対コロナ便乗型生活見直し記録2021/4/29

近所に別に美味しくはないけれども昔ながらのふわふわ甘々菓子パンがずらっと揃うパン屋があり、つい、おやつに買ってしまう。昼前に起きて、そこのパンが食べたくなり、濡れてもいいスニーカーを履いてパン屋に向かったが、今日は定休日だった。

とにかく甘いパンを、と思い、さらに数分歩いたところにあるスーパーに行くことにした。

 

近所の神戸の片田舎のスーパーに、台湾産パイナップルを発見。一つ598円でずっしり重い。平均よりもでかいわたしの手で、片手で胴体がやっと掴めるぐらい。斜め上の棚には石垣の美らピーチパインがある。こちらは800円ぐらいだったか、もうすこし小ぶり。そりゃあ台湾産を買うでしょう。台湾人が必死の思いで開梱し根付かせた石垣のパイン農業。スーパーの果物コーナーから想像力を働かせ、どちらを我は買うべきか、30秒ほど悩むが、安くてでかい方についなびく。

 

家に帰りさっそく入刀し食べるとむちゃくちゃ甘くて水分が多く、美味しい。台湾や南西諸島のあのむんとした湿気、熱気だから育つ果物だよなあ

 

フェイスブックに最近投稿している新生活の惨状に対する(※もちろんプライベート投稿)、他者からのコメントが、なかなか面白い。結局同じようなことで苦しんでいる人はいるし、仲間は少ないと思わないほうがいい。

ちなみに、現在の職場は管理職が現在100%男性で、管理職以外のほぼ9割が女性、という状態。これを変えるには、残念ながら現在管理職の男性が本気で変えようとするしかない。(オセロで4隅取られているようなものだから、4隅とってない奴がどれだけ頑張ったって知れてる)

こういうときに、自分は、地道に良い方向に動く方にニコニコしながらやっていける人ではなく、どちらかというと手榴弾を持って自爆しに行ってしまう人間である。やっぱり組織では働けない、と、腹を括ったほうがいいのだろうか。というか、どうしてこんな昭和時代が残存しているんだろうか。

 

日々デイジョブのことしか考えられていないのだが、いつ、再び書きたいことを書ける日が来るんだろうか。

対コロナ便乗型生活見直し記録2021/4/25

なかなか思うように自分の人生は整備されない。こっちにいってみたらきっとのんびりと平和に楽しく暮らせるんだと思っていたら、それがまた想像もしていなかったいばらの道。こんなはずちゃうかったんや、と、悔しい気持ちで風呂に入る。風呂は最近読書の時間だったのに、気持ちが荒ぶると、自然と活字を目で追うだけになってしまう。何も入ってこない。

 

いばらの道をうろうろしているあいだにどんどん時間は過ぎていて、「ああ去年の今頃も緊急事態宣言が出とったなあ、え、去年何考えとったっけ?あれ、去年これやろうと思ってたこと、今もぜんぜん進んでへんやん」とさらに悔しくなる。失政に憤り、何も進められなかった自分に対しても憤る。

 

緊急事態宣言?知らんがな。

と、電車に乗り、元住居のある此花区へ。見たかった展示はやっぱり緊急事態宣言で閉まっていた。腹が空いていたので馴染みの喫茶店に14:45に駆け込むと、「姉ちゃん、今日は3時で閉めるねん、でもいいで」と言われてスキヤキ定食をさらっとかきこむ。

これみよがしにアンパンマンのオープニングテーマを鳴らし続ける果物屋は開いていて、少し果物を買い、隣のラーメン屋が閉まっていることを確認する。そういえば街が少し静かかもしれない。でもセブンイレブンは開いているし人も多い。1回目の緊急事態宣言と、2回目の緊急事態宣言の、あいだぐらいの緊張感に包まれているのが、この3回目の緊急事態宣言かもしれない。

 

自分はまたしても月給をありがたくいただける仕事にありつけているが、この3回目の緊急事態宣言は、ついにいろんなことが退廃していく通過点となっているような気がしてならない。もうあかんかもしれん。

 

活下去,像牲口一样活下去。(生き延びろ。家畜と同じように、生き延びろ)

 

中国の文革時代に翻弄された女性を主人公とした映画『芙蓉镇』。悲劇の中心にいる主人公である女性の、2人目の配偶者である男性が(姜文が演じる)、当局に拘束される際に女性に放つ言葉。

