中国のリアリティショー『戏剧新生活』について・後編

前編では、中国の国際演劇祭「乌镇戏剧节」(Wuzhen Theatre Festival)と、2021年1月から3月まで動画配信プラットフォーム「爱奇艺」にて配信されたリアリティショー「戏剧新生活」(Theatre for Living)の関係についてざっと紹介した。この後編では、「乌镇戏剧节」のPR番組でもありながら人気番組となったリアリティショー「戏剧新生活」本編について紹介する。私がついつい全10エピソードを熱心に見通してしまったポイントについても触れていきたいと思う。

 

前編はこちら。

yamamotokanako.hatenablog.com

 

 

前編でも言及したが、このリアリティショーはまさしくリアルな投げかけからスタートした。

 

「演劇は稼げるか?稼げないか?」

 

この問いが、番組の主宰である俳優・黄磊から7名の俳優たち(※このリアリティショーに参加した俳優は最終的に8名だったが、うち1名は途中のエピソードから参加した。)に問いかけられ、それぞれに意見を述べる。ただし、ずばり「稼げる」と答えた者は一人もなかった。渋々「稼げる」と言った者は、「生活最低限なら」や「一時的なら」というエクスキューズを付けた。はっきり「稼げない」と言った者もいた。

 

例えば、今回のメンバーの中で最年長、43歳の刘晓晔は、「(これだけやってても)預金は2万元しかない」と暴露した。演劇学校の学生時代には相声(中国の漫才のようなテンポの速い掛け合い演芸)も学び、今は北京舞踏学院で教鞭をとる。中国トップクラスの演出家で乌镇戏剧节発起人でもある孟京辉のロングラン作品『两只狗的生活意见』では主役を務めている。芸歴20年近くになるこのベテラン舞台俳優が、なんと預金2万元(※日本円にして約35万円)とは……。

 

また、子供たちへのダンスやミュージカルの指導者としても活躍している刘晓邑は、「コロナで収入が減って、事務所を北京の郊外に引っ越すことになった」と淡々と告白し、演劇や舞台作品を仕事にすることの厳しさを認めざるを得ない雰囲気になる。

 

どんどん暗くなっていくこの議論。確かに、このメンバーの中で「誰もが知る俳優」はおらず、ほとんどが舞台演劇というニッチな世界で活動している。中国国家活劇院に所属するエリート俳優もメンバーの中にはいるし、いや、そもそも、このメンバー全員が何かしらの演劇学校(日本でいう公立大学の演劇学科や舞踊科など)を卒業していて、皆が皆文化資本を持ち、芸術的環境に恵まれた人たちと言える。それでも、活動の場が映画やテレビでなくライブである舞台、しかも伝統劇ではなく現代劇や現代ミュージカルとなることで、一気に観客の人数が減る。暗くなった議論をなんとか望みのあるものにと、映画やテレビにはない舞台劇の良さを一部のメンバーが力説し始めた頃に、黄磊がこのリアリティショーの仕組みを告げる。

 

まずは、俳優たち全員には合宿をしてもらい、そして劇をつくって上演してもらう。そして、その上演で得た収入で合宿生活を送ること。つまり、生活を成り立たせるために舞台演劇をつくってくれ、と。観客が来なければ収入が立たず、食えない。だからこのリアリティショーのタイトルは「戏剧新生活」で、英語のタイトルは「Theatre for Living」と付いているのだ。のちに判明するのだが、合宿場所の宿泊費もその収入から支払う。上演するための劇場の施設利用料も、収入から捻出する。そして余ったお金で、食材を買い、メンバーそれぞれにギャラが支払われる。ギャラをもらえれば、自分が食べたい時に外食することもできる。

 

とはいえ、劇場の施設利用料以外にも演劇作品の上演には様々な費用がかかる。音響、照明や技術スタッフへの人件費に加え、機材のレンタル費、チケット発券をするなら事務方にも人件費がかかるしチケッティングシステムの手数料も払わなければならない。当日観客を誘導する受付スタッフの人件費も必要だ。さらに、衣装代にメイク、道具類の調達にもお金がかかる。そのあたりがうやむやになって番組中に見えてこなかったところは、リアリティショーとは言え、やはり意図的な演出も加わった “番組”である。しかしながら、ただでさえ多くの人たちにとって身近ではない舞台演劇の世界を細部まで余すところなくリアルに見せたところで、バラエティ番組として最大の効果があるとは思えないし、複雑になるばかりだ。舞台にかかる費用として一番明解で額も大きい劇場施設利用料のみを話題にのせ、他はぼかす、という番組編集は堅実だろう。

