MITEKITEN: 『イッツ・ア・スモールワールド(KYOTO EXPERIMENT)』と演劇配信『人類館』

京都国際舞台芸術祭 Kyoto Experimentの『イッツ・ア・スモールワールド』という展示へ。

 

kyoto-ex.jp

 

 

 

時間を忘れるほど、膨大で濃密で、かつ多角的に「搾取する」「搾取される」「観る」「観られる」ことを考える展示だった。「帝国主義の悪質なスペクタクルを批判せよ」と頭ごなしに言われるのではなく、事実と世界各地の学者や作家の様々な角度からの人類展示へのコメントを交互に読ませられ、これほどまで残酷だった時代を冷静に批判できるような温度を保てる構成になっている。

 

那覇に4、5年住んだが、沖縄では「人類館事件」は有名で今も方言札などとともに議論されるトピックである。しかし、2015年沖縄に引っ越すまで三十数年間関西に住んでいた私は、大阪の内国勧業博覧会で人類館という見世物が行われたことは知らなかった。沖縄に住んでいた経験がなければ、「人類館」という言葉に反応しなかったかもしれない。

 

展示会場の構成が秀逸だった。世界の博覧会における人類展示の歴史や実態が全体を通して知れるようになっているが、日本国内で起こった「人類館」についてのみ、部屋が区切られている。いわば日本の内部における民族差別、日本内での搾取構造をえぐりとるのが「人類館」コーナーだから、西洋から第三世界への目線とは区切ってあるということでもある。この構成の仕方に感心した。展示会場の隅にある小さな小部屋に入ることが、身体的に、世界の中の日本の、日本の中の民族差別や搾取構造を考えさせられる。そして、そのコーナーが順路でいうと前半、たった4分の1ほどしか進まないエリアにある。この位置にあった理由としては、年代順という意味も大きいかもしれないが、あの時点で大阪天王寺で実際に開催された「人類館」の実態を目に入れ考えさせられることで、その後も続く世界における人間展示事例を、内側の視点を忘れることなく見ることができる。

 

人類館コーナーでは、琉球新報社が当時出した抗議の社説も紹介されていて、それを読むと膝から崩れ落ちそうになった。

 

私はなぜかキューバに3ヶ月ぐらい滞在したことがあったのだが、その際、後半になるにつれてキューバ国内での人種差別構造がわかってきてうんざりした。黒人は差別を受けていたが、さらに、私たちのような黄色人種が歩いていると黒人にも執拗に差別された。アジア人が一番指さされるのだ。差別された者がさらに誰かを差別する構造は、例えばアジアのなかでもあるだろう。現に日本ではいまだに日本以外のアジア地域に対する蔑視発言を聞いてしまうことがある。

 

すべて細かく見ようと思えば3時間ぐらいはかかる展示。今週末京都にまた行く予定があるから、もう一度行くかもしれない。

 

 

夜、ツイッターで知ったこの演劇の配信を見た。

www.jinruikan.com

 

 

人類館や、沖縄が受けた差別が連鎖して、ストーリーになっていく。米軍基地の押し付け、第二次世界大戦時の沖縄戦、そして沖縄の人が沖縄の人を差別する関係も描く。沖縄内での差別に関して描かれた部分は、すべてがうちなーぐちとなり、8割ほど聞き取れなく残念だった。しかしそれが、より身近な場所での差別を認識させるための演出なのだろう。

 

たまたま私は『イッツ・ア・スモールワールド』を見た日に『人類館』を見ることができたけど、どうせならタイアップしてしまえばよかったのに、と思う。関西の人は、配信が終わる2月21日までに京都に行って『イッツ・ア・スモールワールド』を見て、家に帰ってこの『人類館』配信を見るべし。

 

『人類館』はある程度沖縄に知識がなければ理解できない部分も多いと思うが、これだけ「言葉が違う」という文化の違いを知るだけでも、我々ヤマトの人間には考えるきっかけとなるのではないだろうか。

 

 

 

ちなみに、私がOffshoreという商業的にガツガツしないメディアを運営している意味は、この差別や搾取、アプロプリエーションの構造に疑問を持っているからである。静かに常に、そういった構造に抵抗をしているつもりである。特に日本からアジアを見た時、「西洋から見たアジア」を参考にしながら見てしまうようなことがある。日本もアジアのくせに、「アジア」と言うとき、やけに他人事になる。そしてアジアそれぞれの地域にいまだに偏見を持つ人は多い。

 

しかしながら、私が中国や香港で出会った表現者にインタビューを取り彼らのことを書く場合、それも彼らを何らかの形で搾取してしまう可能性はある。中国や香港にエキゾチシズムを感じている人や、オリエンタリズムへの欲望の材料として用いたい人に、格好の機会を与えてしまわないか。2011年から2015年頃まではまだまだ書き手としてノンポリで怪しいものを書いていたが、2015年頃からは、常にその点に気を使っているつもりである。2018年頃、Offshoreウェブサイトリニューアルの際、そういった意味で自分の基準を明らかに満たさなかった記事は削除した。

 

2016年頃にはドキュメンタリー映画といくつか関わった。ドキュメンタリー映画というものが対象を搾取したり、作り手の都合で「言いたいこと」の材料にされてしまう可能性があるのだということに気づいた。ドキュメンタリー映画にその可能性があるということは、ノンフィクションの文章にだってその可能性があるのだ。

 

私はいつまでたっても「私は搾取も差別も絶対しない」とは断言できない。もし私がそのように断言してしまう時が来たら、それは、過剰な自信により、他者の痛みや悔しさや悲しみに想像が及ばなくなってしまった時だろう。