転職における思考記録

約1ヶ月間ぐらい年度末らしい見事な忙しさだった。デイジョブの転職活動も重なったから、もうそりゃ大変だった。

2015年沖縄に行き、2017年福州へ留学し、2018年那覇に戻り、2019年には大阪に引っ越し、2020年には神戸に引っ越した。紆余曲折、デイジョブも住処もころころ変えてしまったけれど、やっとしばらく定住し定職でじっくり地を固めることができそう。

先日新しい職場に挨拶に伺い、業務引き継ぎの一部をしてもらったが、まず最初に「専門人材の定着をはかっている。正規雇用も今積極的で、変革期にある組織です」という説明を受けて、感動してしまった。2015年、沖縄で文化行政の中間支援組織で働き、それから、やはり行政に近い場所で文化芸術に関わりたいと職を転々としてきたが、数年間で雇い止めになってしまう就業規定や、なるべく薄給でより多くの成果を出させようとする雇用主側にうんざりとしてしまうことが多かった。やっと、私が理想とする組織形態で、文化芸術を市民に提供する仕事に関われる。もし長くここで働き、それなりに動きやすくなってきたら、若い人がこの職業を目指せるような、目指したいと思うような環境整備にも尽力したい。

 

新しいデイジョブが決まるまでは、落ちてしまったのではないかとそわそわし、ネガティブ思考が全開になり、別の人生も考えた。もし不採用の通知が届いたら、あの道に行こう、と、ある程度決めていた。その道も、フリーランスではなかった。

 

私はたぶん古い人間で慎重な人間で、仕事でも社会でも、確固たる評価や業績、深い知見と経験、そういったものが見えるかどうかで判断材料にしたり評価したりする。今さっき出てきた概念や新しいカタカナ言葉をすぐに飲み込み自分がそれを使っていくことは、避けている。中国語の辞書を買うときも、各出版社の評判や評価を中国文学者の意見を調べるようにしたし(今でも愛知大学版が欲しいがまだ手が届かない)、ウィキペディアを信じる前に図書館に行く人間である。

Offshoreとして東アジアの音楽や文化を自分独自の方法でそれなりに調べてきたが、世間一般には何も理解してもらえない活動だな、と思っている。単著や共著がないし、出版社や大学研究機関との協働もほとんどない。履歴書や職務経歴書を書くことに真面目に取り組んだとき、これを書いてどこまで自分のプラスになるのか、もしくはマイナスになるのか、しばらく考えた。あんまりプラスにはならないな。

 

私がこれまでデイジョブで関わってきた"アートマネジメント"という職業も、実態はアートに関する何でも屋さんになりつつあって、アートプロジェクトにおけるどこが自分の得意とする作業なのか、どこが自分が一番丁寧にやってきたことなのか、見えない。アートマネジメントと一言に言っても、事務、企画や渉外、広報やパブリシティ、現場の舞監や、経理など、本来は細かに役割が分かれている。今まではどのデイジョブでも、これらをざっくり全体的にやってきたから、自分が何をやってきたのか、明確に説明できなくて本当に困っていた。ちなみに私が一番自分が向いていてやりたいと思っていることは、事務である。事務がよければ、全てがうまく運ぶ、ような気がしている。

 

つまり、私にはフリーランスとしての経験の厚みがなく、被雇用者としての仕事にもそれがない。

 

自分はどこに向かいたいのか、何をやりたいのか、静かに考えたとき、私はまだまだ文化行政の仕事に関わりたいと思った。

自分がかつて日本に招聘していたシンガポールのアーティストが、2014年ごろ、別の、公的機関が実施していたイベントでライブをしていて、そこにたくさんの観客がいて、「どうして私は自分のイベントでこの結果を作ってあげられなかったのか」と後悔し、悔しかった。私が文化行政の仕事にこだわるようになったきっかけはそこだったが、沖縄で実際に公的機関の文化における中間支援の仕事をすると、どの分野でも、なんのいやらしい気持ちもなく、ただ単に芸術文化の担い手として、より多くの人に豊かさや安らぎを感じて欲しいと願う、その動機だけで活動している人たちがいることを知った。いつのまにか、自分が悔しかったシンガポールのアーティストのライブのことはすっかり忘れてしまっていて、そういう人たちのサポートがしたいと思うようになっていた。

