中国の農民工問題と元農民工である俳優・王宝強の人気について

 『唐人街探案』について調べて書いていたときから、このシリーズの主役である王宝強(ワン・バオチャン)の中国における人気と人間像と中国社会の関係が、非常に興味深いことに気づき、勝手に一人で「王宝強レトロスペクティブ」をしている。(要は、王宝強が出演していた映画や出演したテレビ番組などを見まくっている。)

 

 王宝強が出る映画や映像を片っ端から見ていると、もしかして自分は王宝強のファンなのか? と錯覚する瞬間もあった。Offshore立ち上げ10周年にして、私はミーハーな方向に行ってしまうのか……。と、少し悲しくなりかけたのだけれど、この文章を書くために引っ張り出したのは、中国の農民工問題や戸籍問題に関する文献だった。やっぱり自分の興味は、中国の芸能人や俳優のその人物そのものではなく、やはりそれを取り巻く社会ということらしい。

 

 王宝強という俳優は、いまさら私が彼のプロフィールをここでなぞる必要もないほど、中国“商業”映画を知っている人にとっては有名人である。私がこの俳優を彼の主演作『唐人街探案』を観るまで知らなかったのは、中国の“文芸”映画、つまりはアート系映画ばかり観ていて、興行収入が何十億元と大ヒットを飛ばすメインストリームの映画をまったく観ていなかったからである。ウィキペディアの日本語版にも、王宝強のページは存在する。

 

ja.wikipedia.org

 


私が以前書いた『唐人街探案』の記事はこちら。

yamamotokanako.hatenablog.com

 


 とはいえ、日本では中国映画がヒットすることはあまりなく、特に21世紀に入ってから活躍し始めた王宝強については、知らない人が大多数だろう。Wikipediaよりももう少々詳しく、中国語の情報を拾いつつ、彼のこれまでを整理しておく。特筆すべきは、彼は朴訥なキャラクターで、元農民工。農村の貧しい家庭出身ながらも奇跡的な成功を掴んだスター。私が一瞬、王宝強のファンになってしまったのかと錯覚したのは、大衆から同情や共感を呼びやすい彼の経歴に依拠しているような気がするのだ。

 

 王宝強は1984年、河北省邢台市の小さな農村で生まれる。幼少期に観た映画『少林寺』(1982)でジェット・リーに憧れ、8歳の頃、親元を離れ嵩山少林寺に入門。一人っ子ではなく、姉と兄がいる。中国の1980年代生まれでも、農村出身者には兄弟姉妹を持つ者が多い。6年間少林寺で修行し、師匠に「映画に出演する夢を叶えたい」と相談すると「北京に行くのがいい」と勧められ、14歳の頃に北京に一人で出る。北京に出てきたときは、所持金は500元しかなく、月120元の部屋を6人で20元ずつ払い、タコ部屋のような石炭工場の一室に住んでいたという。毎日、中国電影集団公司北京電影制片廠(国営の映画製作会社)の門の前でひたすら待ち、エキストラを含む映画出演の機会を伺った。エキストラとして出演しながらも、無論それだけでは食べられず、また、実家も農業を生業とする家庭のため貧乏で仕送りはできない。映画撮影のない空いている日は、日雇いの建設現場で働いた。
 北京で貧しい暮らしを続け、エキストラ出演しか掴めない生活が3年間続いたあと、16歳のときに映画主演の機会をやっと得た。初の主演は、李扬監督の映画『盲井』(英名:Blind Shaft、2003)での少年役だった。この2011年に放送されたテレビ番組でのインタビューでは、その時のエピソードについても語っている。

 

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 映画『盲井』では、学費が払えず学校に行けなくなったため、自分と妹の学費を工面しに街に出てきたジャージ姿の16歳の少年を、当時同じく16歳だった王宝強が演じた。社会をまだまだ知らない無垢で素朴な少年。父親は出稼ぎ労働者だが、しばらく前から消息が掴めず送金も止まったという。仕方なしに自ら働きに出ることになった少年は、労働者のたまり場で2人の男に誘われ住み込みの炭鉱労働に就くことになる。しかしこの2人の男は、炭鉱に労働者として入り込み、事故を装って仲間を殺し、その仲間の死に対する炭鉱主からの賠償金をせしめることで稼いでいる男たちだった。80名以上もの炭鉱労働者を殺した容疑者が捕まったという衝撃的な実話をもとに作られた脚本で、当時の中国では上映禁止となった。しかしながら、台湾の金馬奨では高い評価を得て、王宝強は新人俳優賞を受賞した。


