頃。中国とほんの少し共通点も持ちながら違った文化や表象を持つアジアのひとつの国。当時、中国の人からすれば、タイという国はとても斬新で、奇妙で、魅惑的に見えていたのだろう。当時、当時、と書いたが、映画公開が2012年の暮れである。日本でも、LCCPEACHやAirAsiaジャパンがバンコクー日本間に就航するようになったのは、その頃だったっけ。

 

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神戸豚まん調査(2)豚まんを食べながら歩く

 神戸に引っ越しを決める前に、「神戸に住むのもいいかもしれない」と思ったきっかけがある。平民金子さんの著書『ごろごろ、神戸。』を読んだことである。平民さんは、この本の中で、ご自身の子供をベビーカーに乗せて、ベビーカーをごろごろと押しながら神戸をうろついて、見た風景を書いている。神戸のごく一部のランドマークを知ってさえいれば、平民さんの文章が、神戸の目立たないけど味わい深い街角をくっきりと見せてくれる。モザイクやトアロード、北野や南京町、そういうキラキラしたところではなく、地元の人が、カッコつけずに普段着で買い物しに来たり食べに来たりしている生活のための神戸の街角。
 この本には湊川や新開地の一帯が多く登場する。約20年前、私は神戸市北区の高校へ自宅の尼崎市から通うため、毎日新開地で神戸電鉄に乗り換えていたのだが、湊川で降りたことはなかったからミナイチは知らなかったし、新開地でうろうろしたいと思ったこともなかった。それでも、ごく一部知っていた駅構内の様子や空気感を、平民さんの文章から脳内に呼び起こし、そこからさらに、脳内で神戸の街を立体的につくってみる。


 神戸に引っ越した後、聖地巡礼よろしく平民さんの足跡を歩いたが、脳内につくりあげた私の新開地〜湊川マップと、実際の街は、さほど変わらなかった。うれしかった。
 『ごろごろ、神戸。』では、平民さんがミナイチや他の市場、そしてどんどんきれいになる神戸市各地の再開発を絶妙な温度で惜しんでいらっしゃる文章が印象的だった。反対するでもなく、諦めるでもなく、グチグチと不満を述べるでもなく、悲観するでもなく。「ミナイチ・エレジー」という章には特に共感し、自分では言葉にできない感覚を、見事に代わりに言ってもらえたような気がした。


 それにしても、ミナイチってそんなに最高やったんか。私は毎日そこに通える定期券を持っていた20年前、どうして湊川でうろうろせんかったんや。後悔しても、時すでに遅し。というか、当時高校生だった私に、元町のレコード屋や、トアロードやモトコーの古着屋よりも魅力的なものは神戸にはなかった。音楽と古着にしか興味がなく、当時キラキラしていたハーバーランドさえも行かなかったもんな……。そして、あの頃の私はなぜか神戸より大阪のほうがかっこいい、アメ村で古着見てレコード買うのがイケてると信じきっていた。今思い出すとなんだか恥ずかしいけれど。


 私が神戸に引っ越してからのミナイチ跡地は、すでに大型マンションの建設のために工事の囲いで覆われている。私はミナイチを、自分の目で見ることがなかった。ただし、ミナイチ跡につながる東山商店街と湊川商店街と、湊川商店街にくっついているハートフルみなとがわなど、これらは今も健在。実のところ、引っ越したとき、自宅がこれらの商店街から徒歩圏内と気づいていなかった。まあ近くにスーパーあるからなんとかなるでしょう、と思っていたら、徒歩たった15分ほどで東山商店街に行けることがわかり、そうなれば、もうスーパーで買い物するのはアホくさい。神戸っ子の誰もが知っているけど、神戸を出たらあまり知られていない東山商店街では、生鮮食品が全てそろう。せっかくなら、チェーンのスーパーよりも、それぞれ個人商店で卸売市場から仕入れてきている商店街で、新鮮な魚や野菜を買うでしょう。実際に野菜や果物をスーパーと商店街でそれぞれ買い比べてみると、やはり収穫後、運ばれてくるまでの時間が違うのだろう。同じキャベツでも、トマトでも、ほうれん草でも、そして特にイチゴとかりんごとか国産の果物は、商店街で手に入れたもののほうが圧倒的に味が濃くておいしい。そして、葉野菜は根付きで売っていることがほとんどなので、きちんと新聞に包んでさらにビニールのジップロック袋等に入れて冷蔵庫に入れておけば、しっかり長持ちする。


