中国映画『唐人街探案』に映される中国国内でのタイとアメリカのイメージ

 2021年7月、『唐人街探偵 東京MISSION』という中国映画が日本で公開されるという。中国で超人気、興行収入が桁違いの映画シリーズ『唐人街探案』の3作目となる。(※1、2作目は日本で公開されていないため、中国語原題の『唐人街探案』と表記する。
 台湾映画や香港映画に比べて、中国大陸発の中国映画はあまり人気がない。90年代からの中国語圏映画ファンや団塊の世代など、ファンはごく一部に限られている。事実、多くの中国映画作品が日本では配給されなかったり、映画祭のみの上映となってしまっている。しかし、『唐人街探偵 東京MISSION』については、妻夫木聡長澤まさみ浅野忠信三浦友和ら有名俳優も出演していることからか、日本でも公開される。これまでの中国映画ファンとは違った層にも届き、あわよくばヒットしてしまいそうな気配である。
 私がスマホにインストールしているアプリ爱奇艺(中国の動画コンテンツ配信プラットフォーム)では、この『唐人街探案』シリーズの1作目と2作目を観ることができる。3作目の『唐人街探偵 東京MISSION』が日本公開される前に、この『唐人街探案』シリーズを観ておこうと思い立った。
 「唐人街」という名前がタイトルについていることから想像にたやすく、チャイナタウンを舞台にした映画である。私は再生を開始するまでそこにピンときていなかったのだが、物語が進んでいくにつれ、これが世界各地のチャイナタウンを舞台とすることが可能になっていることに気づき、「ああ、もっと早く見ておけばよかった」と少し後悔した。現在すでに公開されているシリーズ1作目はバンコクのチャイナタウンが舞台で、2作目はニューヨークのチャイナタウンが舞台。そうだ。今は全世界にチャイナタウンがあるから、「唐人街」を冠につけたこの映画は全世界でフランチャイズ展開ができるということか!中国映画はもはや、世界のどの都市も舞台になりうるのか……と感心した。
 同時に、このシリーズの注目すべき点は、中国から見た他国のイメージあるいは表象のようなものが観察できる、ということである。とてつもなく広く、かつ複雑な中国という国に住む人々が持つ考えを一括りに語ることはできないが、こういった商業映画に自ら好んで触れる人たちのあいだで、ある程度共有されているタイやアメリカに対するイメージ、そして3作目では日本へのイメージを、映画を通してざっくりと捉えることはできそうである。
 それでは、たっぷりとネタバレを含みながら、この『唐人街探案』シリーズ1および2で私が捉えた中国でのバンコク像、アメリカ像を見ていきたい。

(ネタバレが苦手な方はここまで。3作目についてはネタバレしません。)

でこぼこコンビ探偵を主役に据えるシリーズ設定

 

 まずは『唐人街探案』シリーズの簡単な紹介をしておく。若く華奢な青年が「老秦」(ラオチン)こと秦风(チン・フォン)、背が低くパーマヘアで前歯に金が入り、いかにも笑わせる役のおじさん「小唐」(シャオタン)こと唐仁(タン・レン)の2人がシリーズを通して主人公であり、私立探偵でこぼこコンビである。実は、秦风から見て唐仁は母方の家系の遠い親戚となる。ちなみに中国語ではチャイナタウンのことを唐人街と呼び、この「唐人」(タンレン)と役名「唐仁」(タン・レン)は、日本語の読みと同様、中国語普通話でもまったく同じ発音をする。そもそも、この役名からしてふざけているコメディである。
 警察学校への入学試験に落ちてしまった秦风は落胆し、祖母のすすめで、気分転換にバンコク旅行をすることになる。祖母の計らいで、親戚にあたる唐仁は秦风のバンコク滞在を世話することになる。なんでも、唐仁は、バンコクに長く住み、バンコクのチャイナタウン一番の探偵だという。しかし実際に秦风がバンコクで彼と落ち合うと、唐仁は、ごろつきと大して変わらないイカサマ探偵でしかなかった。
 うんざりして帰国しようとした秦风だったが、唐仁がなぜか金強奪事件と殺人事件の容疑者となり、共に警察から逃げ惑う羽目になる。天才的な記憶力と洞察力を持ち、かつ推理小説オタクである秦风は、事件に興味をもつ。イカサマ探偵だった唐仁とコンビを組み、2人は一緒に事件の謎を解いていく。
 一般的に中国では、呼び名に「老」(ラオ)をつける場合は年上の人や目上の人に対してで、逆に「小」(シャオ)をつけるときは年下の人に対する呼びかたである。それなのに、劇中では年下の秦风に対して唐仁が「老秦」(ラオチン)と呼び、秦风は唐仁を「小唐」(シャオタン)と呼ぶ。理由は、1作目であるバンコク編の前半にある。イカサマ探偵である唐仁は秦风に対して、「おい、ここでは俺は1990年以降生まれということになってるから、“小唐”って呼べ」と言い、秦风が「じゃあ僕のことは何て呼ぶの?」と聞くと「老秦!」と笑う。
 セリフの掛け合いが面白く、会話が多く、テンポも早い。下品な表現や荒々しい言葉遣いも多く登場する。さらに、アクションがはちゃめちゃである。車や乗り物を利用したアクション、壊される屋台や車、バンコク編では水上マーケットもぐちゃぐちゃになるし、トゥクトゥクも走り回る。そして小唐役の王宝强(ワン・バオチャン)が嵩山少林寺出身でアクションを得意とする俳優でもあることからか、派手な格闘もたくさん繰り広げられる。とにかく、やかましい映画である。