 作品は、ベルリン国際映画祭でも銀熊賞を獲得しており、無論、素晴らしい。炭鉱の闇と、日差しのきつい乾燥した地上を、何度も往復する画面の移り変わりの中で、非道な殺人者たちの動向をたどる。王宝強演じる少年のあどけなさは、映画の中で観客が唯一安心できるよすがとも言える。無垢だった少年は炭鉱で過ごすたった数日間のうちに、人生の苦難や矛盾や葛藤を忙しく体験する。映画の終幕で見せる彼の一皮向けた表情や眼差しの変化は、初主演でありながらも、彼がれっきとした俳優であることを証明していた。


 『盲井』を観た映画監督・馮小剛(フォン・シャオガン)は、アンディ・ラウを主演に迎えた『イノセントワールド』(2004)において、物語のキーとなる田舎の少年役として王宝強を抜擢。こちらは中国国内でももちろん上映され、大ヒットした。この映画でも王宝強の演技は高く評価され、ついに中国国内でも有名な俳優となった。


 その後も、テレビドラマで純真でドジな軍の新入隊員を演じたりしながら、彼はますます人気を得ていく。2008年にはフォーブス中国版の有名人ランキング38位にランクインし、現在まで毎年100位以内にランキングされている。「農民出身」「貧困でも負けずに努力する」「夢を諦めない」「真面目であること」「家族を愛する」といった、スクリーンのなかで演じる役柄の人物像と、実際の王宝強の人物像は、うまくリンクしており、かつ、混同さえされている。


 先に挙げたテレビ番組では、映画の出演料が出たらすぐにその大部分を実家に送っていたことも明かしている。家族への感謝を忘れず、母と父、兄姉を敬い、そして自身の妻と子供を大事にする。農村の家族を想いながらも一人北京に出て夢を追い、貧しくても踏ん張り、夢を諦めず努力し続けることで掴んだ映画スターの座。演じる役柄と、本人の境界があいまいであることも、絶大な人気を得た理由のひとつだろう。


 さらに、俳優・王宝強の人気が高まった時期に、ちょうど中国では農民工の諸問題が大きな議論を呼んでいたということも、注目に値する。

 

 都市に出稼ぎに来る農民を中国では「農民工」と呼ぶ。文化大革命が終わり改革開放となった1978年頃から農民工が出現し始めた。天安門事件の起こる1989年頃から1990年代中頃には、より多くの農民たちが耕作地を置いて農村を去り、子供の学費や家族の生活費を稼ぐため都市で農業以外の労働に就いた。農業では子供を学校に行かせることもできないほど、収入が低いのだ。農民工の労働内容は、単純作業や建設業、また危険作業等も多く、日本で俗に言う「3K労働」(きつい・汚い・危険)にあたるものが多い。また、農民工は都市にもともと住む都会住民からの差別や蔑視を受けることも少なくない。1990年代中頃以降は第二世代、つまりは第一世代の農民工の子供たちも親子代々の農民工となり都会へ出稼ぎに来るようになった。中卒や高卒、あるいは就学ができなかったり、低学歴の者が多いことも特徴と言える。映画『盲井』で王宝強が演じた役柄も、学業を泣く泣く中断し、出稼ぎに行かざるを得なくなった。

 

 農村出身者が出稼ぎ先の都市部で社会保障や教育を受けるには、中国の独特な戸籍制度上、より多くの金が必要となる。ただでさえ低学歴で、しかも農村出身であるという理由で差別を受け、低賃金労働しか選択肢がなく、それでも自身の生活費を切り詰めながら家族に送金しなければならない農民工たちに、さらに金を支払う余裕はない。では、故郷の戸籍を捨てて農家を辞め、都市に戸籍転入すればいいのではないか、と日本人ならば思ってしまう。しかし、都市人口抑制のため、人の自由な移動を認めないのが中国の戸籍制度だ。21世紀を迎える直前から、都市に定住を望む農村出身者たちの戸籍転入条件の緩和が徐々に行われているようではあるが、やはり条件は厳しい。都市で納税していること、定職に就いていること、合法住宅に居住していること等、農民工の実態になかなか見合うものではなさそうだ。農民工にまつわる様々な問題は30年以上にわたり解決の兆しを見せず長期化し、中国における階級社会を確固たるものに仕立て上げてしまっている。農村と都市で開き続ける貧富の差に加えて、両親がともに出稼ぎに行ってしまった家庭の留守児童の非行や、誘拐被害など、派生して出現した深刻な社会問題が、農民工の周辺に重々しく横たわっている。21世紀に入り、様々な映画監督が都市と農村、格差などを映画のテーマとして描き始めるなかで、王宝強は農村出身者の役を実に多く掴みとり、俳優として成功した。

