鑑賞作品短評 後編 - 山形国際ドキュメンタリー映画祭2021

前編に引き続き、山形国際ドキュメンタリー映画歳2021で私が観た作品の短評。後編は5作品。

 

(前編はこちら)

 

武漢、わたしはここにいる』中国/2021/153分

監督:蘭波(ラン・ボー)

https://yidff.jp/2021/program/21p9.html

武漢で劇映画を撮る予定だった映画クルーたちが、ロックダウンされた武漢で劇映画を撮ることが不可能となり、封鎖された街の状況にカメラを向けたドキュメンタリー。ロックダウン直後である冒頭は、医療崩壊してしまった状況と、その状況下で治療を放棄されてしまったコロナ以外の癌患者などに密着する。中盤には、自発的に集まって自発的にチームを作り、道教寺院の敷地を提供してもらい物資の仕分けや住民の手助けにあたるボランティアの人たちのチーム形成や、彼らによる社会的弱者(老人ホームの老人たち、独居老人たち、ホームレス等)への支援の様子などが映されている。終盤は、ロックダウン解除直前で武漢各地でのボランティアや支援活動も大きくなってきたなか、行政が乗り出した「許可証」制度に奔放されるボランティアの姿たちに焦点を当てる。支援活動を繰り広げる者たちに与えられる公的な許可証がなければ、パンデミック状況下で詐欺や犯罪が起こり得るから、行政はボランティアたちにも許可証を与え、通行にも許可証を与えることにしたということらしい。この制度が急ごしらえで詰めが甘いために、警察や行政機関でたらい回しに会うボランティアたち……。私も中国に留学していたときに、Aに行けと言われたからAに行ったのに、Aの人は『いや、それはBでやる手続きだ』と言われて右往左往してイライラして中国の無限たらい回しにうんざりした記憶があるようなないような……(今となっては思い出せないから、もう少し中国語ができれば解決できていたことなのかもしれないけれど)。

中国でコロナ後に制作された劇映画『中国医生』は、コロナに打ち勝った中国の強さを示すプロパガンダ映画とも言えるかもしれないが、この映画は、封鎖された状況で起こるさまざまなトラブル、誰を責めるわけにもいかない問題、パンデミック状況下で生まれる人の善意と欲からくるいやらしさと、そういったところを平坦に、客観的に見せる。

日本でも出版された作家・方方による武漢封鎖下でのブログ日記である『武漢日記』は、武漢在住である彼女のその時々の感情描写があり、だからこそ読者は筆者と筆者が愛する武漢を親密に感じることができる。『武漢日記』で言及されるSNSでの情報交換やボランティアの機敏さ、集合住宅のかたまりごとに形成される社区での食品共同購入とその問題などが、『武漢、わたしはここにいる』でも出てくるので、方方の日記の映像版を観ることができたような感覚もあるのだが、『武漢、わたしはここにいる』のクルーたちは武漢市民ではない。彼らのよそ者視点があるからこそ、この約2時間半の映画の中に記録された映像は、冷静で、事実をそのまま伝えるということに徹している。とはいえ、映像の中では、何十キロもの小麦粉のずだ袋や医療物資など、重い物を車から運び出したりするときに、今作の監督やクルーたちが画面の中に入り込んで手伝っているのも印象的だった。

 

『理大囲城』香港/2020/88分

監督:香港ドキュメンタリー映画工作者

https://yidff.jp/2021/ic/21ic06.html

複数の匿名監督たちが共同で製作した作品。デモ隊の中でも穏健派ではなく、火炎瓶や一部の武器を手に警察と対峙した者たちの最前線を映す。PolyUこと香港理工大学の学生たちを中心とした大学内での運動が大きくなっていき、最終的には警察に包囲され放水や催涙ガス、ゴム弾などの攻撃を受けた。この時期の重要局面であったPolyUでの衝突の内幕が見える。警察がどうしてここまで元々穏健だったデモ隊に暴力を用いるようになったのか。正直なところ、個人的にはここまで本当に中国共産党政府が支持をしているのか懐疑的で、どちらかというと、飛ぶ鳥落とす勢いで巨大になった中国マネーに関わる利害関係が裏側にあり、香港非居住民にとって理解するには何年もかかるような様々な事情が絡んでいるのではないかと察している。また、返還後の香港で生まれ育ってきたデモ隊の若者たちの世代は、中国共産党政権下の暮らしを言葉通りに「自由が奪われる」として明確に手にとるようにイメージできているとは限らないのではないかと考えている。若者たちの真のフラストレーションの源泉は、どんどん値上がりする物価、家賃、進路を選択するにも先の見えない香港の状況にもあるのではないだろうか。はたを見れば、中国の好景気は見るも明らかで、これ見よがしに香港の高級レストランや高級アパレルで消費していく中国大陸からの観光客たちがいる。

話を戻すと、私がこの映画のなかで驚き重要なシーンだと思ったのは、歌や音楽が登場したシーンである。前半のみだったが、警察は、道路越しに対峙しているPolyU内のデモ隊に大音量で音楽を放つ。警察によって用いられた曲は以下の3つ。

 

 

