イメージが刷新され続ける中国愛党映画〜『1921』共同監督・鄭大聖について

上海国際映画祭が、今週末から始まるらしい。オープニング作品は『1921』という映画。2021年は中国共産党の誕生100周年。100歳記念で製作された映画である。

 

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上海国际电影节

 

中国の人気若手俳優、人気中堅俳優達が出演している。日本人が想像しがちな、ひと昔前のいかにもな愛党映画の雰囲気は払拭。おそらく多くの若い観客が、エンタテイメント映画のひとつとしてこの映画を鑑賞しに映画館に行くのだろう。中国では2021年7月1日に公開予定。

ここ数年、中国ではこういった、若くておしゃれで面白い愛党映画がどんどん作られている。『覇王別姫 さらばわが愛』の陳凱歌(チェン・カイコー)が総監督を務めた『我和我的祖国』(邦題:愛しの祖国)は2019年、中華人民共和国建国70周年記念の年に華々しく公開された。7本のショートストーリーが連なったオムニバス映画で、起用された監督は若手から中堅の人気映画監督達。主題歌の「我和我的祖国」は、王菲フェイ・ウォン)が歌った。

そして翌年の2020年には、張藝謀(チャン・イーモウ)が総監督を務めた『我和我的家乡』(邦題:愛しの故郷)も、5本の短編を連ねたオムニバス映画として公開された。人気の携帯アプリ「抖音」(TikTok)はじめスマホ、ネット文化をうまく活用したストーリー展開で、総監督は1950年生まれで「第五世代」と呼ばれる張藝謀とはいえ、現在の中国の20代や10代が観ても楽しめる映画だっただろう。

 

さて話を戻して、まもなく公開される『1921』。監督には2名クレジットされていて、先に記されているのは黄建新。中国で多くの映画、テレビドラマの監督や製作を担当し、先に紹介した『我和我的祖国』でも総監督である陳凱歌と協働し製作に携わっていたらしい。1954年生まれで、百度百科(中国のWikipediaのようなもの)の彼のページを見てみると、エンタテイメントとして、メインストリームの映画を量産してきた。張藝謀や陳凱歌と年齢も近く、映画界の大御所である。

黄建新(中国内地导演)_百度百科

2人目にクレジットされている共同監督は、鄭大聖(簡体字では郑大圣、カタカナで書くとヂョン・ダーションだろうか)。私にとっては、この監督がこの愛党大作映画に関わっていることが意外すぎて驚いた。

 

鄭大聖は1968年生まれの映画監督で、今まで特に有名な映画作品を作ってはいないのだが、私はたまたま留学中に、この監督の作品『村戲』を観る機会に恵まれた。劇映画で、賈大山の短編小説のいくつかを組み合わせて鄭大聖がシナリオをまとめている。

 

時代設定は、確か、毛沢東が亡くなり文化大革命が終わり、人民公社も解体された後の1980年代後半あたりだったと記憶する。中国北方のある村。土地改革と人民公社に、土地配分を振り回されたあとの、農民達と村。その中に、人民公社が張り切って集団農業を推し進めていた時代に、党員で村の幹部を担っていた男性がいる。彼は非常に熱心で真面目な党員だった。しかし、今は気狂いのように他の村民に扱われ、ひとり離れた小屋に篭りひたすらピーナツの皮むきをしている。そんな村で、地方劇の「梆子」の上演が久々に計画される。気狂い扱いをされているその男性の暗い過去と、めまぐるしいスピードで社会が変わり振り回される村と農民のようすが徐々に明らかになっていく。気狂いの男性を過去の呪縛から解き放つべく、村長が彼を誘い出しリハーサルをしようとする。ちなみに、その男性が狂ってしまったきっかけとは、折檻して娘を殺してしまったことである。あまりに熱血で真面目な党員であった男性は、我が娘が当時村で集団生産していたピーナツを盗み食いしていたことが許せず、面子にかけて我を忘れて怒り狂ったのだった。

映画は、シリアスな題材を選びつつも、決して暗くなく、とても明るくリズミカル。全編モノクロで、一部だけ効果的にカラー映像が使用される。悲劇を喜劇で描いた素晴らしい作品だった。そして、2017年だったか2018年、留学中にこの映画を中国国内で私は観たわけだから、公式に中国の映倫とも言える公式上映許可証を得ている映画なのである。過去の党の政策への批判も間接的に含むこの作品が、公式に中国で上映されることの奇跡と興奮を感じだのだった。そう、映画のなかでは、大きな毛沢東肖像画が何度も映る。それは礼賛するわけではなく、どちらかというと、喜劇のリズムの隙間に現れる、皮肉や揶揄のような効果があった。

 

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他にも、鄭大聖は2004年に『DV CHINA』(原題:一个农民的导演生涯)というドキュメンタリー映画の監督もしている。どこかでうっすらとこの映画のニュースか何かを観た記憶があるのだが、これも、とある小さな中国の村を舞台にしている。村でDVカメラを手に、自分たちのために娯楽映画を10年以上撮り続けている、とある普通の村民を追った映画である。出演者も村民で、DIYで映画をつくり続ける村民の撮影のようすや情熱のありかを追った作品のようである。残念ながら、いまだ観る機会に巡り合えていない。

 

DV China | Alexander Street, a ProQuest Company

 

『村戲』で中国共産党の政策と当時の社会の混乱を批判的に描いたあの鄭大聖が、まさか愛党映画『1921』に共同監督としてクレジットされるとは……。と、驚いたのだが、個人の政治思想と生業と面子は、それぞれ切り分けて考える方が賢く生きられるのが、中国社会だろう。例えば、陳凱歌は中国で上映が許されなかった『覇王別姫 さらばわが愛』を作っていながら現在は党の宣伝映画にも関わるし、張芸謀も同じく、文革時代や党の政治に翻弄された人々の悲劇や社会の非条理を淡々と描きつつ、北京オリンピック開会式の総合演出も手がけている。映画監督ではないが、艾未未アイ・ウェイウェイ)だって、天安門に中指を立てながらも、北京オリンピックのために「鳥の巣」を設計した。しかし、世代が若くなると、王兵ワン・ビン)や婁燁(ロウ・イエ)のように、正々堂々と検閲と戦い続ける映画監督もいる。ただし、それは海外とくに西洋諸国とのパイプを得た、ごくひとにぎりの映画人だけである。

 

鄭大聖は中国でのインタビュー動画で、「両親も映画人で、子どもの頃は必ず親のどちらかが撮影出張に出かけていた」と語っている。文革とその後の改革開放期を知っている世代で、黒澤明に憧れ、両親と同じく映画の道を歩むために上海戲劇学院を卒業した後、アメリカにも留学している。

鄭大聖が中国共産党100周年記念映画『1921』でどのような彼の持ち味を出したのか。あるいは、生業として割り切って参加しているのか。『1921』はおそらく日本で配給はされないだろうが、いつかどこかで観てみたい作品である。