他者を知ることによる絶望

新しいバイトをいくつか始めてみたら、懐かしい感じ。この複雑なバランス感覚。これが毎日あってこそ、私の暮らしだったはずだ。

バイト先で出会う人たちは、たいてい、自分と趣味を共有しない人たちであり、そもそも、仕事以外の現場では使う言語の違う人たちだと思っている。心底共感しないことが多いし、向こうもこちらのやっている普段の活動を知ったとて、少しも理解できないと思う。このすれ違いを常に感じながら、自分の時間でやりたいことをやるのが、私の基本の生活パターンだった。文化行政だとかアートマネジメントだとかああいう仕事に関わってしまってから、私の視野はとてもとても狭くなっていた。

 

私はバイトでもしておかなければ、自分の手に届く範囲の中だけでものごとを考えすぎててやばい。バイトは一生、できれば死ぬまで何かを続けておきたいなあとも思う。

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インボイス制度相談会へ→登録しませんが…

インボイス制度に登録するか否かの相談会に参加。税務署で、無料参加。

今までウェブや書類で眺めていた文字を立体的に頭の中で組み立てられた感覚。という経験は良かったけど、この制度の矛盾がいらだたしい。いらだたしくなるぐらい理解できたということかも?

 

まずそもそも1000万円以下は免税事業者というのは変わらないのに、「免税事業者」のなかから「消費税払いたい事業者」を炙り出すしくみ、むちゃくちゃやばくないか?

もちろん誰もが免税されているなら払いたくない、なのに自ら手を挙げてインボイス登録する者の意図は?

 

第一に、「課税事業者(=すなわち課税されている大きな企業や事業者であり、中小企業や個人事業主に仕事を与えている側)に関係を切られるのが怖い」

第二に、「何が起こってるのかよくわからないけど免税事業者という先にあった筋の通った制度のことを忘れているor知らない」

というあたりか?

 

この相談会に行き、相談を受けた段階では、私はインボイス登録するか50/50だったけれど、買い手になった自分を想像したときに甚だアホらしいと思った。

 

例えばオフショアの場合。私がインボイス登録者になり年間一千万も儲けてないくせに消費税申告するとしたら。

普段仕事してて原稿料が食い扶持ではない執筆者たちからの請求書における消費税がうとましくなることは確実。デザイナーやイラストレーターだって同じ。執筆者が大体毎回6、7名、イラストレーター1名、デザイナー1名に毎号報酬を支払ってるからだいたい計8名。今のところインボイスに登録しそうな人はここにいない。今後もいないだろう、だってこれ一本で食ってる人たちではないから。この分の消費税が控除できなくなって困るのは私だ。そうなるとたぶん私はみんなの報酬を下げ始めるだろう。1割は下げないと、私が損をする。

 

このままインボイス制度が行き渡り、一発逆転制度の廃止とかがなければ、おそらく、課税事業者と免税事業者で、しっかり経済活動のエリアがわかれるんじゃないかな?

あるいは、ここで「クリエイターと課税事業者の間に立ってインボイス制度における諸問題を解決しスムーズに取引させる」ためのくだらない人材派遣業みたいなものも生まれてきそう。すでにそこ狙って準備してる人もいるだろう、それはそれでゲー吐きそう。

 

じゃあここで開き直って。インボイス制度が進むなら、自分が顔の見える範囲だけでつつましく続けていく、それで金銭的にも満足を得られるような仕組みも考えていこう。

 

「アーティスト」に話を聞きに行くのをやめてみる(たい)

ふと、アーティストと自分の会話を聞き直していて、非常に重たい気持ちに襲われる。そのとき私が、相手にもう少し踏み込める余地があったのに、具体的な言葉を出してさらなる質問を投げかけなかったところに主にガッカリしている。その場ではどうしてそこまで頭が回らないのだろう。今ならこんなに客観的なのに。

でもそれがたぶん生の会話というもので、アーティストと自分の会話は結局インタビューとして文字化するのだから、後から追加でアーティストとやり取りすればいいだけの話か……。代替の方法を思いつく前に、落ち込みがちやな、自分……。

 

さて、アーティストとは何なのか。人前で何かを見せたり、呈示したり、鑑賞者の心を動かしたりする人たち、なのだろうか?