 

 2008年のリーマン・ショック中国経済にも影響し、非正規雇用である農民工たちの多数が失業した。また、2008年の北京五輪、2010年の上海万博を終えると、北京および上海の建設バブルは落ち着き、ひたすら農村から都会へ仕事を求めて増え続ける農民工を支え切ることができなくなった。問題が表面化し、ついに、中国社会は農民工問題に正面から対峙しなければならなくなった。

 

 リーマン・ショック北京五輪の2008年、元農民工であった王宝強はすでに有名俳優になっていた。そしてこの頃は、「元農民工」あるいは「草根(中国語で庶民の意味)」出身スターとして、彼が大変活躍した年だった。歌手としていくつかの音楽作品を出版しており、その歌詞内容からして、まるで農民工都市戸籍住民のあいだに生じた軋轢や摩擦を少しでも和らげる潤滑油を買ってでたような歌である。


 『有銭没銭回家過年』(タイトルの意味は「お金があってもなくても故郷で新年を迎える」)は、女性歌手・龙梅子のレパートリーだった歌で、お金があってもなくても故郷に帰るんだ、帰りたいんだという、故郷を離れて暮らす者の、故郷を愛する気持ちが歌詞に綴られている。2007年、王宝強が龙梅子と一緒に歌うことで大ヒットした。
 『出門靠朋友』(タイトルの意味は「家を出たら友達を頼ろう」)も、2008年に王宝強が歌った曲だ。実家では両親に頼って暮らしたが、実家を出たからには、両親に頼らずに友達と助け合って生きていこう、友達と一緒に頑張ろう、という地方出身者同士を励まし合う歌詞だった。田舎から出て、北京や上海などの都市で夢を追い求める若者に向けて歌っており、中国における庶民の等身大の生活感を表した。


 さらには同年、中国で毎年春節前夜に生放送されるCCTVの歌番組「春節聯歓晩会」(日本の大晦日に放送される「紅白歌合戦」同様、多くの中国人が家族で鑑賞する番組)では、王宝強は農民工役として寸劇に登場し、加えて、『農民工之歌』を歌った。この年の大晦日の国営放送「春節聯歓晩会」に向けて特別に作詞作曲されたこの歌は、深刻化している様々な農民工にまつわる問題を見据えた中国共産党政府が用意した、一種のキャンペーン・ソングと言えるだろう。YouTubeCCTV公式チャンネルに、当時の映像がアップロードされている。

 

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 ところで、中国で現在活躍する俳優の多くが、芸術学校や各地域の演劇学校(大学にあたる)を卒業しているエリートだ。中国の学歴社会は、日本の比ではない。学歴や文化資本を持たざる者よりも、それらを持つ者のほうが銀幕の世界と距離が近いと言い切っていいいだろう。
 だから、王宝強のキャリアは1980年代生まれの俳優の中ではかなり珍しい。奇跡の成功者なのだ。学歴も低く、農村出身で貧しかった彼のような元農民工が、俳優に挑戦し、いくつかの国際的な映画祭でその演技を認められ、いまや国民的スターとなった。そんな現象が稀有だからこそ、多くのネット民や国民の注目をさらに集め、同じ「草根」たちの共感を集めて、感動を呼ぶ。


 低学歴でも、田舎の貧しい農民の出身でも、努力を続け、夢を諦めず、家族を愛し、誠実で真面目であればチャンスがつかめる。映画や演技を学ぶ大学や大学院に行けずとも、文化資本に左右されず、自分の力で成功を勝ち取れる。王宝強の強烈な個人史は、まるで何かのスローガンのようで力強く、模範的な人物像そのものである。


 ちなみに、建国から文革時代までの中華人民共和国では、ブルジョワや知識階級が批判対象となり、まさしく王宝強の両親のような貧しい農民がもっとも尊ばれた。しかし改革開放後の中国は、社会主義政治のもとに資本主義経済がある。改革開放後、瞬く間に階級社会となり、学歴や文化資本はもちろん、戸籍も階級を左右する。都市戸籍を持つ者と農村戸籍を持つ者の格差は、努力で乗り越えられるものではなく、どちらに生まれるかという運命にすぎない。運命が、その者の将来に大きく影響を与える。もちろん都市戸籍のほうが、今の中国社会では何倍も恵まれている。

 

