映画レビュー:張艾嘉『相亲相爱』/黄渤『一出好戏』

長引く雨。長引く私の背と肩のコリ。そろそろ1週間ぐらい連続で毎日全身風呂に浸かっているが、それでもコリが取れない。鍼に行くか悩みつつも、最近医者にかかりすぎでこれ以上医療費払うのもなあ、と躊躇する。ではせめて自分で少しでも楽に、と、百均で買ってきたテニスボールをゴリゴリと背中にあてて腕を動かしていたりする。夜、寝る前にこれをやり始めると、ゴリゴリがすごくて意識が興奮し始めて、眠れなくなり、不眠ぎみ。肩と背中をゴリゴリすると、なぜか腸が反応して動く。すごいすごい、身体っていったいどうなってるんだろう! と、寝床に入って2時間ぐらいはゴリゴリ(肩・背)、ゴロゴロ(腸)というのをやっている。

しかし本当に毎朝肩と背中のコリにはがっかりするし、いい加減に鍼いくか、と考えていた頃、かかりつけの漢方内科に月一回の診療へ。全身浴を心がけるようにしてから冷えがましになったことや、今肩と背中がコリまくっていることを伝えると、漢方薬が変わった。肩こりや生理痛や瘀血に効く漢方が処方された。診察を受ける前日、私の今の症状にぴったり合うものはこれかな、とあたりをつけていたのが、あたった。飲むとさっそく、2日目から効いてくる。

 

そういう身体の状況で、まだまだ頭が冴えない日々なのだけれど、毎日できるだけ書く・読むを繰り返し、その隙間に中国映画を見ている。今日は、大雨の外のようすにうんざりし、ついついボーッとしてしまい、2本も立て続けに観てしまった。

 

シルヴィア・チャンこと張艾嘉が監督・主演を務めた『相亲相爱』と、黄渤(ファン・ボー)が監督・主演を務めた『一出好戏』。適当に再生ボタンを押してみた映画だったが、図らずも共通点があった。まず、人気俳優がそれぞれ主役・監督を務めているということ、そして微妙な人間関係の経過や揺れがきちんと描かれているということ。また、そういった描写はセリフや動作にしっかり表される。映画というよりは、2時間ドラマを観ている感覚だった。

 

前者『相亲相爱』は、張艾嘉演じる主人公の父は、田舎で女性と結婚したが、のちに家を出て都会で2人目の妻を持った。その2人目の妻との間にうまれた子が、張艾嘉演じる主人公。2人目の妻である、母の遺言では、いまだ田舎に埋葬されている父の遺骨を動かし、同じ墓に入れてほしい、とのこと。その遺言を守ろうとする主人公は、夫(田壮壮が演じる)と娘と田舎へ行き、第一夫人に交渉する。第一夫人は頑なに拒む。血眼で母の遺言を守ろうとする主人公の、神経質さ、気の強さが、張艾嘉のイメージそのまま。親の世代と、娘の世代と、3世代における中国の夫婦、恋愛、家族に対する考え方の違いをあぶり出している。対パートナーや対家族への愛情は、時代によって変化し、生活とのバランスのなかで優先順位が前後する。都市と田舎でもまた、風習や変化の時間感覚が大きく違う。

前半で、田壮壮演じる父親と娘が、ショッピングモール内の書店で待ち合わせし、書店内のカフェでコーヒーを飲む姿は中国の現代にあっても少し前にはなかったものの代表。そして、中国のこういった書店でコーヒーを飲むという行為には、なぜかとっても贅沢な雰囲気がある。中国の書店はたいてい、今どきの台湾発「誠品書店」や代官山発「蔦屋書店」のような内装であるから、ということもあるし、あと、書店で飲むコーヒーはやっぱり高い。日本円にして500〜600円するから、スタバよりほんの少し高めだったりする。そういうコーヒーがごく当たり前の娘と、「君らの時代はいいよな、コーヒー飲みながら本読んで……」と、ぼやく田壮壮。良いシーンだった。