どっぷり考えていると、私がどうしてこの種の人々に執拗に食らいつき質問を投げかけているのかもわからなくなってきた。

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コロナの後遺症の話が私の〝デフォルト〟状態と似ている

たまにはトンデモというかオカルトぽいことを。

こんなこと言ったら非難されるかもしれないが、ちらほら聞くコロナの後遺症の話が私の〝デフォルト〟状態と似ている。身体的な面では、副鼻腔炎っぽい症状や、後鼻漏、あと呼吸が浅くなるとか。精神的には、基本的にネガティブ思考になるとか。あと自律神経がやられるというのも聞いていて。私は子供の頃から今まで、朝起きづらく、体内の気や水の巡りも悪いのが通常ぐらいの状態。朝スカーンと目が覚めた試しがない。

そんな私はよく人に「明るい人」あるいは「明るい(ようにふるまっている)人」と見られているかもしれないが、いつも家に帰ると体育座り時間がある。本気でこの時間がそこそこ長いのだが、この話をしてもあまり信じてもらえない。

・・・体育座り時間とは。あのときあの人にどうしてこんなことを言ってしまったんだろう、どうしてこういうことをしなかったんだろう、どうしてあの人にこう言わなかったんだろう、と、対人関係において反省ばかりする時間。フィジカルに本当に体育座りだったり、体育座りではなくとも固まって動かない場合がある。

 

まあそれでも生きてるんだからいいんじゃないか、今日も暑い。

と思える状況にいれば自分的「健康」。模範的健康体質を持つ人の健康バロメーターが1から100までのゲージ幅であるとすれば、私の場合は1から40までしかゲージが動かないから、頑張って20以上のラインを保持するように努める、という感じで生きている。

というのもなんの実証もないイメージ。

 

私はいまだコロナに罹患していないことになっているが、本当に罹患していないのだろうか。

映画レビュー:陳凱歌『花の影』(原題:風月、1996)家父長制を批判した映画

月8枚レンタルできるTSUTAYA DISCASがどんどん翌月に枚数繰り越されていく。最近はどうも映画を観るモードにもならずなんだかそんな時間もなく。そうすると、今月6月は、なんと16枚も借りることができてしまうらしい! が、きのうあたりでどうしても書ききれなかった原稿の山場を超えて(というか今の自分にできないことはできないんだと諦めがついた)、はればれとした気分になり、映画でも観るかとDISCASから随分前に届いていたDVDをPCのドライブにセットして鑑賞。

 

日本では全然評価されてないけど観とこ、と軽いノリで観た『花の影』(原題『風月』、監督は陳凱歌、1996年製作)が、予想をはるかにこえてすこぶる面白かった。

 

四方田犬彦は、ニューヨーク滞在中に陳凱歌とルームメイトだった。すでに映画監督となったうえでニューヨークに映画研究に訪れていた陳凱歌と、すでに映画論で客員として招かれていた四方田。二人は互いがキャリアをスタートさせてからの友人であるわけだし、四方田は陳凱歌のことをよく理解しているといえるだろう。陳凱歌についてはいろんな書籍で語っており批評している。四方田は友人だからと陳凱歌を持ち上げるのではなく冷静に批評する。メロドラマだ、と(メロドラマだから悪いというわけではないけれど)。

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書きたいことメモ

生きるための銭稼ぎにあたふたしているこの数週間。なんだかまとまった時間が取れないが、結構ぽんぽんと書きたいことが出てきているので、忘れないようにスケッチ。

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ハトメ手製本の復活🔥『中国と表象 章子怡(チャン・ツィイー)の性描写と顔』

先日、新しくzineを発行。今のところ、驚くほど注文が来ていないけれど、受注生産だからまあいっか、と思っている。

(みなさん、中国に興味がないのか、もうzineというものに興味がないのか? はたまた、告知できてないだけか?)

 

「zineとか言って採算気にしてたらモトもコもなくね?」と昔から思っていた。われわれ、日本に住む者には、そこらじゅうに「コンビニ」がある! コンビニには、だいたいSHARP製のメンテされたすばらしい複合機がある! しかもだいたい最新型! レーザープリンターでサクッと出力してくれる! コンビニプリントの恩恵を受けないなんてもったいない! わざわざキンコーズやアクセアやカンプリに走らなくていいんですよ? 最寄りのコンビニでも、出先のコンビニでも、どこでも同じ操作で出力できる! すごくね?

 

そういうわけで、今回からわたしのzineは、中ページはコンビニモノクロ出力で、表紙用紙だけどっかから調達してくればOKということになった。

48ページぐらいまでならこのやりかたでいけそう。あと、自分の作業マシンの中に、この制作のためのフォーマットを保存したので、今後応用していけそう。

 

原点回帰ということで、もともと好んで使用していたハトメパンチによる製本を復活させ、また、ページ組版の中にも、以前のzineにあったようなコメンタリ(副音声)枠を復活させた。

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