バンコク編 -エキゾチックな幻想

 シリーズ1作目のバンコク編は、もちろんバンコクのチャイナタウンが舞台である。小唐が巻き込まれた事件が起こったのもチャイナタウンである。何度も登場する警察署のシーンでは、警察官が中国語とタイ語でやりとりする。警察署長はタイの俳優で、タイ語を主に話し、ところどころ中国語になる。また部下である警察官たちも、中国語を主に話す華人と、タイ語を主に話すタイ人が混在しているという設定である。
 そして、長年バンコクに住んでいる小唐は、絶妙な言葉のアクセントで話す。とにかく語尾にしょっちゅう「啦~」(ラ~)が付き、日本語の発音で言うところのサやスがシャやシュになったり、ザやズがジャやジュになったりする。タイ語も話せて読めるが、タイでの居住ビザは取っていないし探偵業ももちろん正式なものではないという設定。だから、警察に追われた時に堂々と身の潔白を主張できず、逃げ惑うしかないというわけである。
 前半で秦风を迎えた初日に遊びに行くゴーゴーバーでは、小唐の友人である華人警察官が同席する。その警察官が、「本国の生活は窮屈だろう」と秦风を哀れみつつ、何やらドラッグと思われるカプセルを秦风のグラスにこっそり入れて、ストレス発散を促したりもする。その後、場面が展開していく中で判明するのは、この警察官は賄賂も受け取っていて、さらにはこっそり賭場経営もしているという。警察官がだらしなく、ドラッグの描写も出てきて、というあたりで、「あれ、これは中国の厳しい映画検閲を通過しているはずなのに」と不思議に思ったが、これはおそらく「タイでの話だから」受け入れられているのだろう。ともすれば、ひねくれた考え方をすると、中国から見たタイは、それほどにゆるくて、警察がいい加減、と見えているということなのだろうか。
 小唐のバンコクでの暮らしかたはまさにごろつきでだらしなく、タイに「沈没」してしまったダメなおじさんそのものである。イカサマで日銭を稼ぎ、居住ビザを取らず、毎日酒と麻雀に明け暮れ、女性にだらしない。映画の後半で、小唐がなぜタイに移ったか吐露するシーンがある。セピア色のフィルターがかかる回想シーンでは、当時の小唐は比較的まじめそうである。彼は地元の小さな村で、自分の結婚披露宴の最中に他の男に新婦を寝取られ、それを目撃してしまう。驚きで焦って飛び出したところを段差でこけて、顔面を打ち、前歯を欠いてしまったというストーリー。なんともひどいコメディ映画のシナリオだが、誰も知り合いのいない外国に行ってやり直し、まったく別人になって人生を謳歌してやろう、という具合でバンコクに住んでいるのが小唐である。
 とはいえ、バンコクにはバンコクの厳しさがあるはずで、現実世界のバンコクは、こんなに自由奔放でエキゾチックな夢に溢れているだろうか? 彼のようなだらしない暮らしや警察の不正、手軽なドラッグ使用がありうるという設定は、この映画の作り手たちが、バンコクに対してそのようなイメージを抱いているということの表れだろう。
 しかしながら、この第1作目であるバンコク編には中国映画らしさを感じる部分もあった。じっくり何度か映画を再生したが、タイの王様や王族を表すような象徴がほとんど映らない。何度も舞台となる警察署内部でも、普通は掲示されていそうな王様の写真がない。街中でカーチェイスをしたり、マーケットでスパイスや卵を投げつけながら小唐と老秦が逃げ惑うシーンなどで黄色い王旗が映ったのは一瞬のみ。道路を上空から撮影したカットなどもあるが、バンコクの路上で当たり前に見る巨大な王様の看板も、ほぼ映らない。この1作目は2015年12月31日に公開されているので、撮影当時はまだプミポン国王が存命だったはずである。ちょうどタクシン派の赤色による運動も多かった時期のはずである。黄色や赤色がほとんど映らない、ある種異様なバンコクの風景に私は少し違和感を抱いた。