加えて、コロナで露呈したが、もう資本主義のシステムは限界にきている。より貧困格差は大きくなり、すでに文化を享受できる層と、そんな余裕のない層が生まれている。自分だって、お金がないからあれやこれを見に行けなくなっている。マジで金欠の時は、Twitterに流れてくるイベントや展覧会の告知が、金持ちの道楽に見えてくることもある。

自分のような、別に裕福でもなかった家庭の、文化的生活を子供の頃から経験していなかった人間が文化行政に関わることで、何か役に立てるんじゃないか、というのは本気で思っている。

 

というか単純に、私は生きて息をして労働してお金もらって生活するなら、人のためになる仕事がしたい。年上の、特に男性の、これまでフリーランスやクリエイティブな生き方をしてきた人には、私がいつまでも文化行政に関わろうとしていることを変な顔で見られたりすることがあるが、私はただ人の役に立ちたいんじゃ。

MITEKITEN: 『¿Music?』サンガツ

観てきたもの

サンガツ『¿Music?』
2021年2月20日(日)15:30〜
会場:京都府 ロームシアター京都 ノースホール
料金:前売3,000円

 

のっぴきならない事情で冒頭10分ほど遅刻してしまう。(ゴメンナサイ)

 

最初から最後まで、サンガツの誰も姿を現すことがなく終了。

スクリーン代わりの白壁の向こうにおそらく楽器とメンバーが配置されており、私たち観客は白壁のこちら側の座席に座っている。

 

壁にテキストが投影される。その多くが音楽の構成要素や問いを表したもので、その音楽自体や答えにあたるような音楽が、テキストの投影に続いて演奏される。テキスト→音楽、テキスト→音楽と繰り返される。「これは音楽なのか?」といった大きな問いのもとに立ち現れる細分化された小さな問いや、細かな要素や構造の説明と実演だった。

 

メンバー全員が本当にこのロームシアターに来ていたのか、実際に観ていないからわからないし、本当にサンガツのメンバーが壁の向こう側にあるドラムやギター、チャイムを演奏したのかわからない。演奏者はサンガツではなかったかもしれない?笑(とは実際には思っていないが、こちらには見えていないから、そう解釈することだってできる。)

 

紙に数字を鉛筆で書く際の鉛筆芯と紙の摩擦音や、無数のスーパーボールが飛び床に配置された楽器にランダムに跳ね音がなるその音や、水道水を蛇口からひねり出し止めた水流や雫の音を「これは音楽か?」と問われるあたりは、あくまでも音と音楽の関係性についての問いだったと思うが、だんだんとスペクタクルとしての音楽の構造や演出、つまり音楽以外の部分も問われていくのが面白かった。

 

YouTubeの中の演奏とリアルタイムの演奏が切り替わる瞬間の曖昧さにドキッとさせられた。(その境目は非常に曖昧にしてあった/たぶん人間の聴力も感覚も適当で、生のライブかどうかなんて、こんな風にわからないかもしれない)

紙ひこうきに願いを書いて壁の向こうに飛ばし、壁の向こう側からこちらにも紙ひこうきが飛んでくるというのは、いわゆる音楽コンサートにおける「コール&レスポンス」の代替だろう。(いったいどうして一般的な音楽コンサートは、コール&レスポンスが声や身体的態度で表されるのか?)

赤もしくは青のセロハンで映像を見て、そこにある曲線や直線の動きを見ながら頭の中で踊るという指示は、音楽の構造においてなくてはならないとされている「グルーヴ」の無意味化か?

→(※2月21日追記:あのパートは、音楽コンサートを聴く時に視覚で聴く音を選んでいて、それに対する遊びだったのだろうと後から気づく。ギターの音が聞きたければギタリストを見て、ドラムの音が聞きたければドラムを見たりする。)

 

最後は、しばらくムービングライトとスモークマシーンの排気音を聴かせられ、それで公演が終わるというオチだった。(いつも思うのだけれど、音楽コンサートってどうしてあんなに照明が派手なんだろう、視覚効果は本当にその音楽をよりよいものにするんだろうか?私たちは音楽に感動しているんだろうか?視覚効果に感動しているんだろうか?)

