転職における思考記録

約1ヶ月間ぐらい年度末らしい見事な忙しさだった。デイジョブの転職活動も重なったから、もうそりゃ大変だった。

2015年沖縄に行き、2017年福州へ留学し、2018年那覇に戻り、2019年には大阪に引っ越し、2020年には神戸に引っ越した。紆余曲折、デイジョブも住処もころころ変えてしまったけれど、やっとしばらく定住し定職でじっくり地を固めることができそう。

先日新しい職場に挨拶に伺い、業務引き継ぎの一部をしてもらったが、まず最初に「専門人材の定着をはかっている。正規雇用も今積極的で、変革期にある組織です」という説明を受けて、感動してしまった。2015年、沖縄で文化行政の中間支援組織で働き、それから、やはり行政に近い場所で文化芸術に関わりたいと職を転々としてきたが、数年間で雇い止めになってしまう就業規定や、なるべく薄給でより多くの成果を出させようとする雇用主側にうんざりとしてしまうことが多かった。やっと、私が理想とする組織形態で、文化芸術を市民に提供する仕事に関われる。もし長くここで働き、それなりに動きやすくなってきたら、若い人がこの職業を目指せるような、目指したいと思うような環境整備にも尽力したい。

 

新しいデイジョブが決まるまでは、落ちてしまったのではないかとそわそわし、ネガティブ思考が全開になり、別の人生も考えた。もし不採用の通知が届いたら、あの道に行こう、と、ある程度決めていた。その道も、フリーランスではなかった。

 

私はたぶん古い人間で慎重な人間で、仕事でも社会でも、確固たる評価や業績、深い知見と経験、そういったものが見えるかどうかで判断材料にしたり評価したりする。今さっき出てきた概念や新しいカタカナ言葉をすぐに飲み込み自分がそれを使っていくことは、避けている。中国語の辞書を買うときも、各出版社の評判や評価を中国文学者の意見を調べるようにしたし(今でも愛知大学版が欲しいがまだ手が届かない)、ウィキペディアを信じる前に図書館に行く人間である。

Offshoreとして東アジアの音楽や文化を自分独自の方法でそれなりに調べてきたが、世間一般には何も理解してもらえない活動だな、と思っている。単著や共著がないし、出版社や大学研究機関との協働もほとんどない。履歴書や職務経歴書を書くことに真面目に取り組んだとき、これを書いてどこまで自分のプラスになるのか、もしくはマイナスになるのか、しばらく考えた。あんまりプラスにはならないな。

 

私がこれまでデイジョブで関わってきた"アートマネジメント"という職業も、実態はアートに関する何でも屋さんになりつつあって、アートプロジェクトにおけるどこが自分の得意とする作業なのか、どこが自分が一番丁寧にやってきたことなのか、見えない。アートマネジメントと一言に言っても、事務、企画や渉外、広報やパブリシティ、現場の舞監や、経理など、本来は細かに役割が分かれている。今まではどのデイジョブでも、これらをざっくり全体的にやってきたから、自分が何をやってきたのか、明確に説明できなくて本当に困っていた。ちなみに私が一番自分が向いていてやりたいと思っていることは、事務である。事務がよければ、全てがうまく運ぶ、ような気がしている。

 

つまり、私にはフリーランスとしての経験の厚みがなく、被雇用者としての仕事にもそれがない。

 

自分はどこに向かいたいのか、何をやりたいのか、静かに考えたとき、私はまだまだ文化行政の仕事に関わりたいと思った。

自分がかつて日本に招聘していたシンガポールのアーティストが、2014年ごろ、別の、公的機関が実施していたイベントでライブをしていて、そこにたくさんの観客がいて、「どうして私は自分のイベントでこの結果を作ってあげられなかったのか」と後悔し、悔しかった。私が文化行政の仕事にこだわるようになったきっかけはそこだったが、沖縄で実際に公的機関の文化における中間支援の仕事をすると、どの分野でも、なんのいやらしい気持ちもなく、ただ単に芸術文化の担い手として、より多くの人に豊かさや安らぎを感じて欲しいと願う、その動機だけで活動している人たちがいることを知った。いつのまにか、自分が悔しかったシンガポールのアーティストのライブのことはすっかり忘れてしまっていて、そういう人たちのサポートがしたいと思うようになっていた。

加えて、コロナで露呈したが、もう資本主義のシステムは限界にきている。より貧困格差は大きくなり、すでに文化を享受できる層と、そんな余裕のない層が生まれている。自分だって、お金がないからあれやこれを見に行けなくなっている。マジで金欠の時は、Twitterに流れてくるイベントや展覧会の告知が、金持ちの道楽に見えてくることもある。

自分のような、別に裕福でもなかった家庭の、文化的生活を子供の頃から経験していなかった人間が文化行政に関わることで、何か役に立てるんじゃないか、というのは本気で思っている。

 

というか単純に、私は生きて息をして労働してお金もらって生活するなら、人のためになる仕事がしたい。年上の、特に男性の、これまでフリーランスやクリエイティブな生き方をしてきた人には、私がいつまでも文化行政に関わろうとしていることを変な顔で見られたりすることがあるが、私はただ人の役に立ちたいんじゃ。