 なかなか本題に進めないが、豚まんの話である。どうしても東山商店街を賞賛したいがために長くなってしまった。


 最近、東山商店街内においていくつかチェックしている豚まんがあるのだが、そこに向かおうとしたら唐突に目に入った「とんとん餃子」の看板。そういえば、ここ、餃子屋だった。北から南へ伸びた東山商店街の南端から約50メートルの地点で、車道が商店街のアーケードと交差する。その車道を東に曲がってすぐのところにあるのが「とんとん餃子」。ハートフルみなとがわの北側に位置する。急な坂の途中にあるから、徒歩であろうと自転車であろうと、いつも勢いよく下ったり上ったりして、素通りしてしまっていた。店のお持ち帰りカウンターの下部に掲示してあるメニューを注視してみると、あるやん、豚まん。しかも1個90円。


 私が神戸に来てからこの都市にある豚まんをすべて食いつくしたいと思った理由は、その安さからである。本当は、正直なところは、白状すると、神戸市内にある中国料理をぜんぶ食べたい。しかし私の収入はそれを許さない。手頃な金額のランチに絞ったとしても、今の相場では一食750円は下らない。一日の支出をだいたい千円ぐらいに収めないと暮らしていけない低収入の私には、ちょっときつい。パトロンがいないと不可能である。ならば、豚まんなら自分のわずかな年収でも細々と食べ続けることが可能なのではないか。豚まんは、高くても一個150円ほど。そして2個用意すればそれで立派な一食として完結できる。私には、豚まんぐらいの金額の手頃さがぴったり合うのだ。

 

 さらに、私は一つの夢想を持っている。豚まんって、片手で食べられるファストフードなのだ。ずぼらでありつつも食について貪欲な私は、めったに食事を抜かない。仕事や用事で、どうしても時間がないのであれば、コンビニでおにぎりを買って歩きながら食べたりする。歩きながら食べるのは胃腸にとってあまりよくない気もするが、それよりも空腹が満たされない方が私にとってはストレスとなる。歩きながらでも胃に何かを入れたい。歩きながらおにぎりのビニール包装を剥きむしゃむしゃ食べながら歩いていると、たいてい、通りすがりの人に見られる。日本では、食べ歩きがあまりよろしくない雰囲気がある。しかし、これって日本だけじゃないか?


 一年だけ留学で住んだ福州では、学生街や、それ以外の通りでも、お祭りをやっているわけでもないのに道端の屋台で買った食べ物を食べながらゆっくり散歩しているカップルや友達同士の若者がたくさんいた。最近日本では中国料理としての羊肉串が超人気だが、あれも、中国では日本で出てくるサイズの2倍ぐらいの大きさが普通で、つまりは約40cmぐらいの串に約3cm角の羊肉が5、6個ぶっ刺された串を、可愛い女の子が手に2、3本持って歩きながらガシガシ食ってたりする。私は、食べながら歩く、その余裕というか、決して良い子を演じない堂々たる勇ましさに憧れている。
 また、日本人が勝手に想像している「ニューヨーカー」だって、片手にコーヒー、片手にサンドイッチやホットドッグやパンで朝ごはんを歩きながら済ませる、というイメージじゃないか? 本当にそんなことをしている人がいるのかは、私はニューヨークに行ったことがないのでわからない。けれど、先日『唐人街探案2』というニューヨークを舞台にした探偵ものの中国コメディ映画を見ていたら、中国人探偵たちが、片手にホットドッグのようなものを持ってかじりながらニューヨークを闊歩する、というシーンがあった。「みんな忙しいから出社のとき歩きながら朝食食ってるんでしょう。ニューヨークっぽさって、これでしょう!」と、デフォルメされたニューヨークで観客を笑わせようとする。中国人も、日本人と似たような「ニューヨーク」像を持っているらしい。


 神戸の坂を歩きながら(できれば下りがいい、上りで歩きながら食べるのはさすがに胃腸に申し訳ない)、豚まんを片手に、ハフッと齧る。お店ですでにふかしてもらっているものであれば、中の餡が火傷するほどアツアツということはあまりない。たいてい紙や袋に包んでもらえるから、衛生面も問題ない。片手で持つにもちょうどよく、思いっきり齧るのも躊躇しない、食べ歩きフードとしてベストではないか。肉汁が多くなければ、手が汚れることが少ないのだ。豚まんというものはその構造上、小龍包や餃子とは違って、肉汁はもうだいたい皮の部分が吸ってくれている。神戸っ子の、いや、忙しい日本人の食べ歩きフードとして、豚まん、定着しないだろうか。カロリーメイトやゼリー状の栄養剤を飲むよりも、小麦、豚肉、玉ねぎやネギなどの実際の穀物や野菜、肉から栄養を摂れることも素晴らしい。そして、神戸ではあらゆる店で豚まんが売っている。サクッと小腹を満たしたい時には、歩きながら片手で豚まん。朝の出勤時に、歩きながら片手で豚まん。流行らせたいなあ。