 

最近、小倉利丸の『アシッド・キャピタリズム』を読んでいる。自分が労働から得た給与収入でチケット代を支払い、余暇として音楽コンサートを数十年見てきている。その行為を楽しんできたつもりが、いつからか音楽コンサートのシステム、音楽舞台表現の出来上がったフォーマットに嫌気がさしていて、自分が苦手なのはあの「スペクタクル」だったのか、と気づいた。小倉利丸は労働者に与えられたスペクタクルとしての芸術消費行動を指摘しつつ、パラマーケットが発展することで情報ジャンキーになってしまった我々が置かれた状況を「アシッド・キャピタリズム」と名付ける。自分がいる床より高い位置に設置されたステージ上で誰かが動き歌い演奏し時には踊る光景を見、それが素晴らしいものなんだと疑いもせず聴き、ステージ上の表現行為に感動したりする。ステージ側の人数は概ね少数で、多数である観客側つまりは私たちは常にステージ側にお金を支払っているからこそスペクタクルを要求する。

 

サンガツの公演に話を戻すと、特に最後のムービングライトは私が飽きて嫌になってしまったスペクタクルを標榜する存在であり、実は、ムービングライトが常設されているようなライブハウスにはなるべく足を運ばない。あの機械的でやたらと大きな存在感は、私の聴覚をいつも邪魔する。むしろ、あの光と動きこそが、自分を現実に引き戻す効果を持っている。「舞台上の人、えらいかっこつけてはるわ〜」と。また、ライブハウスで働いていた時、あのスモークマシーンのシュ〜ー〜〜ー、という情けない音も大嫌いだった。あの音こそが音楽の邪魔をしてるねん、と思いながらもスモークが好きそうなバンドには焚きまくってやったりした。ただし、今回スモークマシーンだけの音を聴いていると、間隔が一定で、なかなか悪い音ではなかった。

 

サンガツというバンドの公演だと謳っているのにメンバーが一切観客の前に現れなかったことも、スペクタクルへの拒否とも取れる。どうして、私たちは「バンド」や「ミュージシャン」が目の前に登場し肉眼で拝むことができると、ありがたがったりうれしがったりするのか。

 

劇場を出て階段をのぼる際、近くにいた若い男性2名がこんな会話をしていた。

サンガツ知ってた?」

YouTubeでは一回だけ見て。今日は予習せんと来ようと思ってん」

「そうなんや」

 

いまだに強く印象づいたあの時代のサンガツのアンサンブルの音が、その会話により少しだけ脳に思い出されたのと、予習せんと来てほんまに良かったかもしれへんなあ、と思ったというのと、予習が必要なほど私たちはどんな期待と役割を音楽に求めているのか、というのと。

 

この公演を見て、怒る人もおもんなかったと吐き捨てる人もいることはもちろん当たり前で、怒った人は正しい。金を払ったのだからスペクタクルを見せろと憤慨するべきである。ただ、サンガツもスペクタクルとしての音楽演奏ができる技術をもった演奏家集団であり、観客に対して観客が望む通りに楽しませることはできるはずなのに、どうしてこの公演ではやらなかったのか。それを観客の私たちは今、考えておくべきなのではないかと思う。コロナでまだ世界が元に戻らない今のうちに。サンガツが先陣を切ってこういった公演を創作しなければ、いつまでたっても私たちは議論を始めないかもしれない。音楽公演とはどうあるべきか。音楽とはどうあるべきか。音楽とは何なのか。音楽の構成要素は本当にそれらなのか。音楽は、これからもスペクタクルであり続けなければいけないのか、これからも消費行動の一つとして音楽をフォーマットの規格内で取り扱わなければならないのか。

 

***思い出したことをいくつか追記しておきます***

 

 

※2月24日追記:

見終わった後、上のようなTweetを投稿した。

冗談抜きに、いろいろ達観してしまったロックスターはあんな悪夢を見るんじゃないかと思う。「アンサンブルが合わない」とか「客が見て欲しいところを見てくれない」とか。そして最後は何かが空回りしてしまい華やかな照明とスモークだけが寂しくステージを彩る……。

 

 

バンドのあり方、みたいなことが、大なり小なり市場経済で何かを売買していくことでしか成り立っていなくて、その中に、そのバンドの「ブランディング」や「広告メディアとしてのバンド」みたいなところも含まれてきてしまう。そうなることが、音楽にとって本当のところはどうなのか、議論がまったく足りていない。音楽があらゆるしがらみから解き放たれた状態はどこで成立するのか、どんな形なのか。

 

