ハトメ手製本の復活🔥『中国と表象 章子怡(チャン・ツィイー)の性描写と顔』

先日、新しくzineを発行。今のところ、驚くほど注文が来ていないけれど、受注生産だからまあいっか、と思っている。

(みなさん、中国に興味がないのか、もうzineというものに興味がないのか? はたまた、告知できてないだけか?)

 

「zineとか言って採算気にしてたらモトもコもなくね?」と昔から思っていた。われわれ、日本に住む者には、そこらじゅうに「コンビニ」がある! コンビニには、だいたいSHARP製のメンテされたすばらしい複合機がある! しかもだいたい最新型! レーザープリンターでサクッと出力してくれる! コンビニプリントの恩恵を受けないなんてもったいない! わざわざキンコーズやアクセアやカンプリに走らなくていいんですよ? 最寄りのコンビニでも、出先のコンビニでも、どこでも同じ操作で出力できる! すごくね?

 

そういうわけで、今回からわたしのzineは、中ページはコンビニモノクロ出力で、表紙用紙だけどっかから調達してくればOKということになった。

48ページぐらいまでならこのやりかたでいけそう。あと、自分の作業マシンの中に、この制作のためのフォーマットを保存したので、今後応用していけそう。

 

原点回帰ということで、もともと好んで使用していたハトメパンチによる製本を復活させ、また、ページ組版の中にも、以前のzineにあったようなコメンタリ(副音声)枠を復活させた。

 

これにより、今後も、身軽に気軽にzineを出していけそうです。

中国に関する事柄でちょっと調べてちょっと考えたことを、今後もまたいろいろ出すでしょう。今のところ私的ホットな話題は、もう考え込みすぎて三周ぐらい「飽きた」「いややっぱおいしいな」を繰り返している神戸の豚まん。あと、中国現代〝独立〟音楽。

 

ネット上のブログで書いてもいいことだろうけど、なんだかネットがふさわしくないと考えている。ネットのテンション、ノリ、「多くの人に読んでほしいと思っているべき」で「多くの人が読んでいることが評価指標」という仕組みへの違和感。このブログだってそう。noteよりは好きですけどね、hatenaブログ。

『中国と表象 章子怡の性描写と顔』

※『中国と表象 章子怡の性描写と顔』イメージ



購入はここから↓

offshore.thebase.in

 

 

さて、今回つくったzineのご紹介。BASEにはこう書いた。

―― Homage to Zhang ZiYi and TSUTAYA DISCAS.

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン上海』という映画を観て、章子怡チャン・ツィイー)の演技に気になるところがあり、TSUTAYA DISCASで彼女の出演作品をどかどかと借りて観てみました。中国の超有名映画役者(女性)から、中国の社会を読み解く。
中身は、画像を試し読み代わりにどうぞ。
わたしなりの役者評論っぽいエッセイ。

 

役者評論かつ、わたしなりに若干フェミニズム思想に近づいた内容だと思う。zine本文最後の一文は、SNS上で非常に嫌なやり取りをした後に、付け足した。先日、このブログに書いた、多数の女性への性加害が暴露された中国の脚本家の事件について、とあるアカウントから「枕営業」という言葉を用いて「女性も利用している」ようなことを言われた。おそらく男性と思しきそのアカウントは、「枕営業」なるものがあると信じているようだけれども、わたしに言わせれば、「枕営業」という言葉の支離滅裂さと、その言葉が男性目線で生まれてきた卑屈で他者の尊厳を踏みにじる言葉であるということにまず気づくべきである。枕営業という言葉を使った時点で、アウト。わたしにおいては即刻ブロック対象である。仮に、女性が男性に取り入って寝床を共にすることで得ることのできる仕事があるのだとして、その「営業方法」をつくったのは、もともと、男性ではないか? 男性社会が、女性を参与させないから、男性の要望に応える形で女性が身売りをせざるを得なくなっているのではないのか? こういう話題が出てくるたびに「枕営業だ」と二次加害を与えるのではなく、少しは社会の構造を他者の立場で考えてみたらどうか? 「枕営業」という言葉を堂々と使えること自体、女性の性を消費対象としてみている証拠だろう。「身売り」をしなければ女性が活動できないその業界のリスク、また、女性に「身売り」をさせてきたという旧時代の業界のヤバさを、男性が、まずは真剣に考えるべきである。少なくとも、何もわからないなら、「枕営業」などという相手を貶める非常に攻撃性の高い言葉を発しないでほしい。黙っておけばいい。

 

とはいえ、リアル世界のわたしの友人には、こういったクソな発言をする人はいない。それに、リアルで付き合う友人たちは、やっぱり尊敬できる人たちである。こういった、聞きたくもない言葉を投げつけられるSNSというものは、考えものである。