 「とんとん餃子」で買える90円の豚まんは、安いだけに小ぶりで、おやつにも適したサイズ。4口ぐらいで食べ終わりそうなので、片手で持って食べ歩きすることにまだ慣れない人にもちょうどいい。また、皮が柔らかすぎず、硬すぎず、ちょうど良い弾力であることも、食べ歩きに向いている。中身の餡は、ミンチ肉と玉ねぎと椎茸。薄い味付けだけれど、噛めば噛むほど皮と餡両方から甘みが出てくる。
 でもできれば、豚まんを買うとついてくるタカラマスタードを付けて食べたい。この辛すぎず弱すぎず、しっかりスパイシーなタカラマスタードをつけることで、味が完成する豚まんだと思う。せっかくなら両手が空くバックパックや肩掛け鞄で行って、片手にタカラマスタード、片手にこの小ぶりの豚まんで、手際よくマスタードを塗り、かっこよく食べながら歩きたい。包んでもらった豚まんのパックから、タカラマスタードを取り出し、うまく両手の指を使ってマスタードの入った小さな袋の端っこをちょっと切る。そのマスタード袋をぎゅっと強く押してしまわないように気をつけながら、豚まん本体を取り出す。取り出した豚まんは利き手と反対側の手で持つ。利き手でマスタード袋をいい塩梅で絞り、豚まんの外周にできるだけ均等に絞り出す。齧るときは、口の周りにマスタードがつかないように注意を払ってクールに。食べながら歩いている間は、けっして猫背にならず、背筋をピンと張る。胸も張る。視線は豚まんと、正面を往復するのみ。横や下は決して見ない。「座って食べる時間がない私は忙しい」「それでも私は食には手を抜かないのだ」という主張を態度に込めて、街をゆく見知らぬ人たちに見せつける。本当はこのあと予定なんてなくたって、本当は座って食べたほうが落ち着くねんけどなと思っていたとしても、堂々と。


 けれども、そこは湊川。周りのおばちゃんやおじさん、婆ちゃんに爺ちゃん達は、基本的に他人に興味なし。この下町で、他人の目を引くことはなかなか難しそうである。神戸の台所と呼ばれる東山商店街や湊川商店街周辺で、堂々と胸張って豚まんを食べながら歩いていても、ここ下町の風景に埋もれるだけかもしれないし、もしかしたら神戸の外から来た観光客と間違われたりして……。「神戸に来て、神戸名物の豚まんを食べたかったんやね、あの子は」と捉えられるのがオチかもしれない……。


