犬が見ている - 犬との一週間(1)

 その犬との初めての散歩が終わり、私はキッチンで手を洗う。数日前からぐんと気温が下がり、秋らしくなった。風は冷たいが、空は気持ちよく晴れていて、ベランダにも部屋にも、美しく陽がさす。
 初めて使うキッチンを物色していると犬が私をちらちらと見ている。人間のようすであれば、右往左往している、というような状態だ。
 犬は、犬の飲水と餌が置いてある場所におり、そこから、空っぽの餌の皿と私を交互に見ている。この、今日1歳になったばかりの中型犬、雄犬は、たぶんこう言っていた。
「あの。(空っぽの皿を見る) いつも散歩から帰ってきたら、(私を見る) ここに、(空っぽの皿を見る) 餌をね、(私を見る) 入れてもらってるんですけど(空っぽの皿を見る)。」

 

 慌てて、事前に飼い主から聞いていた餌のストック場所に行き、皿に餌を盛り付ける。だいたい量はこれぐらいだろうか。犬が届きそうな場所に置いてあるこの餌の大袋に、万が一犬が顔をつっこみ大惨事、なんてことが起こったらどうしよう、という心配が突如現れ、念には念を、普段より少し大袋の位置が高くなるようにして餌のストック場所をきれいに正した。
「この犬は、餌を食べる前に、おすわり、待て、とか号令を必須としていたんだろうか?まあ飼い主から聞いていないからいいか」と、餌の入った皿を持ちながら考えていると、犬は皿にものすごく集中してものすごく鼻と口を近づけていて、私には、ただちにその皿を床に置く以外の選択肢はなかった。その犬、たった15秒ほどで餌を完食してしまった。

 

 一時的に職についておらず休息期間にある私は、友人宅の犬の世話を買って出た。1週間、その家から人間が誰もいなくなるため、私は犬の散歩と餌やりを朝夕毎日2回遂行し、犬と一緒に寝起きする。キッチンも自由に使って良いと言ってもらえたため、自炊もできる。自宅でできる生活をそのまま友人宅でする、ということになる。職についていないから普段あまり人と会わなくなっている私は、犬と遊んで気晴らしすることが身体に良さそうだとも感じたし、何より最近、犬が好きだ。この友人宅にはこれまで何度か来ており、その犬とも何度か会っている。利口で優しい犬だということを知っているから、私はその1週間を迎えることが楽しみだった。
 一方、犬の方は、これまでも約1週間の留守番を経験している。その際は、近隣の人間に毎日散歩だけは連れて行ってもらっていたらしいが、やはりストレスが溜まり、部屋中を荒らしてしまっていたらしい。飼い主ではない私ごときがこの犬のお役に立てるかどうかはわからないが、とにかく、飼い主が戻らず寂しいという気持ちを忘れるぐらい、一緒に体を動かして遊んでやろう、とも考えていた。
 ちなみに私は犬を飼ったことがなければ、猫も、ウサギも、鳥も、動物をいっさい飼育したことがない。犬に関しては、10年ぐらい前までは怖い動物だと感じていた。あの歯、牙、爪、吠えた時の大きな声、速い足。本気で攻撃されたら人間は負けるはずだ、と思っていたが、よく考えれば犬より人間の方が概ね体長は大きく、犬からしてみれば人間こそ怖いだろう。また、いくらか素敵な犬と出会ってから、私は犬への触れ方を学んだ(頭の上に急に手を出したりせず、友好的な表情をしながら、ゆっくり手を差し出す。その手は犬の目線より下に出し、まずは匂いを嗅がせる。そして、犬が私の手を拒まなければ、その手をゆっくり伸ばし、首や背中、腰などに触れる。その時、頭は触らないようにする。首、背中、腰など、人間でも凝っている部分をマッサージするように揉んであげる)。そうすると、犬と触れ合うことがこちらもどんどん気持ち良く楽しくなってきた、という次第だ。

 

