対コロナ便乗型生活見直し記録2021/5/23

思い立って新長田周辺に行ってみることにした。神戸に引っ越してから、「山本さんは長田とか好きそうですね」と幾人かに言われたことがあり、そう言われるのなら歩いてみたい、と思っていた。おそらく、私に「好きそうですね」と言ってきた人たちは、新長田の東南アジア系移民のコミュニティやお店の存在を知っていて、それが私の生活感覚と合いそう、と言ってくれていたのだと想像している。

ならば、まずは大目的をランチに設定しよう。新長田でベトナム料理屋を探し、そこで昼食をとり、その後、ぶらぶらと2、3時間歩いてみよう。

梅雨で雨が降り続いていたが、やっと晴れたこの日にそれを実現することとなった。まずは地下鉄新長田駅で降り、その付近のベトナム料理店をGoogleマップで検索する。検索窓に「ベトナム料理」と入れれば、周辺のベトナム料理店が表示される。なんの努力もいらず、初めて来たこの新長田という地域のベトナム料理店を一覧できる。昔、スマホGoogleマップがなかったとき、どうやって飲食店を探していたのだっけ?

いくつか表示されたベトナム料理店のうち、民家のなかにポツンとある店に焦点をあて、歩き進める。ちょうど3人ぐらいの若い男性が、ベトナム語と思われる言葉を話しながら店内に入っていく。店の入り口には日本語の看板や、コロナで営業時間を変更していること、感染対策をしていること等が日本語で表示されていたので、日本人も多く来る店なのだろう。

元居酒屋を居抜きで利用していると思われる店内には、ベトナムのポップソングが大きな音で鳴り、先ほど私より前に入店していた男性たち3名が、先に入っていたもう1名の同じく男性と、真ん中の大きなテーブルを自分たちで拭いて、自分たちの席を用意しているところだった。他に、テーブル席に夫婦と思われる、体格の良い男性と、ぽっちゃりとした女性が汁麺をすすっていた。

店員と思しき人に、メニューからオーダーし、待つ。大きな音のポップソングに負けない声の大きさで、男性たちが話す。私と同じ日本語を話す者が、例えばこれぐらい大きな声で同じ店内で話していたら、たぶん腹がたつだろう。うるさくて。でも、どうして言語が違い、国籍や文化が違うことを前提として理解しているだけで、この騒々しさにイライラしたりしないんだろう? むしろ、彼らの大きな声を聞くことで、ちまちま家の中で過ごしていたここ最近のストレスを発散できていたような気もする。私が大きな声を出しているわけではなく、単に、彼らの大きな声を受け身で聞いているだけなのに。

850円の汁麺をすする。レモンをたくさん絞り、刻まれた生の赤唐辛子を少し入れる。酸っぱくて、少し甘くて、少ししょっぱい、たまに辛い。おそらく牛の、臓物や、レバー、プリッとしたエビもトッピングされている。ベトナムには行ったことがないけれど、ラオスやタイで、屋台で食べた汁麺が懐かしい。じっくり、集中して味わって食べて、汗をかいて、満足して、お会計を済ませて店を出た。

新長田と呼ばれる地域は、きれいで、道幅も広く、建物も新しい。そうか。阪神大震災で被害を受けて、新しくなった。今どきの一軒家や大型ビル、マンションが立ち並び、歩道もきれいで、今、この瞬間だけを見ることと、その向こう側にどれほど多くの人々の、それぞれの痛みや苦労があったのかを考えること。それを同時にやってみようとすると、何か居心地が悪くそわそわする。明るいきれいな街なみの歩道を歩きながら、表面に視覚情報として見えてこない、人々の記憶の内側を想像しようとすると、つらいような頭の痛いような感覚がやってくる。でも、1995年の姿をリアルに想像させるような仕掛けなんていらないんじゃないか。この平凡で平和で、整頓されたきれいな街角の風景に、そのまま気分を委ねて歩けばいいような気もする。