 まあ、それでもよし。どちらにせよ、堂々と食べ歩きができる雰囲気なのが、このエリア。ここならまだ食べ歩きが恥ずかしい人も、きっとデビューできるはず。

中国映画『唐人街探案』に映される中国国内でのタイとアメリカのイメージ

 2021年7月、『唐人街探偵 東京MISSION』という中国映画が日本で公開されるという。中国で超人気、興行収入が桁違いの映画シリーズ『唐人街探案』の3作目となる。(※1、2作目は日本で公開されていないため、中国語原題の『唐人街探案』と表記する。
 台湾映画や香港映画に比べて、中国大陸発の中国映画はあまり人気がない。90年代からの中国語圏映画ファンや団塊の世代など、ファンはごく一部に限られている。事実、多くの中国映画作品が日本では配給されなかったり、映画祭のみの上映となってしまっている。しかし、『唐人街探偵 東京MISSION』については、妻夫木聡長澤まさみ浅野忠信三浦友和ら有名俳優も出演していることからか、日本でも公開される。これまでの中国映画ファンとは違った層にも届き、あわよくばヒットしてしまいそうな気配である。
 私がスマホにインストールしているアプリ爱奇艺(中国の動画コンテンツ配信プラットフォーム)では、この『唐人街探案』シリーズの1作目と2作目を観ることができる。3作目の『唐人街探偵 東京MISSION』が日本公開される前に、この『唐人街探案』シリーズを観ておこうと思い立った。
 「唐人街」という名前がタイトルについていることから想像にたやすく、チャイナタウンを舞台にした映画である。私は再生を開始するまでそこにピンときていなかったのだが、物語が進んでいくにつれ、これが世界各地のチャイナタウンを舞台とすることが可能になっていることに気づき、「ああ、もっと早く見ておけばよかった」と少し後悔した。現在すでに公開されているシリーズ1作目はバンコクのチャイナタウンが舞台で、2作目はニューヨークのチャイナタウンが舞台。そうだ。今は全世界にチャイナタウンがあるから、「唐人街」を冠につけたこの映画は全世界でフランチャイズ展開ができるということか!中国映画はもはや、世界のどの都市も舞台になりうるのか……と感心した。
 同時に、このシリーズの注目すべき点は、中国から見た他国のイメージあるいは表象のようなものが観察できる、ということである。とてつもなく広く、かつ複雑な中国という国に住む人々が持つ考えを一括りに語ることはできないが、こういった商業映画に自ら好んで触れる人たちのあいだで、ある程度共有されているタイやアメリカに対するイメージ、そして3作目では日本へのイメージを、映画を通してざっくりと捉えることはできそうである。
 それでは、たっぷりとネタバレを含みながら、この『唐人街探案』シリーズ1および2で私が捉えた中国でのバンコク像、アメリカ像を見ていきたい。

(ネタバレが苦手な方はここまで。3作目についてはネタバレしません。)

  • でこぼこコンビ探偵を主役に据えるシリーズ設定
  • バンコク編 -エキゾチックな幻想
  • ニューヨーク編 -東西文化の衝突とトランプへの嘲笑
  • 内閣府にロケ誘致された最新作の東京編
  • 最後に:マイノリティへの配慮の欠如について

でこぼこコンビ探偵を主役に据えるシリーズ設定

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イメージが刷新され続ける中国愛党映画〜『1921』共同監督・鄭大聖について

上海国際映画祭が、今週末から始まるらしい。オープニング作品は『1921』という映画。2021年は中国共産党の誕生100周年。100歳記念で製作された映画である。

 

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上海国际电影节

 

中国の人気若手俳優、人気中堅俳優達が出演している。日本人が想像しがちな、ひと昔前のいかにもな愛党映画の雰囲気は払拭。おそらく多くの若い観客が、エンタテイメント映画のひとつとしてこの映画を鑑賞しに映画館に行くのだろう。中国では2021年7月1日に公開予定。

ここ数年、中国ではこういった、若くておしゃれで面白い愛党映画がどんどん作られている。『覇王別姫 さらばわが愛』の陳凱歌(チェン・カイコー)が総監督を務めた『我和我的祖国』(邦題:愛しの祖国)は2019年、中華人民共和国建国70周年記念の年に華々しく公開された。7本のショートストーリーが連なったオムニバス映画で、起用された監督は若手から中堅の人気映画監督達。主題歌の「我和我的祖国」は、王菲フェイ・ウォン)が歌った。

そして翌年の2020年には、張藝謀(チャン・イーモウ)が総監督を務めた『我和我的家乡』(邦題:愛しの故郷)も、5本の短編を連ねたオムニバス映画として公開された。人気の携帯アプリ「抖音」(TikTok)はじめスマホ、ネット文化をうまく活用したストーリー展開で、総監督は1950年生まれで「第五世代」と呼ばれる張藝謀とはいえ、現在の中国の20代や10代が観ても楽しめる映画だっただろう。

 

さて話を戻して、まもなく公開される『1921』。監督には2名クレジットされていて、先に記されているのは黄建新。中国で多くの映画、テレビドラマの監督や製作を担当し、先に紹介した『我和我的祖国』でも総監督である陳凱歌と協働し製作に携わっていたらしい。1954年生まれで、百度百科(中国のWikipediaのようなもの)の彼のページを見てみると、エンタテイメントとして、メインストリームの映画を量産してきた。張藝謀や陳凱歌と年齢も近く、映画界の大御所である。

黄建新(中国内地导演)_百度百科

2人目にクレジットされている共同監督は、鄭大聖(簡体字では郑大圣、カタカナで書くとヂョン・ダーションだろうか)。私にとっては、この監督がこの愛党大作映画に関わっていることが意外すぎて驚いた。

 

