MITEKITEN: yukaD@SLUM BAR、大工哲弘&大工苗子@桜坂劇場ホールB、月刊インプロvol.112@groove

2023年11月17日から11月22日まで、久方ぶりに沖縄島へ。那覇のミスター金城に泊まりつつ、ライブもいろいろ鑑賞できた。とくにおもしろかった3つでMITEKITEN。

 

本題に入る前に。やはり沖縄からはじめたのがMITEKITENだけに、沖縄に行くとMITEKITENしよう、MITEKITENしなければ、という気持ちになる。沖縄在住時代、私がなるべく使わないようにしていた関西弁(見てきてん)をあえてタイトルに掲げるのは、「私はあくまでもナイチャーでこの土地においてはどこまでいっても外来である」という意味を込めています。今までこれを自分で説明できなかったけれど、突然説明できるようになる意図とか動機って、あるよね。

(とはいえ、沖縄で友人に「いや、普段山本さんむっちゃ関西弁出てますよ」と言われて凹んだこともある。)

※MITEKITENとは・・・ https://offshore.thebase.in/items/24866249

 

  • 2023年11月17日(金)yukaD@SLUM BAR

 

かねてからずっとライブを拝見したいと思っていたyukaDさんのライブへ。沖縄のバンドteaのメンバーである仲村喜人さん(『オフショア』第二号の表紙イラストを描いていただきました)らが、過去にyukaDさんと組んでいたのが、「ostooandell」(オストアンデル)。私が2015年に那覇に引っ越してきた頃にはyukaDさんは東京在住。那覇で知り合う音楽関係の人や友人らがたまにしみじみと「いや〜、yukaDむっちゃいいんですよ」と言うので、強烈に気になっていた。YouTubeなどはもちろん拝見していて、確かに、いい。

ライブサーキット形式のイベントで、SLUM BARにてついにyukaDさんの30分ほどのライブセットを観る。アコースティックギターと打ち込み(PC)を用いたソロライブ。歌詞がおもしろく独特で、この歌詞はyukaDさんのこのつぶやくような歌い方でこそ。極私的、極生活感。

ライブ終了後に少しお話する機会があり、「リア・ドウとか聴きます?」という質問をしたことをあとから、よかっただろうかどうだったろうかと考える。必ずしもA→B→サビと展開しない曲の構成や、生活感だとか小さなことを言葉にしてそのリズムや発話の音感を重要視しているような歌詞に、リア・ドウとの関連を感じていた。端的に言えば「〇〇っぽい」とか「〇〇を想起しました」と言ってるようなもんだから、ちょっと失礼だったかもしれないと反省したり。でも、音楽って、互いに消化しあって別のものをつくりあげていくような「勝手に」共同作業していく感じもあり、それを肯定するのもおもしろいのではないかとも思っている。

Soul in the Loop

Soul in the Loop

  • yukaD
  • J-Pop
  • ¥1069

music.apple.com

 

お久しぶりですの桜坂アサイラムで鑑賞。大工哲弘さん・苗子さんについては、『オフショア』第一号で宮里千里さんがたっぷり書いていらっしゃる。今回のライブは、大きな拍手を受けて登場した大工哲弘さんが、ステージ上で少しキョロキョロし、「あれ、三線がないねぇ」と言っていったんステージ裏に戻られたのが、もう強烈におもしろく、このあとの唄はなにをやっても盛り上がるという波のようなものが起こっていた。三線をもってステージに戻ってきた大工さんは「長く地方公務員をやっていたものですから、チホウが進んでいるのかもしれません」みたいなダジャレを飛ばし、景気が良い。途中でRITTOの話も出て、ラップのものまねをする大工苗子さん。と、MCレビューになってしまいそうだが、とても重要なライブを見たと思う。これこそが、民俗音楽のありかたなのだと。

