『流転の地球2』を私はどう観たか

先日、お世話になっている方と『流転の地球2』の話になった。まだ自分の頭の中ではこの映画の興奮が冷めていない。メルマガに書いた『流転の地球2』における私の「見方」をここにも貼り付けておく。

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人生初の経験をしました。映画館で、同じ回の映画を観ていた見ず知らずの人に、話しかけるという経験。

西宮ガーデンズのTOHOに『流転の地球 ―太陽系脱出計画―』(以下、『流転の地球2』と省略)をレイトショーで観に行ったのですが、公開2日目にもかかわらず、シアター内はガラガラ。鑑賞していたのは私含めてたった3名。顔を覚えられるレベルです。

上映終了後、23時過ぎ。シアターを出て、阪急西宮北口駅に向かおうとするも、いろんな出口が既に閉まっていてあたふた。そんなとき、同じ回の『流転の地球2』を観ていた1人の方も、同じようにあたふたしていて、ついに話しかけました。というかその方は、明らかに「話しかけていいよ」と言っているような格好でした。被っていらっしゃるキャップには『流転の地球2』本国版のロゴが。お持ちのトートバッグにも、本国版のロゴ。

「ん!? そのグッズ、どこで買ったんですか? 映画館で売ってなかったですよね?」
「あ、ネットで買いました」

 

それから共にガーデンズを脱出し、駅を目指して歩き、電車も方角が一緒だったので、20分ぐらいたっぷりおしゃべりして帰りました。
この方は、やはり中国の方で、四川省出身で仕事で日本に在住していらっしゃるとのこと。「いや〜、おもしろかったですよね」ととことん語り合ってしまいました。

 

というのは前段で、この『流転の地球2』、か・な・りオススメ映画ですのでお近くで上映があればぜひ観てください。私がオススメする視点は「映画としてのクオリティ」ではありません。「政治性」と、中国文化の見せ方の「徹底的なうまさ」です。これができる国家だからこそ、オリンピックの開会式がスペクタクルで感動モノになるんです。
(文化が政治的利用されることの善し悪しはいったん置いて、中国大衆文化作品におけるプロパガンダ的エッセンスを注意深く観察しておくと、日本も含めた世界各地の文化コンテンツの見方が変わりました。)

 

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下記、『流転の地球2』が凄かったポイントを箇条書きで並べます。ALLネタバレ。また、前作の『流転の地球』を観ていない人も多いと思いますが、ストーリーの時系列的には『流転の地球2』が古い年代の話なので、2を観てから前作を観る、というのも良いと思います。


<最初に、ざっくりすぎるストーリー解説>

SF映画。惑星が地球に衝突したり、地球にそのまま住めない宇宙的問題が起こりはじめて、宇宙に活路を見出そうとする人間たちと、知性をもったスーパーコンピューターの関係を描く。主人公(呉京が演じる)は、エリート宇宙飛行士ではなく、一介の労働者としての宇宙飛行士(その時代にはたくさん宇宙飛行士がいる設定)。ハリウッド映画ではよくあるストーリーです。
2001年宇宙の旅』がストーリー的にはもっとも似ています(知性をもったスーパーコンピューターについてはハルそのまま)。『アルマゲドン』も近い(エリートではない一介の労働者が全人類を救う)。20XX年の荒廃した地球上で、各国間の政治的取引も乗り越えつつ、なんとか全人類を救うためにまとめあげていく〝リーダー国家〟の存在=つまり、中国。中国産SF映画『流転の地球』においては、世界を救うのはアメリカではなく、中国です。(しかし。どうして私たちはこれまで、ハリウッド映画で「アメリカ合衆国に救ってもらう」ことを当たり前のように観てきたんでしょうか・・・。)

 