ニューヨーク編 -東西文化の衝突とトランプへの嘲笑

 大ヒットした第1作目に続き2作目は、なんとニューヨークが舞台となり、2018年に公開された。ニューヨークにおけるチャイナタウンのボスの息子が、心臓をえぐり取られた状態で発見された。ボスは、自分の短い命がまだある間にこの殺人事件を解明して欲しいと、世界じゅうから探偵を集める。殺人事件を警察組織でもFBIでもなく探偵に解決させるという、この設定が、アメリカを舞台としたシナリオとしてあり得ないのだが、ニューヨークの裏社会を牛耳っているのが華人たちという設定なのか、警察も嫌々ながら探偵たちへの資料開示にある程度協力する。
 小唐は「ニューヨークで結婚式を挙げるから」と老秦をニューヨークまで誘い出したが、彼の目的は実はこの殺人事件にかけられた500万ドルの懸賞金。世界から集まった探偵たちと合流したところで、老秦は小唐に騙されたことに気づく。
 金が目当ての小唐と、完全犯罪に異様な興味を示す老秦が、再びニューヨークで探偵コンビを組み事件の謎を探っていくのだが、関連する殺人事件が次々と起こる。それぞれの殺人の法則を見つけたのは、なんと小唐だった。彼は1作目から風水に詳しいという設定で、その知識がなんとニューヨークで活かされる。殺害場所、殺害日時、被害者の属性等が陰陽五行に則すことを小唐と老秦は読み取り、最後となる5つめの殺人の直前で、犯人を見つけ出す。
 仰天の結末なのだが、中国人妻を亡くした白人男性の医者が犯人で、彼は癌を患っていた。彼は自分の癌を治すため、道教錬金術を研究し、5人の被害者から5つの臓器を奪うという殺人行為を犯し、儀式を執り行なおうとしていたというのだ。犯人が姿を現したシリアスなシーンで、小唐が「お前、1986年版の西遊記を見てないのか?炉の置き方が違うぞ!」とツッコむ。そこで「ああこれはコメディ映画だった」と救われるのだが、中国語を理解し中国人妻を持っていた白人アメリカ男性が道教を勘違いし異常行為に走ってしまうというこのシナリオは、東西の文化衝突を表現しているのであろうし、そしてそんなストーリーの映画を国内のみならず世界各地で公開してしまうこともまた新たな文化衝突を生みそうである。
 けれども、映画に登場するニューヨーク在住華人のひとりが不法滞在しているという設定であったり、華人コミュニティのあいだでの人身売買が匂わされていたり、暗い題材も組み込まれている。「アメリカン・ドリームを追いかけてやってきても、うまくいかない者がいる」というリアリズムも、多少は見え隠れしている。
 また、カーチェイスの場面は、アメリカン・ドリームを下世話に露骨に表現する。結果としてニューヨーク警察から追われることになった老秦と小唐らが、タイムズ・スクエアを走る時、巨大モニターに顔を大写しにされる。まるでスターのようである。それを自分たちで視認し、「俺たちはニューヨークに来たんだ!」と興奮した笑顔でアメリカ国歌を口ずさむ。中国で使われる「アメリカン・ドリーム」という言葉のイメージも、日本のそれとたいして変わらなさそうである。政治関係とは別で、エンタテイメントや文化、そして世界の事実上の中心であり大国であるアメリカへの羨望が垣間見えた場面だった。
 ところで、バンコク編で王様や王旗がなかなか映らなかったように、ニューヨーク編でも政治的な見どころがある。なんと、ドナルド・トランプの写真と話題が映画に登場するのだ。ニューヨーク編で事件の解決にあたる警察署のトップは白人男性で、おそらくわざとトランプに似た容姿の俳優を起用している。映画公開当時まだ大統領だったトランプの写真がニューヨークの警察署には掲げてあり、その写真と、警察署トップの俳優の顔が、重なる構図で映す場面がある。また、この警察トップが「トランプ・タワーの前であんな騒動を起こすなんて」と部下たちを叱責するセリフもある。さらに別の場面では、同人物が「中国人は帰っていい。中国人は選挙に役立つからな。何しろ人数が多い」といったような蔑視とも言えるセリフを吐く。ただしもちろん、このセリフを書いているのは製作している中国側なのである。差別的発言をする者やトランプへの嘲笑をカジュアルに取り込んでいる。


