対コロナ便乗型生活見直し記録2021/5/5

軽い鬱状態に入ったのでそそくさと心療内科で睡眠剤とモチベーションを下げない薬を調達した。鬱だとか堂々と書くとギョッとする人がまだいるかもしれないが、この症状はいたって一般的でありふれている。私は15年前ぐらいに数年間かけて元に戻すほどのきつい症状に見舞われたので、兆候が具体的にわかる。青い空をみるととてつもなく悲しく、自宅でのTODOや家事がこなせなかったり、昼間より暗い時間帯のほうがテンションが上がったりする。そして眠れない。こうなると自分でどうにもならないと理解しているので、すぐに病院に駆け込んだ。私はカジュアルに心療内科を探し、カジュアルに投薬する。

 

なぜか、ストーリー性のあるフィクションやノンフィクションは、こういった症状が現れている時のほうが読みやすい。積読していた小説やノンフィクションにどんどん食指がのびる。逆に、文章を読み砕きながら自分の頭で考えて自分の仮説を立てたり持論を磨き上げたりするような作業を要する論文、学術書の類は全然読めなくなる。

 

昨年の緊急事態宣言直後ぐらいに、ジュンク堂で手にとってすぐに何も考えず買った、尹雄大さんの『異聞風土記』をやっと読み始め、2日間ほどでじっくり読み終えた。(私は読むのが遅いので、これはかなり早いほうである)

 

 

 

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今の私は。神戸に引っ越し、神戸に住み、神戸で食べ、神戸で働き。

最近、高校時代に私が漠然と考えていた、神戸に対する違和感、神戸に対するどうも親しくできない感じ。それが、記憶によみがえりつつあった。この本の前半に、私がどうも親しくできないと感じていた要素が描かれていた。

 

著者は神戸出身。山側から海側に向かって住民の所得が低くなる、それがもっとあからさまだった時代。私より少し年上の方なので、私がぎりぎり記憶にある時代に、子供時代を阪神地区で過ごしていらっしゃる。

 

今は、阪急もJRも阪神も、昔ほどの大差はなくなり、何線であろうとそれぞれの主要駅に大きなマンションやショッピングセンターが立ち、どこも便利にきれいに均された。確かに客層の違いはいまだにあるが、昔ほど明らかではない。さらに、今はコロナだから、阪神電車に乗っていれば必ず遭遇したやかまし阪神ファンや競馬競艇ファンは、あまりいない。

 

尼崎市に住みながら、神戸市北区の高校に、片道1時間半かけて通っていた。当時、ほぼ毎日のように元町や三宮を散策し、レコード屋をめぐったり、ほっつき歩いていた。ルーズソックスをはかず、ファミリアも持たないのは学校で少数派で、同級生の女子たちはほぼみんな、ファミリアにルーズソックスにローファーだった。どうして、靴下も靴も鞄も決められておらず自由なのに、自由を自分で選ばないのか。ファミリアもルーズソックスもローファーも持っていなかった私は、不思議に思っていた。不思議だったけれど、他の人の服装や持ち物に心底興味がなかった。

 

高校を卒業してから、あの布の持ち手の短いカバンがファミリアと言うブランドの商品で、それを持つことにステイタスを感じている人が神戸には多かったんだということを、ネット上の記事か何かで大阪と神戸を比較されていることを見て、やっと知った。大阪の高校生は、とにかく派手なブランドバッグを持ちたがるけれど、神戸の高校生は、清楚なお嬢様スタイルを目指していてファミリアが定番、云々、というような。

 

雄大さんは、阪神間モダニズム小林一三のかつての開発計画も絡めながら、阪神間モダニズムの亡霊とも言える、1970〜1980年代の阪神地区のなんとも言えないあの言葉にならないような雰囲気を、言葉で描写する。

 

海よりかは山。阪神よりかはJR。阪神よりかは阪急。人々の意地と見栄とプライドが、あの広い一帯には明らかに滞留していたと思う。その差は今、ごくわずかになったように見えているけど、多少まだ残っている、すっかりなくなっていないような気がする。

 

山の緑が近づくほど、人のプライドと見栄や意地が強くなるような気が、いまだにする。そんな自分こそが、海側と山側の所得格差というイメージあるいは残像をいまだに引きずる、愚かで安っぽい人間なのかも。