アーケードが被さった通り、つまり商店街をホッピングするように南下し、その途中でところどころアーケードの外に出て、街並みを見物する。まるで沖縄の肉屋ほど豚のあらゆる部分を分けて売っている肉屋があり、少し離れた位置からじっと観察してみる。棚の端に、奄美産のピーナツ黒糖も販売されているようすが目に入る。震災の火災を逃れたと思われる古い家屋のガラス戸の前を通るとき、家屋内にいる、割烹着を着た中年男性と目が合う。振り返ってみると、「かしわ餅」と書かれた看板が掲げてあった。和菓子店だったのか。いくつか気になった喫茶店に目星を付けつつ、もう少し歩けますかと自分の足に確認しながらもう少し南下する。アーケードから外れた場所に、市場があり、みずみずしそうな大きなトマトが4個ほどで200円。買おうかどうか、迷いを振り切りながら足を進める。市場の奥には「アジア屋台」と掲げられた小さな通りが伸びていて、中国料理、ミャンマー料理、ベトナム料理などが味わえるらしい。ところどころ、唐突に現れる三国志のキャラクターや立て看板にギョッとしながらも、やっと踏み入れた、長田の空気の濃度の高さにワクワクする。ちなみに、鉄人28号を描いた漫画家・横山光輝三国志を描いているから、三国志のキャラクター看板や廟のようなものが置かれているらしい。ただし、横山光輝は神戸市須磨区の出身で、新長田においてはあくまでも「ゆかりの深い」ということのようである。

 

神戸市長田区:鉄人28号モニュメント

これは、神戸出身の漫画家で新長田にゆかりの深い横山光輝(よこやまみつてる)さんの作品の魅力でまちを盛り上げようと、地元商店街などが中心となってNPO法人KOBE鉄人プロジェクトを立ち上げ、震災復興と地域活性化のシンボルとしての期待を託して作られたものです。2019年には完成10周年を迎え、記念イベントが盛大に開催されました。神戸・新長田のシンボルとして、これからも街を見守り続けてくれます。

 

そろそろ疲れを取ろうと、狙いをつけていた喫茶店へ向かう。ちょうど老年の女性2人がお会計を済まし外に出たところで、店内を騒々しくしないように、少し間を置いてから、ドアを開け店内に入る。小声で「一人です」と言いながら、顔の前あたりで人差し指を立て店主に見せる。ビーサンを履いた店主、脇に飾られたアンティークらしい鏡、エスプレッソ用ヤカンがディスプレイされていることなどを見て、今どきのおしゃれに気づかった店に入ってしまったのかな? と不安になるが、店内をよく観察するとそうでもない。壁にはアンコール遺跡の写真が貼られていて、BGMで流れているのはタイ語のポップスである。店主に手渡されたメニューを見、可もなく不可もなく、ブレンドコーヒーを頼もうかと思ったが、メニューを裏返すと「ラオコーヒー」があり、即座にラオコーヒーを頼む。ラオスの、練乳をグラスの底に溜めた、濃いコーヒーである。たった350円。

iPhoneのアプリ「シャザム」を起動させ、曲が変わるごとにシャザムで検索する。本当は、私は喫茶店では静かに読書をする人になりたいので、手元に本も置く。でもついつい、iPhoneのほうを忙しく触ったり、店内の人間観察に時間を費やしてしまう。いまだに店内で喫煙できる店は、いいな、と思ってしまう。とっくに、2、3年前にタバコを吸うことを辞めたし、今、とても体がタバコを受け付けないだろうという感覚がある。それでも、今も、たまに、あのタバコを吸っている時の空気をゆっくり味わっているようなあのスーハースーハーを、懐かしむ。タバコを吸っている時間って、とても無駄だったけれど、私はその無駄をなくしてしまった。

 

茶店から出ると、空に重い雲が広がっていて、雨が降ってもおかしくなさそうだった。Googleマップで、家を検索し、そこまでのルートを調べた。Googleマップは私に地下鉄やJRを使わせようとするが、どうしてもバスで帰りたかった。Googleマップを頼りにせずに、最寄りの大きな駅まで行けるバスを探して、バスを乗り継いだ。帰る途中も、帰ってからも、雨は降らなかった。