そういったことを考えた時に、おそらく多くの人が「盆踊り」や「祭り」の方面に行く。大友良英さん、大石始さん、橋の下音楽祭等が、商業にどっぷり浸かってしまった音楽を一度拾い上げて「民俗音楽」あるいは「限界芸術」として再生させようとしている。しかしながら、そうなったときに必ず日本の「民俗」や「ルーツ」のようなこともつきまとう。私がいまだに盆踊りに興味をもてない理由は、自分が生まれ育った街にマジで盆踊りがなかったからだ。祭りは大嫌いだったし、地元のコミュニティの閉塞感が嫌いで仕方なかったから、どこかの地域に属することが今でも考えられない。

そんな自分が、商業に浸かった音楽をどうにかそこから取り出し金銭や地位名誉メンツの利害関係から引き離すとしたら、たぶんサンガツと同じような方向を考えるのだと思う。だから今回の壮大なコントのような公演を見て、大興奮できたのだと思う。

例えば盆踊りや民俗音楽に親しんでいた人が今回の『¿Music?』を観たなら、「どうしてこっちに来ないの?」と思うのかもしれない。

 

 

大興奮して楽しくなってTwitterで今回の公演に対する感想やコメントを探すと、美術に親しんでいる人からの冷静で辛辣な意見や声がちらほらあった。

 

バンドが「商業的でない」方向に行く時、上記に書いたような「盆踊り或いは民俗音楽」に向かう場合と、「サウンドアート」に向かう場合が多い。サンガツはそのどちらにも向かっていない。おそらく、「サウンドアート」と呼ばれるより美術的な領域に向かうなら、アート的戦略のために「バンド」という呼称は脱ぎ捨てて「ユニット」や「グループ」を使うほうが活動しやすくなるはずである。そういった言葉のイメージで私たちは音楽や美術をブランディングしていたりする。

 

サンガツが今も執拗に「バンド」と自称することにはしっかり意味があり、「音をつかう美術表現」に移行しているわけではない。私はもともと美学や美術の素養がないので、どのような公演も美術批評的な観点で観ていないし観れないのだが、美術や美学的観点で観てしまうと本当にきつかっただろうとは思う。だって、もともと美術とはルールがまったく違う音楽の、その固定されてしまったルールを問い直すようなネタを、延々とやっていたのだから、それを美学や美術の観点で解こうとしてもどうしても解けないのである。

 

ただ本当に、公演で行われた全てのネタは、バンドが音楽活動をしていく上で出会わざるを得ない瞬間瞬間であるはずだ。多くのバンドは、そのそれぞれの瞬間を、演出表現として飲み込み、大人になり、より自然に自装する技を身に着ける。

 

(なんども照明のことを取り上げてしまうが、例えばライブハウスで出演するバンドは、今日演奏する曲目のセットリストを事前に書かされたりする。この理由の一つは、JASRAC著作権管理団体に登録している楽曲のカウントをライブハウスがしたいためであり、もう一つの大事な理由は、照明への申し送りである。ライブハウスによっては、照明希望欄のようなものがあり「青っぽく」とか「派手に」「リズムに合わせて」とか書き込める。)

 

サンガツは「音楽の著作権を放棄した」ことが大きな話題になったしチェルフィッチュの劇伴でも有名だが、「美術界に移動しました」とは言っていない。誰とも被らない誰もやっていないことを実現する「バンド」でしかないと思う。そして、美術の場でもなく、既存音楽シーンの場でもない、誰もいない場にポツリといて、「バンド」という呼称だけ使用している。

 

 俗に言う「バンド」っぽいことをやらないのに「バンド」を自称するサンガツを、真面目に正面から「美術的に」見なければならないのなら、それはそれで美術>音楽のヒエラルキーについても考えてしまう。美術の観点は音楽に応用できるのか?もし美術での様々なルールが音楽にも適用されるなら、そこには美術>音楽のヒエラルキーがあるということではないか?また、美術>音楽のヒエラルキーを浮き上がらせることさえも、サンガツは計算していたのではないか?と思ってしまう。

MITEKITEN: 『イッツ・ア・スモールワールド(KYOTO EXPERIMENT)』と演劇配信『人類館』

京都国際舞台芸術祭 Kyoto Experimentの『イッツ・ア・スモールワールド』という展示へ。

 

kyoto-ex.jp

 

 

 