 

さて、このリアリティショー「戏剧新生活」内では、劇が11本上演された。中には、参加俳優が過去につくった作品で乌镇戏剧节で受賞したものを、そのまま持ってきた上演も2、3作あったが、他は、概ねこの番組に合わせて限られた時間で創作された。一部は、まったくゼロの状態から創作され、一部は既にある国内外の原作や、参加俳優それぞれが温めていた台本で、それをもとに構成や演出を参加俳優らが練り直し制作した。

 

最初の上演作品となった『养鸡场的故事』(和訳:養鶏場の物語)は、主宰の黄磊による「子供向けの演劇作品を2日間以内につくること」という指令を受けてつくられた。合宿の初日、どんな作品にするかアイディアを出し合っている俳優たちの中で、最も若手の刘添琪が印象的な物語を皆に紹介する。海を見たいという夢を持つ養鶏場のヒヨコが、覚悟を決めて養鶏場を脱走し、本当の海を目にするまでの試練の物語。他の俳優たちは、そのストーリーに心を打たれ、「ぜひそれをやろう」「刘添琪が台本を書いて演出をつけてくれ」となる。合宿も始まったばかりでまだまだ心を通わせることができていないこの7名の俳優たちのなかで、もっとも若手で緊張しやすい刘添琪は、突然やってきた大きなプレッシャーに押しつぶされそうになりながらもなんとか台本を書こうとする。不安と緊張でなかなか進まない彼の仕事を、同じく若手の丁一滕がサポートする。そして、なんとか劇は2日で出来上がり、主宰の黄磊と、乌镇戏剧节の発起人であり台湾の著名な演出家である賴聲川がゲネプロを観て審査する。

 

自信満々の俳優たちと打って変わって、賴聲川は厳しい意見を述べる。

「子供をあなどっちゃいけない。子供向けだからといって、わかりやすくしなくていい。子供は、深さをしっかり感じとれるんだから。」

 

下世話という言葉こそがリアリティショーに似合う言葉だと思い込んでいたが、このリアリティショーは実は本気で舞台演劇の魅力をみせようとしているのか、と、気づいた瞬間だった。即、俳優たちは会議をし、演出し直した。刘添琪に任せっきりになっていた演出に、他の中堅やベテラン俳優たちも意見し、やっと完成版の『养鸡场的故事』が誕生した。完成した作品に、黄磊も賴聲川も、さらに、当日やってきた親子連れの観客たちも満足する。舞台上のセットや美術、衣装をほとんど用いず、7名の俳優が身体、台詞、歌、音楽のみで表現するシンプルな演劇だが、大人よりも優れた子供たちの想像力を限定せず、最大限に拡大するような演出が魅力的だった。論理的に考えることが習慣になってしまった大人が見ると、ちょっと混乱してしまうような場面もあった。

 

この難産となった第1作目の上演が終わると、番組はテンポよくどんどん進んでいく。俳優たちの合宿風景では、それぞれがプライベートや仕事、そして仕事と生活におけるバランスや価値観、それぞれの演劇論や身体表現論を話したりして、俳優同士が交流を深めていく。さらに、このチームの生活と経済においてリーダーを勤める「社長」も時期ごとに選出される。約3ヶ月間本当に合宿暮らししていたようだが、だんだん乱雑になってくる部屋のようす、そしてついに登場する大きな鼠との格闘(爆笑できるシーンだった)、だんだん増える俳優たちのタバコ本数(タバコ自体は中国の番組では写してはいけないようで、その度に指先にモザイクがかかる)、常に腹が減った状態が辛くなり抜け出してこっそり食料を調達しにいく俳優、などなど、生活感あふれるシーンが散りばめられる。番組が進めば進むほど、俳優同士が遠慮せず付き合っているのが見て取れるし、互いに信頼しあっていることを表す身体的触れ合いも増えてくる。腕を組んだり、肩に手を置いたり、ごく自然に互いの体重をかけあっている。参加メンバー8名すべてが男性なのはちょっと異様だが、合宿所の寝室にもカメラが数台セットされていることも考えると、番組の性質上、男性のみに絞る方がすすめやすかったのかもしれない。(それでも、男性のみの価値観で演劇が繰り広げられるのは異様である、ということは言及しておきたい。)

 