鄭大聖は1968年生まれの映画監督で、今まで特に有名な映画作品を作ってはいないのだが、私はたまたま留学中に、この監督の作品『村戲』を観る機会に恵まれた。劇映画で、賈大山の短編小説のいくつかを組み合わせて鄭大聖がシナリオをまとめている。

 

時代設定は、確か、毛沢東が亡くなり文化大革命が終わり、人民公社も解体された後の1980年代後半あたりだったと記憶する。中国北方のある村。土地改革と人民公社に、土地配分を振り回されたあとの、農民達と村。その中に、人民公社が張り切って集団農業を推し進めていた時代に、党員で村の幹部を担っていた男性がいる。彼は非常に熱心で真面目な党員だった。しかし、今は気狂いのように他の村民に扱われ、ひとり離れた小屋に篭りひたすらピーナツの皮むきをしている。そんな村で、地方劇の「梆子」の上演が久々に計画される。気狂い扱いをされているその男性の暗い過去と、めまぐるしいスピードで社会が変わり振り回される村と農民のようすが徐々に明らかになっていく。気狂いの男性を過去の呪縛から解き放つべく、村長が彼を誘い出しリハーサルをしようとする。ちなみに、その男性が狂ってしまったきっかけとは、折檻して娘を殺してしまったことである。あまりに熱血で真面目な党員であった男性は、我が娘が当時村で集団生産していたピーナツを盗み食いしていたことが許せず、面子にかけて我を忘れて怒り狂ったのだった。

映画は、シリアスな題材を選びつつも、決して暗くなく、とても明るくリズミカル。全編モノクロで、一部だけ効果的にカラー映像が使用される。悲劇を喜劇で描いた素晴らしい作品だった。そして、2017年だったか2018年、留学中にこの映画を中国国内で私は観たわけだから、公式に中国の映倫とも言える公式上映許可証を得ている映画なのである。過去の党の政策への批判も間接的に含むこの作品が、公式に中国で上映されることの奇跡と興奮を感じだのだった。そう、映画のなかでは、大きな毛沢東肖像画が何度も映る。それは礼賛するわけではなく、どちらかというと、喜劇のリズムの隙間に現れる、皮肉や揶揄のような効果があった。

 

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他にも、鄭大聖は2004年に『DV CHINA』(原題:一个农民的导演生涯)というドキュメンタリー映画の監督もしている。どこかでうっすらとこの映画のニュースか何かを観た記憶があるのだが、これも、とある小さな中国の村を舞台にしている。村でDVカメラを手に、自分たちのために娯楽映画を10年以上撮り続けている、とある普通の村民を追った映画である。出演者も村民で、DIYで映画をつくり続ける村民の撮影のようすや情熱のありかを追った作品のようである。残念ながら、いまだ観る機会に巡り合えていない。

 

DV China | Alexander Street, a ProQuest Company

 

『村戲』で中国共産党の政策と当時の社会の混乱を批判的に描いたあの鄭大聖が、まさか愛党映画『1921』に共同監督としてクレジットされるとは……。と、驚いたのだが、個人の政治思想と生業と面子は、それぞれ切り分けて考える方が賢く生きられるのが、中国社会だろう。例えば、陳凱歌は中国で上映が許されなかった『覇王別姫 さらばわが愛』を作っていながら現在は党の宣伝映画にも関わるし、張芸謀も同じく、文革時代や党の政治に翻弄された人々の悲劇や社会の非条理を淡々と描きつつ、北京オリンピック開会式の総合演出も手がけている。映画監督ではないが、艾未未アイ・ウェイウェイ)だって、天安門に中指を立てながらも、北京オリンピックのために「鳥の巣」を設計した。しかし、世代が若くなると、王兵ワン・ビン)や婁燁(ロウ・イエ)のように、正々堂々と検閲と戦い続ける映画監督もいる。ただし、それは海外とくに西洋諸国とのパイプを得た、ごくひとにぎりの映画人だけである。

 

鄭大聖は中国でのインタビュー動画で、「両親も映画人で、子どもの頃は必ず親のどちらかが撮影出張に出かけていた」と語っている。文革とその後の改革開放期を知っている世代で、黒澤明に憧れ、両親と同じく映画の道を歩むために上海戲劇学院を卒業した後、アメリカにも留学している。

鄭大聖が中国共産党100周年記念映画『1921』でどのような彼の持ち味を出したのか。あるいは、生業として割り切って参加しているのか。『1921』はおそらく日本で配給はされないだろうが、いつかどこかで観てみたい作品である。