時間を忘れるほど、膨大で濃密で、かつ多角的に「搾取する」「搾取される」「観る」「観られる」ことを考える展示だった。「帝国主義の悪質なスペクタクルを批判せよ」と頭ごなしに言われるのではなく、事実と世界各地の学者や作家の様々な角度からの人類展示へのコメントを交互に読ませられ、これほどまで残酷だった時代を冷静に批判できるような温度を保てる構成になっている。

 

那覇に4、5年住んだが、沖縄では「人類館事件」は有名で今も方言札などとともに議論されるトピックである。しかし、2015年沖縄に引っ越すまで三十数年間関西に住んでいた私は、大阪の内国勧業博覧会で人類館という見世物が行われたことは知らなかった。沖縄に住んでいた経験がなければ、「人類館」という言葉に反応しなかったかもしれない。

 

展示会場の構成が秀逸だった。世界の博覧会における人類展示の歴史や実態が全体を通して知れるようになっているが、日本国内で起こった「人類館」についてのみ、部屋が区切られている。いわば日本の内部における民族差別、日本内での搾取構造をえぐりとるのが「人類館」コーナーだから、西洋から第三世界への目線とは区切ってあるということでもある。この構成の仕方に感心した。展示会場の隅にある小さな小部屋に入ることが、身体的に、世界の中の日本の、日本の中の民族差別や搾取構造を考えさせられる。そして、そのコーナーが順路でいうと前半、たった4分の1ほどしか進まないエリアにある。この位置にあった理由としては、年代順という意味も大きいかもしれないが、あの時点で大阪天王寺で実際に開催された「人類館」の実態を目に入れ考えさせられることで、その後も続く世界における人間展示事例を、内側の視点を忘れることなく見ることができる。

 

人類館コーナーでは、琉球新報社が当時出した抗議の社説も紹介されていて、それを読むと膝から崩れ落ちそうになった。

 

私はなぜかキューバに3ヶ月ぐらい滞在したことがあったのだが、その際、後半になるにつれてキューバ国内での人種差別構造がわかってきてうんざりした。黒人は差別を受けていたが、さらに、私たちのような黄色人種が歩いていると黒人にも執拗に差別された。アジア人が一番指さされるのだ。差別された者がさらに誰かを差別する構造は、例えばアジアのなかでもあるだろう。現に日本ではいまだに日本以外のアジア地域に対する蔑視発言を聞いてしまうことがある。

 

すべて細かく見ようと思えば3時間ぐらいはかかる展示。今週末京都にまた行く予定があるから、もう一度行くかもしれない。

 

 

夜、ツイッターで知ったこの演劇の配信を見た。

www.jinruikan.com

 

 

人類館や、沖縄が受けた差別が連鎖して、ストーリーになっていく。米軍基地の押し付け、第二次世界大戦時の沖縄戦、そして沖縄の人が沖縄の人を差別する関係も描く。沖縄内での差別に関して描かれた部分は、すべてがうちなーぐちとなり、8割ほど聞き取れなく残念だった。しかしそれが、より身近な場所での差別を認識させるための演出なのだろう。

 

たまたま私は『イッツ・ア・スモールワールド』を見た日に『人類館』を見ることができたけど、どうせならタイアップしてしまえばよかったのに、と思う。関西の人は、配信が終わる2月21日までに京都に行って『イッツ・ア・スモールワールド』を見て、家に帰ってこの『人類館』配信を見るべし。

 

『人類館』はある程度沖縄に知識がなければ理解できない部分も多いと思うが、これだけ「言葉が違う」という文化の違いを知るだけでも、我々ヤマトの人間には考えるきっかけとなるのではないだろうか。

 

 

 

ちなみに、私がOffshoreという商業的にガツガツしないメディアを運営している意味は、この差別や搾取、アプロプリエーションの構造に疑問を持っているからである。静かに常に、そういった構造に抵抗をしているつもりである。特に日本からアジアを見た時、「西洋から見たアジア」を参考にしながら見てしまうようなことがある。日本もアジアのくせに、「アジア」と言うとき、やけに他人事になる。そしてアジアそれぞれの地域にいまだに偏見を持つ人は多い。

 

しかしながら、私が中国や香港で出会った表現者にインタビューを取り彼らのことを書く場合、それも彼らを何らかの形で搾取してしまう可能性はある。中国や香港にエキゾチシズムを感じている人や、オリエンタリズムへの欲望の材料として用いたい人に、格好の機会を与えてしまわないか。2011年から2015年頃まではまだまだ書き手としてノンポリで怪しいものを書いていたが、2015年頃からは、常にその点に気を使っているつもりである。2018年頃、Offshoreウェブサイトリニューアルの際、そういった意味で自分の基準を明らかに満たさなかった記事は削除した。