 そうはいっても、一つの空間に犬と自分しかいない、という体験は、この時が初めてだった。犬を怖がっていた時の記憶がふと戻る。もし、この犬が私に噛み付いたら、どうなるんだろう? と一瞬考え背筋が凍りそうになる。けれども、犬はさすがに訳のわからない化け物ではない。犬だって、噛み付くという動作に移る前には何らかの動機や原因があるはずだ。今、この目の前にいる犬は、朝の餌を食べて腹がいっぱいで陽だまりの中でうとうとしている。黒く艶のいい毛並み全体が、しっかり陽だまりの中に入るように、寝そべり方を工夫している。その姿を眺めているだけで、こちらも日光浴をしているように眠くなる。噛み付くという行為を引き起こすであろう「攻撃」や「防衛」なんていう言葉が似合わない午前の陽だまり。
 気持ちよくうとうとしているその犬を眺めているだけでこれだけ幸せなのか……。この機会にと、どっさり持ってきた本をテーブルに並べ、犬が見える位置に座り、読書を始める。視線は活字を追うが、どうも身が入らない。活字か犬か。犬のほうを見たい。犬を観察したい。
 読書をしているふりをしながら、結構な頻度で犬のほうに視線をずらすと、犬とよく目が合う。どうやら、犬も陽だまりのなかでうとうとしているふりをしながら、いや、本当にうとうとしているが、寝落ちしそうになると「いかんいかん寝てしまうところだった」といったようすで私に目を向ける。犬も、私を見たいらしい。「突然やってきて一緒に散歩したこの人間は、誰か。何をしているのか。いつまでいるのか」などと考えているのだろうか。
 ならばこちらは正々堂々と犬に視線を送ろう、と、本を閉じ、犬の目をじっと見てみる。犬もじっと私の目を見るが、最後には犬が私から視線を外し、目をつむったり、横を向いて体を掻いたりする。そんな視線のやりとりを続けていると忙しく、結局1週間はあっという間に過ぎた。1週間のうちに読めた本は、2冊ぐらいだった。

 

 ということは、犬も忙しいということになる。毎日、同居している人間が何をしているのか、視野に入る範囲で観察しながら居眠りをし、熟睡してしまったらハッと目を覚まし、また人間を目で捕捉し、観察する。人間が移動すれば、視野に入るところに犬も移動する。人間としては“ちょっと”トイレに行く“だけ”、“ちょっと”宅配業者の来訪に対応する“だけ”、“ちょっと”物を取りに行く“だけ”、かもしれないが、犬はその全てを自身の目で捉えるべくついてくる。「トイレに行くだけだから、ここにいたらいいよ。トイレ終わったらすぐ戻ってくるから」と言おうと、「iPhoneのケーブルをベッドに忘れたから取ってくるだけ。すぐ戻るから、ついてきても無駄足になっちゃうよ」と言っても、犬にはわからない。「〇〇するだけだから、あなたの視野から私が外れるのは1分間だけだよ」と、どれだけわかりやすく犬に伝えても、犬は「だけ」という概念も「1分間」という時間の感覚も持たない。
 犬は運動が大好きらしいから、私がトイレにしょっちゅう行こうと、別の部屋に忘れ物をしょっちゅうしようと、私の移動の度に一緒に階段を駆け降りたり駆け上がったり部屋を行き来したりすることは、まったく苦にならないだろう。むしろ、この犬は大型に近い中型犬で、まだ1歳になったばっかりで、1日2回、合計2時間、総距離8キロメートルほどの散歩をしっかりしても、まだまだ体力が有り余っているようだから、私の移動に便乗して運動することは喜ばしいことだったかもしれない。それでも、その犬がいつも私についてきてくれるのが申し訳ないような気もして、できるだけ物を置き忘れないようにしたり、トイレの近くに行くことがあればそのときにトイレを済ましたり、なるべく犬をあっちやこっちやに引きずり回さないようにした。というのと、これほど犬が私を見ているとなれば、犬としても観察眼が鍛えられ、「えー、さっきトイレの前を通ったんだからついでにトイレ済ましといたらよかったやん、どんくさいなあ」とか思われてしまうのではないか、と考えた。犬に対しても「効率よくスマートで余裕のあるふるまい」を見せることを狙おうとした、なんとも見栄っ張りな自分。

 

 犬との暮らしの1日目のお昼ごろ、突然部屋で何かが落ちる物音がした。ゴトッと、フローリングの床に、何か固い物が落ちたような音がした。私と犬は同時に、その音に驚いた。私と犬は同時に、音が鳴った方向に、そろそろと近寄った。
 壁に寄せ付けた状態で置いてあった、使用していないデロンギのオイルヒーターの、電気コードの先、コンセントに差し込む先端の部分が、床に転がっていて、犬はそれを鼻で嗅いでいる。あまり鼻がひくひくと動いていないので、嗅いでいるというよりは、鼻で、指している。さっきの音は、オイルヒーターにのせてあったこの電気コードの先端が、ゴトッと床に落ちた音だったらしい。落ちる場面を見たわけではないけれど、犬が鼻でそれを指して、「さっきの音はこれだ」と私に伝えているから、そうらしい。
 私は、電気コードが再び床に落ちないように、ちょっと工夫してオイルヒーターの上にのせて、犬と一緒に、さっき居た場所へ戻った。