番組内では、シリアスな経済状況を打開したい俳優たちの知恵で、劇場を借りることを避け始めるのも面白い。それによって、地区内のバーを借り切った演劇や、屋外演劇が誕生していた。乌镇戏剧节が開催される地区は乌镇西栅景区と呼ばれ、行政が観光地区として区切っており入場するには入場料がかかる。中国の古い町にはこういった仕組みを取り入れているところが多い。元々いた住民に立ち退いてもらい、古い町並みを生かした観光地につくり替え、そして観光客を呼ぶのだ。水路が張り巡らされ煉瓦造りの古い建物が美しい乌镇西栅景区は、整備されてからは飲食店やホテルがたくさん並び、そして演劇祭に活用される劇場も大小様々10軒ほどある。私は2018年の乌镇戏剧节で、篠田千明『ZOO』の制作スタッフとして訪れたことがあるが、スタッフとしては、他の劇場にもアクセスしやすくホテルも現場からすぐで非常に便利で助かった。ただし、地区内の飲食店は観光色が強く、そのうえ値段も高くつらかった。地区の出口から比較的近いホテルが私たちの滞在場所だったので、滞在し始めてすぐに地区の外に食を探すようにはなった。

 

では、乌镇西栅景区にある大小様々の劇場は、借りるのにいくらかかるのか。番組内で明らかになるのだが、一番小さな劇場であったとしても一日最低1万元(約17万円)が必要だという。俳優たちは青ざめ、「劇場なんか借りなくていい!」と視点を変え、劇場以外の場所でなんとか上演しようと模索する。そのなかで生まれた、バーでの劇や屋外演劇も面白かったが、しかし、やっぱりどうしても劇場を借りる必要がある作品もある。それならばと、俳優たちは知恵を振り絞り、値下げ交渉を試みる。劇場管理のマネージャーに、本来は前金で一部のお金をおさめなければいけないルールなどを懇々と説明されるが、粘り強い交渉で後払いの権利を得たり、僅かな値下げが叶ったりする。この交渉相手であるマネージャーの女性が、「乌镇でもっともすごいマネージャー」と黄磊に番組内で呼ばれていた宋(Song)さんなのだが、確かに話術も表情も手強いのだ。そして、私はそれをよく知っている。2018年の乌镇戏剧节、篠田千明『ZOO』において、運営周りの現地スタッフをまとめてくれていたのがこの宋さんだった。時間や順序、あらゆる数字や段取りに厳しく、慣れない海外の現場であたふたして変更をかけざるを得なくなってしまった私たちの要求を、なかなか飲んでもらえなかったり、かなり厳格な方だった……。宋さんのほうでも、日雇いや短期雇用のスタッフを抱えているから、一度取り決めたことを変更されたくない、というような事情はあったのだろうが……。宋さんを知っているからこそ、劇場利用料値下げ交渉のたびに玉砕し疲弊している俳優たちの気持ちが、痛いほどわかったのだ! そして、宋さんのような厳しい敏腕マネージャーがいるからこそ、この巨大な乌镇という地区での演劇祭やイベントは健全な売上をたてることができているというのも事実であろう。中国では、こういった古い町を観光地化する開発で、うまく誘客できずに失敗し、ゴースト観光地区となってしまった例もある。

 

利用料の高い劇場を使いたくない俳優たちの意思も追い風となって、このリアリティショーでは、いわゆる一般的な「ステージと客席が向かい合った演劇」ばかりではなかった。特に秀作だと私が感じたのは、もっともベテラン俳優であり「預金は2万元しかない」と冒頭に暴露した刘晓晔が演出した『心臓』という作品だった。これは、ソ連の作家ミハイル・ブルガーコフが1925年に執筆した小説『犬の心臓』を原作としている。とある博士が、人の心臓を犬に移植し、人として育てようとするが、人の知能をついに持った犬と博士の関係が破滅していくというストーリーだ。原作にそった構成で、登場する俳優の役名には原作そのままの名前が与えられている。上演されたのは中国だから、もちろん中国語の台詞が用いられるわけだが、観客にとって理解できる言語である中国語を話すのは犬の方で、人である博士とその助手は理解不能な言語を話す。つまり、観客は、犬の視点で劇を見ることになる。博士と助手が何を会話しているのか、音声情報としては理解できないのだが、2人は意味不明な言語を大きなジェスチャーとともに話す。さらに、意味不明な言語のあいだに、絶妙に面白おかしく中国語の単語を挿入するから、2人が何を話し合っているのか観客は予測できる。劇および原作のテーマは狂気的で、博士の倫理観は不気味だけれども、コメディとして笑える要素も盛り込まれている。また、ステージと観客席という対を作らない空間の構造で、その構造を利用して音楽、照明、身体表現の迫力が観客に伝えられる。原作でも登場するようだが、劇の後半では、人の心臓を移植され人化していく犬に「身分証」を与えることができるかどうかという問題がキーとして登場する。中国の現代社会でも、人は「身分証」がなければ何もできない。「身分証」は、現代の中国人にとって最も大切なものであり、この一枚のカードがなければ移動もできないし銀行口座も作れないし携帯電話も持てないのだ。ロシア語の役名をそのまま用いるからこそ、ファンタジーで他世界の話のように感じられていたのに、「身分証」の話題が登場した途端、ぐっと距離が近づきシリアスになる。この作品における犬と人の関係や、博士の執念と狂気が、現代社会において何を表象していると読み解くべきなのか。「身分証」が、劇と現実を瞬時に繋ぐ橋渡しとして非常にうまく作用している。