内閣府にロケ誘致された最新作の東京編

 さて、7月に日本で公開されるシリーズ3作目である東京編『唐人街探偵 東京MISSION』では、どんな日本の表象を見せてくれるのか。予告編を何本か見る限り、秋葉原、渋谷スクランブル交差点など、東京の象徴的な場所が映されている。そして、コスプレに銭湯、ヤクザと刺青。あまりに派手な日本の表象が予告編で連発されていて、私は見ていて恥ずかしくなってしまう。すでに公開されているオフィシャルサイトからあらすじを覗いてみると、やはり東京編でも中国出身者や東南アジア出身者が裏社会と結びついているらしい。
 ちなみに、俳優の妻夫木聡演じる野田昊というキャラクターは、2作目のニューヨーク編でも登場した。出番は冒頭とラストシーンだけだったが、東京編へのつなぎ役としての役目を担っている。ということは、3作目の舞台が東京となることが、2作目の撮影中にはすでに決まっていたということになる。
 2作目のニューヨーク編が公開され、3作目の東京編が撮影されたのがコロナ以前の2018年。日本政府も各自治体もインバウンド獲得に必死だったあの頃に、内閣府が募集していた「地域経済の振興等に資する外国映像作品ロケーション誘致に関する実証調査事業(外国映像作品ロケ誘致プロジェクト)」に、『唐人街探偵 東京MISSION』は採択されている。日本政府からは4800万円の支援を受けて製作されたようである。後に、この映画撮影時における経済的な総合効果は約13億円あったということが発表されている。*1

 

最後に:マイノリティへの配慮の欠如について

 世界の各地に華人コミュニティがある。ともすれば『唐人街探案』シリーズは、世界各地で展開できる映画である。そして、まだ国際的に活躍していない中国人の監督や製作陣、俳優たちがつくっているからこそ、中国の内側から見た他国に対してのイメージや表象が、注意深く観察すると見えてくる。バンコク編では警察や規制のゆるさを強調することで開放的でエキゾチックな南国を映し出し、ニューヨーク編ではステレオタイプアメリカン・ドリームに浮かれつつも東西文化衝突を匂わせた。
 一連の『唐人街探案』シリーズの監督は、陳思誠(チェン・スーチェン)。彼は1978年生まれの俳優でもあり、日本でも公開された婁燁(ロウ・イエ)監督の『スプリング・フィーバー』では、主人公3名のうちの探偵役を演じていた。張芸謀チャン・イーモウ)総監督のオムニバス映画『愛しの故郷』では、第1話目「天上掉下个UFO」(空からUFOが落ちてきた)の監督を担った。貴州に現れたUFOの謎を追うコメディで、小唐を演じた王宝强(ワン・バオチャン)と老秦を演じた刘昊然(リウ・ハオラン)、『唐人街探案』の主役2人をコンビ記者役として登場させ、挿入歌も『唐人街探案』をオマージュし、最後は出演者総勢でのダンスというしめくくり方だった。『唐人街探案』シリーズも、全作必ずラストは出演者総出のダンスがあり、それを踏襲したと言える。『愛しの故郷』では貴州が舞台だったためミャオ族の装束の人たちも共に踊った。また、『唐人街探案』シリーズのラストでは、バンコク編ではもちろんタイの民族舞踊の衣装の人たちやムエタイ選手たちも一緒に踊り、ニューヨーク編ではあらゆる人種と、ネイティブ・アメリカンのような衣装を身につけた人も一緒に踊った。おそらく陳思誠はボリウッド映画等からもヒントを得て、ラストに善人悪人総出で踊らせる演出を定番とさせているのだろう。
 だがしかし、『唐人街探案』シリーズを見ていて私は興ざめするシーンがいくつかある。イカサマでいい加減でごろつきの、それでも悪人ではなく善人である小唐は、下品な発言を繰り返し、それがこの映画を面白くしていることは確かである。とはいえ、吃音と同性愛については見過ごしたくない。主人公の一人、老秦はここぞという時に吃ってしまいスッと言葉が出てこないという設定だが、二人が何か揉める度に小唐は「小结巴!」(どもりが!)とけなす。また、小唐の言動や劇中の展開には、同性愛を異常と見なすシーンがある。大まかに数えてバンコク編には少なくとも2回、ニューヨーク編には1回ある。小唐という強烈なキャラクターを、強烈な個性と演技力を持つ俳優・王宝强が演じるうえで、マイノリティを笑いのネタに利用することが必須だとは思わない。加えて、あからさまに異性の体に触れようとすることで笑わせる表現も、あまりにも古い。興ざめした私は、人種や民族の多様性を強調したボリウッド風ダンスには、なんら説得力を感じないのである。

*1:地域経済の振興等に資する外国映像作品ロケ誘致に関する実証調査 実施報告書  https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/location_renrakukaigi/dai5/siryou3-2.pdf