令和6年(2024)じゅり馬まつりについての備忘録

2018年から1年半ぐらい、那覇市西町に住んでいた。大田昌秀の「沖縄国際平和研究所」があったあたり。先日那覇に訪問すると、あの平和研究所があったビルがそっくり建て替わっていて、観光客向けのホテルになっていた。

 

西町に住みながら、三重城の奥にあるテトラポットに囲まれた海岸線や、波の上、辻、若狭、とまりんあたりをよくチャリで徒歩でウロウロしていた。何をしていたのかもはや記憶にないけれど、青くない空、曇天が似合うよい散歩コースだった。三重城も泊高橋も、別れの場所である。しみじみひとりで考え事をしながら進む。

ただやはり女性としては辻はあんまりぶらぶらするのが適した場所ではなかったので、じゅり馬踊りの奉納なども見に行きたかったのだが、「うーん」という躊躇があった。そうこうしていたら、那覇で暮らした最後の年、職場の先輩が長年舞踊をやっていらっしゃる方だと知り、こんなことを言われてちょっと驚いた。

「私、毎年じゅり馬踊ってるのよ。え、山本さん舞踊とか興味ある?(ないでしょ?という含み)」
すかさず「いや、興味ありますよ〜!」と答えていた。

知ってる人が踊ってるなら気軽に見に行きたかったなあという後悔。いや、あのときはじゅり馬の奉納の前に声かけてもらってたけど、用事で行けなかったのか? 思い出せないが、とにかくあの姉さん、いつもシャキシャキしていて教えてくれることもわかりやすくてかっこよかった。

 

今年はじゅり馬まつりが大々的に開催。パレードも復活。そしてなんと私のようなナイチャーが覗けるYouTube配信もあるということで、YouTubeから拝見。

もっとも仰天したのは、「一般公募」でじゅり馬を踊る女性が集められたということ。つまり、みずから「踊りたい」と申し出た女性たちが、かつて辻に住むしかなかった女性たちに成り代わり、過去の彼女らから受け継いだ踊りを同じ場所で踊るということ。

辻には身売りされた女性が多かったことを考えると、なんともいえない気持ちになる。決して私は否定しているのではなく、この方法で文化を受け継ぐ試みに、とても好感を抱いた。辻に住み男性に接待・サービスすることを「強制された」であろう彼女たちの精神を解きほぐす方法があるとすれば、そこは、確かに「みずからすすんで受け取る」ことを望む彼女たちにしか、解けないのではないだろうか。

 

YouTubeで配信を眺めていて、冒頭のあいさつが非常によかったので、一部書き起こす。(※傍線は筆者による。)

 

岸本麗子(じゅり馬まつりパレード実行委員会顧問)による「じゅり馬まつり」解説より一部抜粋

じゅりへの想いということで、一言お話をさせていただきます。
みなさん、目を閉じてください。目を閉じる。OK? いいですか。
ここは、辻。1672年、羽地朝秀によって開かれた、女性だけが住む特別な集落であった。ちーじと呼ばれていました。きれいに着飾った女たちが行き来する竜宮城のような華やかな世界でした。彼女たちは、決して、好き好んでここに来たわけではありません。
目を開けてください。
当時、地方では、農業、漁業だけでは生活ができませんでした。女の子は、5〜6歳になると、親元をはなれ、ここ、ちーじに売られてきたんです。ちーじで一人前の芸妓、じゅりになるため、厳しいしきたり、礼儀作法をしつけられ、義理・人情・報恩を教え込まれました。
そこには、三線、太鼓、料理、客のもてなしと、一般庶民が経験することのない、たくさんの学びがありました。また、小学校にも行かせてもらえません。
琉球王国を陰で支えてきた辻のじゅりたちは、自分達に与えられた使命を認識し、世間の冷たい視線にも耐え、義理・人情・御恩に生きてきました。
戦後は、ちーじで守られてきた文化、芸能、うた、沖縄の戦後復興に欠かせない人々のいきるちから、心の支えになりました。

 

那覇市長 知念覚による祝辞(那覇市市民文化部長 渡慶次一司による代読)

はいさいぐすーよーちゅーがなびら。令和6年じゅり馬祭りの開催にあたりご挨拶を申しあげます。
じゅり馬まつりパレード実行委員会の砂川英昭委員長をはじめとする関係者の皆さまにおかれましては、本祭りの開催にあたり、ご尽力をされましたことに深く敬意を表します。
じゅり馬まつりは五穀豊穣、商売繁盛を祈念し、古くから辻地域で開催されてきた歴史ある伝統行事であり伝統芸能です。また、辻は、琉球国時代から、中国や薩摩との外交を陰で支え、琉球の芸能と文化を紡いだ社交の町であり、本祭りは辻の祭祀と歴史、伝統文化の保存と継承、地域の発展のために開催されてきました。
コロナ禍で5年ぶりの開催となる今回、地域が主体となる地域パレードが36年ぶりに復活し、地域の皆さまによる旗頭やエイサー、空手など、さまざまな演舞が予定されております。
さらにパレードの目玉ともいえるじゅり馬スネーは、今年はじめての試みとして一般公募で参加者を募って行われるとのことであり、地域外の方にも、辻地域で大切に受け継がれてきた文化に触れていただく貴重な機会となるものと期待しております。文化が保存され、継承されるまちづくりの実現を目指す本市と致しましても、伝統文化の継承と普及、発展のため、なお一層文化行政に力を注いで参る所存でございます。
結びに、本祭りのご成功と、本日ご臨席の皆さまのご健勝、ご活躍を祈念申し上げ、あいさつといたします。いっぺーにふぇーでーびる。
令和6年3月17日 那覇市長 知念覚

 

tsuji.okinawa

 

「陰で支え」という表現は、じゅり馬や辻町の紹介でよく使われる言い回しである。那覇市長の祝辞文はいたって無難な内容ではあるが、市長が祝辞文を寄せること自体に意義がある。また、あえて「陰で支え」という表現をトルこともできたかもしれないが、そうはしていない。


現在、辻は性産業が盛んで、だから私は西町在住時代にあまりこのあたりでぶらつくことは避けていた。性産業が嫌だからというわけではなく、女性である私にとっては用事のない場所だったからだ。現在の当事者や関係者たちがこのまつりと文化の継承によって、何かを得たり享受できたりするわけでもないだろう。けれども「じゅり馬まつり」が今ここで行われ、外部の人を取り入れることにより、「ここにこういう歴史があるのだ」という肯定が生まれる。人ひとりひとりの意識としての肯定にとどまらない。那覇市市長が言って明らかなように、行政としても「肯定」している。この肯定は、この地域を無下に貶めたりすることのブレーキになる可能性もあるのではないかと、感じている。