  • 冒頭にインド系役者を登場させることで〝国際的な〟映画であると規定している

本編の最初の最初のシーンで登場する人物は、インド系の科学研究者(英語発話するが発音のクセからおそらくインド系の方と思われます)。この時点で、「この映画はドメスティックな映画ではないよ、〝国際的な〟映画なんだよ、世界に誇る中国映画だよ」という主張が成り立っていると思います。

  • 紙銭の登場でわかったこと〜国外輸出を狙っていない映画である

インド系俳優の登場から始まり、〝国際的〟だったのに、次のシーンでは突然、中華圏のローカルな習慣「紙銭」の登場です。紙銭は、沖縄でいう「ウチカビ」。紙幣に似せた紙を燃やすことで、あの世にいる先祖や亡くなった親族へお金を送るという風習です。この風習が、説明なしに登場します。中華圏+沖縄ではどこでも通じる風習ですが、それ以外では通じません。つまり、冒頭で〝国際的な〟映画だと規定されていたはずなのに、次のシーンでいきなりドメスティック(中華圏内)になります。とはいえ、「中国ではそういう風習があるよね」と知っている人も全世界に多い。また、華人も全世界に散らばっている。「中国の良き文化的風習」を映画のスタートで印象的に美しく見せることで、「中国文化を誇示している」と捉えることもできると思います。が、日本の多くの人は、この紙銭の習慣、知らないですよね。「中国文化の誇示」に振り切りたいのであれば、演出としては、セリフでもう少しわかりやすくこの風習を噛み砕いたり、最低限の説明を加えると思います。そうしないのはなぜか? やっぱり、〝国際的な〟映画であることは「中国国内の観客」への主張であって、事実上、『流転の地球2』は中華圏の外では観客を集められない〝ドメスティックな〟映画だと思います。
本編内では中国語・英語だけではなくさまざまな言語が飛び交いますし、一見〝国際的な〟映画ではありますが、説明不足の紙銭登場によって、「中国国外への輸出は狙っていない映画」だということがわかりました。そんな映画が、アメリカ映画を下敷きにつくられていること(そしてそれを中国国民が喜んで消費していること)、ものすごいことだと思います。またじっくり考えて論じてみたいです。

  • 毛筆タイポの役名タイトルバック〜書道文化の誇示

映画本編において、キーとなる登場人物が初登場するシーンは、書道作家が書いている毛筆タイポで人物名(役名)がタイトルバックのように映し出されます。これが、すばらしく美しいです。(画像探したのですがネット上にはありませんでした)
20XX年を舞台としたSF映画において、毛筆・書道を多用することは、中国(およびアジア圏の)文化の誇示といえるでしょう。漢字の名前文字だけならまだわかりますが、「550W」というスーパーコンピューターの名前さえも毛筆でカッコよく書かれていたのは痺れました! 漢字ではないアラビア数字とローマ字が書道でこんなにカッコよく書道で書けるなんて!と感動モノでした。書道作家、マジですごいです。
日本ではここまで「書道」が大衆文化に染みこんでいないので、私は、ちょっとうらやましいとさえ思います。同じ漢字を使う文化で育った人間として、なんかうれしかった(こう思わせてしまうのが大衆映画の凄まじさ・・・!)。

  • 国連演説で、中国の正装「人民服」に着替える中国人リーダー(周恩来を匂わせる?)

宇宙的困難に立ち向かう国連の中の各国家の駆け引きや交渉のようすも、労働階級の主人公のようすと並行して描かれます。この映画においてはもちろん、全世界のリーダーシップをとるのは中国。月が地球に衝突しそうなやばい状況の時に、中国を代表して国連会議で演説する老齢の官僚男性が、周先生(李雪健が演じる)。演説の前に、凛として、人民服に着替えます。そして壇上にあがり、全世界の国家代表らを前に、重要なスピーチをします。「人民服にいちいち着替える」という演出は、「人民服こそが中国の正式な衣装である」という明快な主張です。加えて、このシーンは「中国の歴史を観客にフラッシュバックさせる」演出とも言えます。これについては、映画館で出会った四川省出身の方と感想を語り合っていた時、彼女にこう言われて気付きました。


