感情あふれる4月の日々

4月1日から勤めに出ているのだが、前回書いたことがまったく自分にとって役に立っていなくて笑えるほどである。レジリエンスとかアサーションとか、ああいったセミナーを受けてきた失業期間の成果が見られない。さっそく、久々の勤めにイライラしたりウンザリしたり。

 

ただ、そんな自分を若干引いた視点から見ることはなんとかできているから、ほんの僅かな成果はあった、と言って良いのかもしれない。今日は一日休みでいろいろ散歩しながら考えてしまったが、たぶん、またまもなく私は勤めることをやめてしまうんだろう。

 

その、若干引いた視点とは何か。

私は、常に「情」でものごとを見ているのだ、ということが見えてきた。

 

勤めることに対して私が異様にストレスをためてしまう原因は、何に関しても「感情」を出力してしまうからだ。顔には出ないけれど、いろんなことに感情を抱えすぎている。何に関しても無関心な人になるのはなんだか嫌だと感じるが、私の場合は何に関しても突っ込んでいきがち。気をつけよう。

 

2週間ほど前、シフトの合間に、久々に那覇市に行った。新生『オフショア』に寄稿していただきたい人に、直接会いに行った。

 

昔の沖縄の話になり、竹中労の最後の仕事の話が出てきて、非常におもしろかった。竹中労といえば、余命宣告を受けてから執念で命懸けで沖縄文化を取材していたルポライターで、病を押して沖縄に訪れた時の逸話はちらほら耳にしたことがあった。特筆すべきは、その話、誰から聞いても印象が一致している。

 

沖縄に恋焦がれて最後の執念でまさに血を吐きながら沖縄を駆け回り書いた竹中労竹中労のエピソードを思い返すと、やっぱり、「感情」を封じこめるのは人間としてその生命を無駄遣いすることになるのではないだろうか、と不安になる。そして、当時の竹中労を受け止めた沖縄の人々も、竹中労の熱量を冷まさないように熱く語ってくれる。

 

那覇での打ち合わせの際、竹中労と並んで平岡正明の名前も出てきた。平岡正明が沖縄を書いていたことを全く知らず、私は無知にもほどがあるなあと情けなくなり、滞在中に那覇市立中央図書館と沖縄県立図書館へ。

 

那覇市在住時代にはどうしてか図書館をあまり利用しなかった。在住時、最後の一年間ほどは県立図書館まで歩いて10分と、めぐまれた地域に住んでいたにもかかわらず、県立図書館の郷土資料コーナーの素晴らしささえも知らなかった。那覇市立中央図書館の郷土資料コーナーも、非常に豊かだった。あれもこれも、読みたい本が山ほど見つかり、とりあえずヤマトに戻ってからちょっと調べてみようとたくさんの書名をメモする。

 

平岡正明は『日本人は中国で何をしたか』(潮出版社)という本も書いている。知らんかったな〜

 

先週、神戸市灘区のMochi Booksで借りていたグレーバーの『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』を返却ボックスにて返却。公立図書館で借りていた時に読みきれなかったから再度借り(Mochi Booksの返却期限は一ヶ月)、後半をかいつまんで読んだ。

 

よく、書類仕事を指して「ブルシット・ジョブ」と呼んでいる人がいるが、あれはやっぱり間違いだ。グレーバーの言う「ブルシット・ジョブ」は、細かく言えば書類仕事も含むかもしれないが、もっと大きな概念で、例えば「管理するだけの管理職はどうして必要なのか」とか「仕事という社会のイメージに沿うように立て付けられた仕事」のようなことだと私は理解している。

 

そういったことを考えていたこの数週間で、青木真兵さんの書いた『手づくりのアジール』を読んだ。これまで、万が一食いっぱぐれてどうにも首が回らなくなったら、もう山ごもりの支度をして「ゾミア」を目指そうかと思っていたが、「アジール」という概念を目指すのであれば、何もかも捨てることまではしなくていいかもしれない。