 

2016年頃にはドキュメンタリー映画といくつか関わった。ドキュメンタリー映画というものが対象を搾取したり、作り手の都合で「言いたいこと」の材料にされてしまう可能性があるのだということに気づいた。ドキュメンタリー映画にその可能性があるということは、ノンフィクションの文章にだってその可能性があるのだ。

 

私はいつまでたっても「私は搾取も差別も絶対しない」とは断言できない。もし私がそのように断言してしまう時が来たら、それは、過剰な自信により、他者の痛みや悔しさや悲しみに想像が及ばなくなってしまった時だろう。

思い出した

帰宅すると、今尾拓真個展『work with #9(CLUB METRO空調設備)』について3人が書いたテキスト集が届いていた。

work with - imao takuma works

 

私以外にキュレーターの檜山真有さん、小説家の大前粟生さんが書いており、3人が3人とも全く別の方向を向いている文章で、(その一人は自分なのに自画自賛するようで気持ち悪いが)面白すぎて仰天。でもどこか小さな部分に関しては共通しているような気もする。これを編集する時、今尾さんが一番楽しかったんだろうなあと思ってその役割が羨ましくなる。

それにしても自分の文章は、なかなか今尾さんの展覧会について書かず、書いてもまた別の話題に移り、ちょっと変すぎてびっくりしてしまった。(客観的に見ると変だと認識できる。無理くり話題を逸らすことは、敢えてやろうと計画したことでもあったのだけれど、度が超えてたかな?と思う……読まれた方、あっちゃこっちゃに意識飛ばしてしまいすみません……。)

 

ところで今尾さんのやっているバンド「M集会」、かっこよくね?

youtu.be

 

 

 

 

大尊敬する亜洲中西屋さんが手がけた、大竹彩子さんの展覧会『GALAGALAGALA』のレセプションに伺う。心斎橋にまったく行かなくなっており、心斎橋パルコに行ったのももちろん初めて。

渋谷のパルコに何度か行った感覚からすると、1FにGUCCIや高級ブランド店がありビビってしまうが、ギャラリー空間はパルコ感がたっぷり。パキッと明るい色のペイントと、こんな風に見えるのかと驚く写真。ZINEが面白く、一番地味な色合いだけれどもぶっ飛んでいる日本の色々を撮影したZINEを買う。普段の生活がおもんなくなったら、こんな風にいつもの景色を見たらいいのかもしれない。

もうほとんど酒が飲めなくなってしまったが、また亜洲中西屋さんと終わらない飲みの席をご一緒したい。(最近の私はソフトドリンクで延々と飲めるようになったので最強である。)

 

art.parco.jp

 

 

昼は久々にとある方と電話で話す。それこそアジアから招聘した音楽家たちのイベントに多々協力していただいた方で、パルコ的なカルチャーとも近い方なので、あれ、今日は何かな?何かを暗示されているような気になる。

 

 

以前こんなことをブログに書き、ハローワークに行き1つ週5の仕事の面接を受けてみたが、見事に落ちた。仕方なしにもう少し週3ギリギリ生活を続けてみるか。どうしようか。

デイジョブと生活と収入の均衡 - 別冊Offshore / 山本佳奈子のblog

 

最近の私といえば「公共」や「行政」に近いところに居るようにしていたけれど、もしかしたらもうそれも潮時かもしれない。昔の自分が今ここに現れてきて笑う。「"お試し"で"社会勉強"でやってたのに、何をその気になっとんねん」と。元々は完全自主運営を美学とする人間なのでした。

 

とある公共施設でノイズ音楽を聴いたとき、どうしてこういうことが「公共」でも成立し「DIYアンダーグラウンドな場」でも成立してしまうのか、不思議だった。自分の出自はDIYとかそちら側だから、「公共」も知っておくことが強みになるのではないか。また、「公共」を知ることで狡猾に立ち回れないか。例えば「公共の場」でまったく評価されてないものやまだまだ評価の追いつかないものをぶち込んだり。そういうことがしてみたいから、「公共」に居るんだった。

 