昔、『ニュー・カラー』第3号「特集: 大人になって見る行きたい学校の夢」を読んでいたら(今実物がなぜか手元にないので正確な引用ができない、申し訳ありません)、dj sniffの寄稿でステージに立つ時の姿勢について書かれていた。確か、dj sniffがアムステルダム在住時代に坂田明さんを招聘したときのこと。dj sniffにとっても大先輩である坂田さんは、「ステージ上では、観客を全員殺すような気持ちでやっている」(比喩でそれぐらいの気合いでという意味合い)というようなことをおっしゃっていて、それにdj sniffも共感して、自身もステージではそういう心持ちで挑んでいるというようなことが書かれていた。私も、このように「殺す」勢いでやってくれる音楽家がもとから大好きで、例えば、大友良英さんとか高岡大祐さんとか、同年代であれば中田粥くんとかが同様の心持ちで音楽を演奏している人たちだろう(本人に確認していないからわからないけれど、多少なりとも私が殺気に近い気合を感じている音楽家だ)。

音楽とはそうあるべきだ、みたいな考えのときもあったけれど、音楽にだっていろいろある。特に、私は沖縄に住んでいた約五年間のあいだに特に「殺気」を求めていたような記憶がある。だから、grooveに足繁く足を運んでいたし、grooveの主である上地gacha一也さんなんかも、人前に立つからには死ぬ気で音楽をやるような人だろう(酒もいつも死ぬ気で飲んでいるらしいし)。

一方で、民謡の唄い手である大工哲弘さんは、とても「生活的なライブ」だった。殺気ではなく、日常の延長がステージにある。だからMCも多く、世間話をしながら「はい、じゃあ次の唄はね」唄に入っていく。ステージという、観客から一段上に床をあげられた場があるということが、ここでは不自然なのかもしれない。宮里千里さんが『オフショア』第1号で書いていたように、アマチュアリズムだとかいう少し失礼な言われ方もあるかもしれないが、農作業や日常の仕事から生まれてきたのが、沖縄で歌い継がれている民謡である。大工さんも、日常的に「チホウ」公務員という職をこなしながら、唄者としての生活もしっかり歩まれてきた。

特別なステージで聴く音楽と、ごく日常にある音楽と、少なくとも音楽にはこの二種類がある。探索すれば、もっと他の種類の音楽もあるかもしれない。私はやっと、沖縄における民謡の聴き方を理解したかもしれない。

大工哲弘さん&苗子さんのライブを体感したこの日から、私は、肩に入っていた力をやっと抜くことができた。

daiku-tetsuhiro.com

 

  • 2023年11月20日(月)月刊インプロvol.112@groove

那覇市在住時代にあまりにも通いすぎたイベントで、那覇を離れる直前は、なるべく行かないようにもしていた。久々に行くと、あのときとは違う面々が即興で音を奏でていて、おもしろかった。あのときはいつも客席側にいたあの人が、自由に使える楽器(ゲームソフトとコントローラー)で音を奏でている。若い人も増えていて、会話ではなく音でやりとりするという数時間。それしかない時間。

ピラルクの若谷さんもこの日は参加していて、たまたま、同じピラルクの石原岳さんも来ていて、二人が演奏してピラルクっぽくなった瞬間も良かった。若谷さんのギターは五年以上ぶりに聴いたと思う。場を制したり独裁的に引っ張ったりしてくるわけではないのに、ものすごく耳を澄ましたくなる演奏。あの調和、安定、まろやかさはなんなんだろう。あと、若谷さんはあまりライブをされないイメージだが、大変に長時間ギターを弾いていらっしゃるんだろうなと推測する。ライブを頻繁にすることだけが音楽家のありかたではないのだよな……。そういえばこれ、沖縄に住んでいた時に、やっと理解したことだった。沖縄にいた頃の自分の音楽との出会いや向き合い方を逡巡しながら、最終電車のモノレール目掛けて、古島駅まで歩いた。

www.cosmos.ne.jp