そしてデモ隊側も音楽で反応したシーンが2つ出てきた。まずひとつ目は、オーストラリアのSiaによる有名曲『Chandelier』のトラックを用いて、さらにマカオの歌手(Maria Cordero)がステージ上で反送中問題に対して香港警察を罵った際のスピーチをサンプリング、マッシュアップして作られた『肥媽有話兒』なのだが、さらに、誰か不明だが男性がラップし直したものがデモ隊のあいだで聴かれていた。もうひとつは、香港の作曲家がネット上で反送中における運動のテーマ曲をつくることを提案し、その作曲家がつくった曲にネットユーザーたちが集まって歌詞を吟味しボーカルを担当し、民主的に完成された『願榮光歸香港』(訳:香港に栄光あれ)だ。後者の楽曲については、日本語版Wikipediaでも詳しく解説されている

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『願榮光歸香港』については、人々が求める自由とは何なのか、考えさせられる。この曲はありがちな「国歌」風の旋律、リズム、展開を備えている。国歌とは、その国家が威厳を示し、国民市民に対して帰属心や愛国心を育ませ、歌詞には象徴的な言葉を並べ、スローガンが掲げられる。香港が独立すればいい、独立国になればいい、という思いあるいはユーモアも込められて、それで国歌調になったのだろうが、果たして中華人民共和国という巨大な国家体制のやり方に反対する方法が、なぜまたしても「国家形成」を想起させるものでなければならなかったのか。いつの時代もどの国家も、多かれ少なかれ市民から搾取し、枠組みに当てはめ不自由を押し付けた上で、「あなたたちは自由なんです」と条件付きの自由を指して言い、「国家はあなたたちに自由を与えている」と押し付けがましく振る舞う。

と、映画の本題とは大きくずれてしまったが、「香港がんばれ」と言うための映画でもないということは付け加えておく。とくに、終盤ではデモ隊の中で亀裂が生じ、自ら出頭するようにPolyUを去る者と、PolyUに残り続ける者に分かれる。それぞれの葛藤と、去りたい者と残りたい者のぎこちない対話が、序盤のゴム弾や催涙弾が飛び交うシーンよりも痛々しい。

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『私はおぼえている』日本/2021/224分

監督:波田野州

https://yidff.jp/2021/program/21p3.html

鳥取県の、鳥取市でも米子市でもない、そのあいだあたりの集落や村に暮らす高齢者がそれぞれの個人史を語る。約10名の語り手がひとりずつ、戦前、戦中、戦後の自身の生活や家族、生業などについて話す。中盤では、何度も年を間違え観る者を爆笑に誘ってくれる女性も登場し、全編を通して暗くない。個人史と聞くとイメージしがちな、じっとりとした重たい空気はそこまでなく、鳥取の豊かな自然の風景も堪能できる。語り手の思い出に沿って、カメラはその思い出の土地の現在のようすや、跡形もなくなってしまったようす、また、痕跡がすこしだけ残っているようすなどを映す。映画は、語り手が一人語りをするという形式で進む。しかし終盤で、ついに、聞き手である監督の声が登場する場面がある。カメラを向けている側、撮影者として、自身(の声)が出演することに迷いもあったのではないかと思うが、この声の登場があったからこそ、映画の強い意志を感じることができた。単に、まもなくこの世を去るかもしれない高齢者たちの個人史を聞き出したいという個人的な欲望ではなく、現代の人々すべてに生きることを共に考えてもらいたいという意志が表れた瞬間だった。

 

『異国での生活から』台湾/2020/87分

監督:曾文珍(ツォン・ウェンチェン)

https://yidff.jp/2021/nac/21nac11.html

台湾にも外国人労働者が搾取され酷い扱いを受けている事例が多いらしく、この映画では、一人のベトナム出身女性を中心に、他のベトナム人労働者たちがどのような苦境にあっているかを捉える。メインの被写体となる女性は、台湾に出稼ぎに来たが数年後に雇用主から一方的に雇用契約を解除され、それから帰国する術もなく、また家族にお金を送り続けなければベトナムの家族が路頭に迷うことから、台湾に違法滞在者として暮らしながら働き続ける。他にも、同じような境遇で違法滞在となってしまっているベトナム人男性、女性の労働者をこの映画では訪ねる。日本でもベトナム人労働者たちが多く亡くなっていたり搾取や差別を受けていたりする状況があるが、台湾も似たような状況だったのか、と、ただただ驚く。被写体となるベトナム人労働者たちは概ね台湾で言う国語を話すことができるので、国語で話す。非常に流暢で、それも驚きだった。ベトナム語通訳を交えて撮影されていたらこの映画の感触はどうなっただろうか。それにしても、原題は『逃跑的人』(日本語直訳では「逃亡者」)。原題に近い方が、内容をよく表していると思うのだが、どうしてこの邦題になったのだろうか。ベトナム人男性の一人が描き続けている絵が、非常に色彩豊かで味わい深い絵だった。

 

『駆け込み宿』台湾/2021/54分

監督:蘇育賢(スー・ユーシェン)

https://yidff.jp/2021/nac/21nac05.html

上記『異国での生活から』と同じく、台湾に暮らす、ビザの切れてしまったベトナム人性労働者たちが置かれた状況について表現した、パフォーマンス作品。そのパフォーマンス作品の完成を記録した映画となる。映画の紹介文によると、支援団体か何かが開いたワークショップで、彼女たちが自ら考えて創り出したパフォーマンスのようだ。『異国での生活から』を観た後の方が、この作品をより理解できた。挿入される音楽は、台中の音楽家である劉芳一(Liu FangYi)が担当。