 彼の出演したバラエティ番組や他のインタビュー番組にも目を通してみる。彼の口語発音は、他の俳優らと比べると明らかに都会っぽくない発音で、滑舌は良くなく、北京なまりとも少し違う独特の舌の巻き方をする。(しかしながら、彼のその田舎っぽい発音が農民工役や農村出身者役の演技で発揮されると、抜群に現実味を帯びる。幼少の頃から綺麗な標準発音を叩き込まれてきた都会出身のインテリに、易々と習得できる発音ではないだろう。)ゲームやお笑い系のバラエティ番組であっても、見せる顔や発言は極めて実直。朴訥で、他の同世代の大卒エリート俳優らに比べれば、台本なしの会話ではユーモア・センスに乏しいとも言えるだろう。

 

 では王宝強は、中国の農民工や草根にとって、目標とすべき憧れの人物となったのだろうか。中国の農民工に関しては、様々な口述資料やインタビュー、調査報告がある。それらを読んでいくと、多くの農民工が、都市戸籍を持つ者や都市戸籍の雇用主に蔑視されたり差別を受けたりしながらも、日々あくせくと働いている。低学歴や教養のなさにより、トラブルに巻き込まれたり騙されたりしている事例も多々見られる。被害者になる者もいれば、農民工どうしで騙し合う詐欺事件や、弱者を狙った犯罪に手を染めてしまうような実例も多々ある。賈樟柯ジャ・ジャンクー)がこれまで幾度も描いてきた映画の中の農民工も、多くが悲劇の渦中にあるが、現実は、スクリーンよりもいっそう厳しい。ちなみに、王宝強も同監督の作品『罪のてざわり』(2013)で、銃を手に入れたことをきっかけに出稼ぎ労働をやめ、強盗殺人を繰り返しながら金を農村の家族に送る農民工を演じていた。

 農民工でも現実の王宝強のように努力し夢を信じていれば誰もが報われる社会なのであれば、そもそも、農民工が社会問題となっておらず、これほど農民工を描いた映画も撮られなかっただろう。やはり王宝強のケースは、奇跡なのである。

 

 それでも王宝強は、元農民工であるという経歴を背負い『農民工之歌』を春節前夜に歌い、政府や脱貧困慈善団体のキャンペーンにも協力し、俳優として、故郷河北省での中国人民政治協商会議における文化部門委員も務める。インタビューでは「貧しかった頃、努力し続け、決して諦めなかった」ことを頻繁に話す。映画をつくったり観たりするようなエリートの人々が普段なかなか接することのないであろう農民工を、そのまま演じきることができた王宝強は、農民工という暗い存在のイメージを向上させることに寄与したかもしれないし、世の中には、彼のイメージから、農民工への差別や蔑視を考え直した都市住民もいたかもしれない。

 

 けれども、もう一度、スクリーンよりも現実のほうが厳しいことは忘れずにおきたい。そして、王宝強はいまや、農民工でも草根でもなく、セレブとなった。同情と共感を引き寄せる成功物語は、多くの人々の模範となるうえに、感動を与え、消費に値する。ここまで彼のライフヒストリーを書きなぐった私も、彼の俳優という職業以外の部分を消費してしまっているわけでもある。ファンになってしまったのかと錯覚しかけたとき、私は、あまりにもドラマチックな彼の人生を見世物であるかのように感じ取ってしまっていたことに気がついたのである。


 頭を冷やせば誰もが理解できるのだが、中国の実際の農民工たちそれぞれが、努力すれば同じようにセレブになれるなんてことはない。努力しても報われないのが中国の農民工であり、彼らは努力では乗り越えられない戸籍制度に左右されている。残酷な階級制度から生まれた農民工問題が世間で取り沙汰され、多くの映画監督たちも、農民工や農村の貧困問題、都会との格差や階級社会の絶望を描きたがった。王宝強の人生と、中国の時代が、偶然にぴったりと噛み合い、運と追い風によって、彼は映画スターへの道を上り詰めることができたのだ。

 

 王宝強の成功物語に、水をさすわけではない。努力を続け、夢を諦めないことは、立派だと本心で思う。しかし、草根すなわち庶民には、努力し続けられない生死に関わる事情や、諦めなければならないタイミングが容赦なく訪れる。中国で製作された映画に描かれる農民工たちの悲劇やドラマは、社会を反映してはいるが、創作物として何らかの感動や心の揺れを与えるべくして生まれた映像表現である。農民工に関する調査報告や資料に書かれた淡々とした味気のない物語もまた、無名の多数の、草根の現実である。映画と、そういった資料と、交互に見比べ、一歩下がって観察する。貧困や格差から起こる悲劇や、人生のアップダウンを消費のネタにしないためにも、映画の向こう側にある映像化できない事象にも、目を配っておきたいものである。

 

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以下の書籍および文献を参考にしました。