起点が最近ぼやけつつあったけれども、これを思い出せたことにより、これからの職探しも少し気が楽になるような感覚がある。

バムソム海賊団ソンゴンのブログ

Twitterにも書いたが、ソウル弘大で繰り広げられたミュージシャン達による社会運動を追った映画『パーティー51』にも登場していたバムソム海賊団(バンド史上何度か目の解散中)のベース&ボーカリストであるソンゴンが始めたブログが面白い。

 

 

김준평의 블로그

http://kjp666.blogspot.com/

 

映画『パーティー51』ツアーの際、トークで彼が非常に若い頃から海外でもリリースしていたことは話題に出した。ソンゴンは10代の頃に폐허(PYHA - ハングルでは廃墟の意味)という一人ブラックメタルプロジェクトをやっていて、14歳の頃に、PYHAの音源がサンフランシスコのtUMULtレーベルからリリースされた。

 

それについてトークで語っている部分はこの記事にも書いている。

映画『パーティー51』上映後トーク:パク・ダハム×バムソム海賊団×ハ・ホンジン×チョン・ヨンテク監督 | Offshore

 

そういえば当時渋谷アップリンクで『パーティー51』の上映とトークイベントを担当してくださっていた、黒光湯や黒パイプの倉持さんが、ソンゴンが10代の当時リリースしていたカセットテープか何かを買っていたらしく、「ソンゴンくんの音源、持ってました!」と言われて驚いた。10代から一人で活躍しまくっていたソンゴンもすごいが、倉持さんのアンテナもすごい。あと、やっぱりこういった特殊でエクストリームなジャンルの音楽というのは、とても狭く濃密なコミュニティを形成する。アップリンクでのトークの日、倉持さんは家からその音源を持ってきていて、ソンゴンにサインを入れてもらっていて、側で見ていてほっこりした。ソンゴンも、いつのまにか映画の上映が日本で決まっていてツアーやるからと連れてこられ、そうしたら東京上映会場の映画館スタッフが自分の過去の音源を持ってたなんて、驚いただろう(笑)。

 

ソンゴンのブログの話に戻ると、彼が高校を中退し音楽にのめり込んだあたりから彼の記憶が綴られている。当時、ソウルでどのような音楽関係者に出会ったのか。メタルではどのようなミュージシャンがいたのか。また、インターネットでどのような出会いがあったのか。Google翻訳では理解に限界があるが、ざっくりとした内容だけでも読んでいて非常に面白い。そして、話題に出てくる当時のミュージシャン(主にブラックメタル)のYouTube動画が貼り付けられているのもうれしい。

 

はっきりと覚えてはいないけれど、2015年の『パーティー51』ツアー当時、ソンゴンはまだ24〜25歳ぐらいだったと思うから、やっと今30歳ぐらいになるのか。彼のInstagramによると、今も彼は一人で怖い音楽を作り、ホラードラマやホラー映画の劇伴をしたり、ちょっとサウンドアート寄りのプロジェクトなんかにも参加していたりするみたいである。

 

最近自分のなかでのちょっとしたブームが、過去のニッチな音楽コミュニティ周辺のストーリーを探ることである。

例えばcontact Gonzoの塚原悠也が出した書籍『Trouble Everyday』では、梅田哲也、江崎將史、ヨシカワショウゴ、和田晋侍らパフォーマティブな音楽家たちへ、フェスティバルゲートとBridgeがあった頃や現在に至るまでの様々な事象を聞き、インタビュー口語そのままオーラルヒストリーとしてまとめずにそのまま綴っている。この書籍、ここ20年ぐらいの関西の音楽を知るうえで一番面白く重要だと思っている。

他にも、ハードコア周辺で書籍が最近多く出ており、先日京都とぅえるぶにて買い占めてしまった。いつ読み始めるのかわからないけれど、積ん読を眺めるだけでもとにかく楽しい最近である。

先日はオフサイトにまつわるトークイベントがSNS上で話題になっていたが、過去は過去であり、やはり当時その渦中にいた音楽家やアーティストは「なんであの当時に注目せんと今ごろやねん」「過去のこと今やるんかい」と思うだろう。その気持ちは十分にわかる。だからあまり大きく話題にしてしまわないような最低限の礼儀をわきまえた上で、彼らが当時どんな社会においてどんな活動をどんな考えのもとに行なっていたのか、それを知り、さらに未来を想像することだけは、どうかお許しください、とも思う。