 

秀逸な作品だったが、演出した刘晓晔による稽古や演出をつけている風景は、一切このリアリティショーに登場しなかった。他の俳優が演出した作品については、多くの場合、稽古中のようすや演出についての議論のようすが映されていたのに、刘晓晔が演出を担当した作品は、全て、裏側が見せられなかった。勝手な推測ではあるが、これは、刘晓晔が裏側を見せることを拒んだのではないだろうか。もしそうなのだとしたら、そのプロとしての頑なさはリアリティショーにはそぐわないのかもしれないが、個人的には尊重したい。

 

刘晓晔もそうだったが、他の参加俳優も、多くが演出家や脚本家としても活動している。中には人形劇を学んだ俳優もいて、その技術や知識は番組内で披露された。11本の演劇作品のうち、多くが感動的で泣きの演出となっていたことは多少気になったが。ついでに言うと、音響や照明、技術スタッフとの打ち合わせやリハーサルについてほぼ番組内からは除外されていたのも気になった。本来の演劇作品や舞台公演の制作から上演までの流れをすべてこの番組で見せているわけではなく、多くの部分を端折っている。しかし、こういった映画でもテレビドラマでもない生の舞台演劇という世界があることを知らなかった人への導入としては、楽しみ方がわかりやすくまとめられていただろうし、顕著な効果が出たリアリティショーなのではないだろうか。現に、この番組で放送された劇のうち5作品が2021年の乌镇戏剧节で上演されることとなり、前編記事に書いたとおり、チケットは即完売したのだ。

 

合宿生活最後の食事には、俳優たちがそろって水餃子を食べた。最後の公演が終わり、俳優たちは目に涙を浮かべ、3ヶ月の生活で築いた友情を確認するように抱擁しあった。そして、約3ヶ月間俳優たちを見守ってきた主宰の黄磊は、最初の問い「演劇は稼げるか?稼げないか?」は既にもう重要な問題ではない、と俳優たちにいう。代わりに、新しい問いを投げかける。

「なぜ演劇なのか?」

それぞれがそれぞれの考えを紙にしたため、これは、来年の第2シーズンの際に読まれることになるらしい。スポンサーがつくかどうかにもよるだろうが、来年の第2シーズンが実現するなら、ぜひ見たいと思う。

 

中国で流行しているリアリティショーは、これまで既に人気を博していたマジョリティのジャンルや流行文化以外のものに光を当てることに成功しているようだ。今回の「戏剧新生活」が舞台演劇を初めて観るきっかけになった観客も多くいるようだし、また、以前私が見ていた「乐队的夏天」(英名:The Big Band)はインディーズバンド達のリアリティショーで、これを機に、中国ではインディー音楽聴取者の幅がぐっと広がっている。そもそも、中国はまだまだ景気がよく、ニッチな分野を扱うリアリティショーにもスポンサーがつくという好況が前提だ。日本ではもう景気が良くなることなんてないだろうし、少数派の分野に奮発するスポンサーも登場しそうにないから、正直なところうらやましい。とはいえ、ニッチな分野が大衆受けしてこなかった理由はそれぞれにあるはずで、こういった配信プラットフォームでのリアリティショー番組の人気は一過性のものにすぎないだろう。それでも、間口を広げる、裾野が広がるというのは、やはりその分野にとって良い刺激になるはずだ。中国の現代舞台演劇が「戏剧新生活」によってどのような影響を受けたか、現場に確かめにいくことができればと願うばかりである。