最終的には映画の終了時間に間に合わせるように、登場人物それぞれの愛情と生活のバランスにおける折り合いがつき始める。いかにもなドラマっぽさを除けば、今の中国における世代間の溝がくっきりと見えて、鑑賞後の回想が止まらない作品。台湾出身の張艾嘉が撮っていることで、現代中国(大陸)の急激な発展を客観的に捉えられているのかもしれない。

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続いて黄渤の監督デビュー作『一出好戏』。観光用の水陸両用バスが、地球に落ちた隕石が起こした津波に飲み込まれ、無人島に漂着。全員無事だが、ここから約30名によるサバイバルが始まる。それぞれの本性や魂胆などがむき出しになったり、そのたびに衝突が起こり、島での人間関係や社会に変化が現れたりする。しまいには、誰かが持っていたトランプカードが通貨代わりに用いられ、島で採れた野菜や果物、魚などと交換できるような社会が構築される。良い奴だと見えていた登場人物が、極限を超えて私利私欲に走り豹変してしまうようすや、狂ってしまうようすも描き、繊細な人間の心の移り変わりを見せたようにも見えるが、最終的には、黄渤による黄渤のための黄渤の映画である。主役の黄渤が、紆余曲折しながらもやはり一番良心を忘れず人間らしくあることで物語が収束する。王宝強、张艺兴、舒淇などのスター俳優たちを配しているが、かえって逆に、だからこそエンタメ人間ドラマでしかないという残念さもある。無人島で何もなくてほとほと困っていたはずなのに、後半で小麦を原料とするように見える麺料理が出てくるのは謎。どうみても小麦の栽培ができそうな島ではない。

ストーリーの中で、3人の男性が順番にこの漂着した無人島の中で王座をとる。一人目が王宝強扮した水陸両用バスの運転手兼ガイドで、彼が持っていたものは「技と力」だった。ほとほと困り果てた客たちが、どのように食料や生活に必要なものを島内でまかなうのか。木登りも得意で運動神経がずば抜けてよく、自然のなかでの緊急時の過ごし方を知り、果実やキノコの採集もお手のもの。みるみるうちに力を持ち、まさに王のようにふんぞりかえって、それにより一部で反乱が起こる。

反乱ののちに、次に王座に座ったのは「金」を持ったものだった。社長で富豪の张代表が、島内で食料や生活に必要な物資を交換するためのトランプカードによる独自通貨の流通を始める。

そして最後に王座を奪ったのは、主人公の黄渤だった。彼が無人島で暮らす皆に見せたのは「希望」だった。希望により、それまで派閥争いや喧嘩が絶えなかったこの難民たちが見事に団結し、仲良く暮らしていけるようになった。

黄渤が希望を見せるシーンは、島に随分前に漂着していた沈没船のサーチライトを使って照明の演出もされる。黄渤の後ろから照明の目潰しのようにライトを当てることで、黄渤のほうを見ている人たちは黄渤の表情が見えない代わりにシルエットのみを見る。何もない島で、希望の光が射してきたという演出を自らでやりながら、希望により島内社会をコントロールしようとする。

狡猾であるよりも正直で真面目な者が最後はうまくいく、というようなメッセージが込められていたようにも思う映画だが、このシナリオを、例えば張芸謀が監督したとすれば、もっと人間を人間らしく意地汚く見せて、何人も死ぬだろう。人間の本質に迫るとしたら、黄渤が描いたような「死傷者ゼロ」「勧善懲悪」の世界はあり得ない。そういった意味で、家族で友達どうしで楽しめるエンタメドラマとして見る作品で、映画としては物足りない。

 

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 雨はまだ止まないし、明日も振り続けるらしい。実のところ、最近の中国映画で動画プラットフォームを介して観れるような有名作には、私が求めるような心奪われる映画が少ないのではないかと感じている。物足りなさのようなものを感じていて、そろそろ、中国映画を観続けるのも飽きてきた。

Offshoreの本サイトのほうでは、音楽レビューを連載すると書いておいて、まったく進めることができていない。明日から心を入れ替えて。音楽レビューにも手をつけ始めることにしたい。