「人民服を着て登場して以降、私はあの周先生が、周恩来にしか見えませんでした!」


これ、ズバリだと思います。あそこで人民服を着て、全世界の国家に訴えかけて、それが功を成すという展開。外交やトラブル処理が得意だった周恩来と、『流転の地球2』の周先生、ぴったりとイメージが重なっています。
さらにすごいのが、人民服に着替えてからの国連演説の内容。全世界の国家にこう訴えかけます。
「それぞれの国家が持っている核兵器をここで供出して、それを月の爆破に用いましょう。我々が国家間の戦争のために保持してきた核兵器を、ついにここで、全人類平和のために使うのです!」あー、クラクラします。

世界的に有名な香港出身俳優アンディ・ラウも重要な役で登場していますが、これまでのラウ出演の映画作品と比較すると、異色の役をしていると思います。この映画での役柄は、事故死した自分の娘をAIとして再生させようとする天才研究者。スーパーコンピューター内で娘を何度も再生実験します。精神的に不安定で、私情と研究をしっかり混同していて、人道に背く行為も軽々とやってしまう研究者。ラウのこれまでの役柄のように溌溂ではなく、むちゃくちゃ病んでいます。
また、『流転の地球2』におけるスーパーコンピューターは「異物」で「敵」のように見せられます。「人間とうまくやっていけるんじゃないか」という希望よりも、「人間を凌駕するべきではない存在」として描かれます。それは、『2001年宇宙の旅』の写しとも言えるかもしれませんが、人間の揺らぎや精神性、芸術性を否定するという描写が下記のように登場することで、より確かなものとなっています。
たとえば本編後半のあるシーンでは、スーパーコンピューターが人間に対して「比喩や暗示を会話に使わないでください」と繰り返します。つまりは、中国語表現に不可欠である成語やことわざ、詩からの引用等を「使うな」ということ(逆に、周先生はこういった表現を使いまくって国連でうまく立ち回ります)。また「あなたの意見は求めていません」とはっきり人間に言い放つシーンも。そんな冷酷なスーパーコンピューターと、人間のあいだで橋渡しの役目をするのが、ラウ演じる病んだ研究者です。

言わずもがな、アンディ・ラウは香港出身。ある意味で、この研究者役は、大陸出身役者ではなく香港スターであるアンディ・ラウが演じたからこそ「異物との橋渡し」としてはまったのではないか? と、考えすぎてしまいます……。

 

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この動画は、『流転の地球2』のエンディング曲。主役の呉京アンディ・ラウが歌っています。映画内でこの2人(の役)はほぼ接触せず別世界で生きているので、この「別の部屋で歌っている」という設定も納得できます。
2023年春節旧正月)時期に公開された中国大衆映画が『流転の地球2』。毎年中国では、春節時期に大々的に公開される大衆映画が何本かありますが、どの映画も、こういうふうに主役俳優がテーマ曲を歌って宣伝します。こういった宣伝動画は、春節直前からテレビや動画サイトで放映されます。
私は、毎年放映されるこの種の動画を「淡いセーターの動画」と名づけています。春節前の極寒の時期だからなのか、どんな内容の映画であったとしても、こういう「(冬でも)暖かい」イメージが多く、俳優が「ものすごく淡い色」のセーターを着ている確率が高いのです。


以上、『流転の地球2』鑑賞のススメでした。中国大衆映画のプロパガンダの力を見せつけられる作品でもありますが、シナリオや映画の構成は、アメリカ映画の焼き直しです。「アメリカ映画を模してつくったらこうなる」ということでもあるので、アメリカ映画にこそ、さまざまな「文化の押し付け」「力の誇示」は含まれているのだろうと思います。

 

(2024年4月5日(農暦2月27日) 山本佳奈子)