8月18日、ものすごく久々に、那覇在住時代によく話していた人が来阪するという。ライブに招待していただいたので観に行く。

 

招待してもらっておいてなんだけれども、もともと、その音楽はそんなに好きではなくて、ただ、その人の出す音はむちゃくちゃ好きで傾倒していて、この人以上に好きになれるベースの音は、おそらく一生涯みつからないとおもう。つまり、このライブの「音楽」はどうも好きにはなれないけれども、そのひとりの人の「音」が、私には憧れであり、もっとも愛する音でもある。

 

那覇在住時代、最後のほう、いろんなことに怒っていて不機嫌だった私は、関係を築いていたいろんな人たちと、自分から距離を置くようにしていた。たくさんの人に、挨拶をせずに那覇を去った。この日会った人も、そのひとりだった。特にこの人においては、私は、一つの側面から考え方の違いばかりを気にするようになり、この人のことをもう肯定するまいと思ったし、もう二度と会わなくてもいいとさえ思っていたし、この人を攻めるような発言もした。

 

久々に連絡をくれたのはカラッとしたメッセージだった。私が那覇在住時代最後に見せていた態度と攻撃的な発言には、向こうも多少は嫌な気分になっていただろうに、それをもう忘れたかのように、メッセージを送ってきた。

だから、私もカラッとして、「ああ久々にこの人と会ってもいいのか、何もなかったかのようにまた会話をする時期が来たんだ」と、考えた。

 

ライブ会場で再会したその人は、相変わらず、私の経験上、もっとも愛することのできる音を出していた。ライブ後、その人と、久々に談笑した。

 

見習いたいわけではないけれど、破天荒で、自由な生き方をしてきた人で、私は、少なからずこの人から影響を受けている。那覇にいたときに、もっと、この人の話すことや問いに対して素直に捉えたり素直に問いを返すことはできなかったんだろうか、と、ふと考えた。その破天荒で自由な生き方を受け入れられなかった昔の自分は、あれから5年ぐらいが経って、結構頭もやわらかくなってきている。

昔の自分を弁護すると、当時は、まだ「沖縄にいる自分」を相対化できていなくて客観視できていなくて、どうも、「沖縄のこの人たちに嫌われたくない」という恐怖心があって、つまり、自信なんてものがまったくなかった。自分の知っている「型」にないことを、受け入れられなかった。「型」なんてあったとしてもすぐに溶解して形は変わる。力を抜いて、目の前にいる人と、固定観念や既成概念にしばられない考えを素直に話してみる、話し合ってみる。そういうことが、あの時は本当にできなかった。

 

今、もう一回、あの那覇での生活をやり直せたら。相対化したうえで、自分の目と価値観であの環境で暮らせたら。

 

深夜に島酒を、久々に当時の割合で(1:1)割って飲む。次に那覇で島酒を飲むときの予行演習。味と香りが、記憶をつれてくる。あのときのネガティブさや不機嫌さを思い起こすが、繰り返すまい。