音楽バンドを招聘していた自分の建前と本音

中国最高峰のインディーバンド、万能青年旅店がアジアツアーをするという。

 

西洋バンドではなくアジアのインディーバンドが、単独で、日本を含むアジアの都市をまわる事例は、過去に少ないと思う。どさ回りのように小さなベニューを無数に廻るヨーロッパツアーやUSツアーは、万能青年旅店も、その周囲の中国ロックバンドも行ってきているはずだが、日本を含むアジアの、それなりに大きな規模のライブホールを、現地の対バンとセットではなくワンマンで廻るというのは、下手したら史上初ではないだろうか。日本を含まず台湾、香港、シンガポールやマレーシアあたりを廻ることはあったのだろうが、ここに日本が含まれたのは、大きな転換点であるように思う。現在発表されているアジアツアーで会場となる都市は、香港、クアラルンプール、シンガポール、台中、高雄、台北、東京、大阪の8都市。

 

万能青年旅店亚洲巡演

 

この公告ポスターをスマホで見たとき、「私が望んでいた世界がやってきた」とよろこんだ。2011年にアジア各都市を訪れて現地の音楽家やアーティストと交流するようになった私は、すでに日本以外のアジアではバンドどうしやツアーマネージャーどうしのネットワークができあがっていることを知り、そこに日本が含まれていないことを不満に感じた。2010年代前半に、タイからDesktop ErrorやTwo Million Thanks、マカオからEvade、シンガポールからThe Observatoryなどを呼び日本でライブをしてもらったのは、あのネットワークの中に日本も入り込ませるためだった。結果、功を奏したかどうかはさまざまな観点で冷静な評価をする必要があるが、微力ながら、日本の音楽リスナーの洋楽一辺倒な視点を、アジアにも向けるためのきっかけのきっかけぐらいの働きはできたのだと思う。

 

個人でバンドを呼び寄せて来日ツアーを組むのはとにかく体力(と赤字を免れるかどうかの不安に耐える精神力)がいる仕事だった。自分以外の音楽プロモーターや誰かが、日本にアジアのバンドを引っ張ってきてくれるならそれはとてもいいことだ。私が社交性を発揮して日本国内のドメスティックな音楽シーンのネットワークを、日本以外のアジアに既に確立されているネットワークに接続する役目を担わなくてもいいのなら、それに越したことはない。プロはプロと仕事を。プロどうしがやりとりするべきだから。自分が動かなくても、世界がつながった。さらにはこれまでケースの少なかった中国のバンドさえも、日本にどんどん呼び寄せるプロモーターがいくつも生まれた。日本のインディー音楽の世界は変わった。

 

このよろこびを胸にしばらくは恍惚としていたが、だんだんと違和感のようなものが頭によぎる。まず、私のやっていたあの個人オーガナイズの来日ツアーと、今回の万能青年旅店のアジアツアーのようなものは、性質が違うものだということを認めなければならない。どっちがいいととかではなく、ただ、異なる。

 

私は2010年代前半当時、タイやシンガポールからバンドを引っ張ってきて、陳腐な言葉で言い表すなら「国際交流」がやりたかったに過ぎない。当時、まだまだ東南アジアや日本以外のアジア地域を「第三世界」のような眼差しで語る人が多かった(今でもまだまだ多いと私は感じているが)。日本以外のアジア地域でも、シューゲイズやマスロックやエレクトロやオルタナティブなロック音楽を奏でるバンドがいることを、知らなかった日本人に知ってもらい、日本人の固定観念や「第三世界」への眼差しをぶっ壊したいというのが私の当時の動機だった。つまり、音楽自体を私は利用して、日本人の国際感覚を目覚めさせるような社会運動を行いたかったのだ、とも言える。

 

いっぽうで、今回万能青年旅店が日本にやってくることの裏側にはそのような目論みは見られない。純な音楽経済活動だ。現代は、サブスクでリスナーの多い地域が判明する。万能青年旅店のスタッフやマネジメントチームは、しっかりとアジア全体でのリスナーの傾向を分析し把握しており、今回のアジアツアーも、どの地域に行けば確実で失敗がないかを巧みに計算したうえで計画されているはずだ。これは、エコシステムにのっとった音楽活動で、スマートで、経済の波に逆らわないごく自然な営みだ。その音楽が聴かれている地域にライブコンサートをしにいくという、音楽を中心とした経済活動だ。主体となるのは音楽。その音楽という文化的コンテンツを、経済のシステムを活用して届けるというのが、動機そのものであるだろう。

 

先にも断ったけれど、私は「自分のやっていたことがいいことだ」と思っているわけではない。自分のやっていたことは「建前」だらけで、音楽に失礼だったとも思っている。だいたい、私たちが慣れ親しんできた音楽とは、西洋でうまれたポップミュージックやロックのリズムパターンやコード展開を参考にしてつくられた音楽であり、私たちはそれを無意識にわかっていて遊んでいる。それにお金を払うし、演奏する側もお金をもらうのが当たり前だ。こういった音楽とは、比較的軽めの「カルチャー」と呼ばれる傾向があって、純粋芸術とは違うもので、過去を参照しながら生まれてくるものである、というのをみんなわかってやっている。そして、そのカルチャーは、コンテンツを売り買いする経済活動にもなるから、うまく世界を循環していく。

私は、このカルチャーを用いて「国際交流」をしかけるなかで、「建前」にまみれる自分がつらくなってきた。本来自分が意図していたことは、ひとことでいえば「アジア蔑視をなくすこと」であり、ポップミュージックやロックの類の音楽は、私によって利用されていたわけである。(西洋からやってきた型式としての)音楽は、きっかけでしかない。「音楽で国際交流する」なんてことこそ、私にとって建前だった。その先に、私が本当に実現したかったのは、日本人が潜在的にもっているアジア各地域を蔑視する眼差しを消去することだった。

 

今、音楽バンド招聘業から外れて文芸誌をコツコツと編むようになった私は、わりとストレートに、その本音のほうを表現しているつもりだ。万能青年旅店がくるニュースもそうだが、他にも、いくつも中国のロックバンドやポップバンドがくるニュースを見るたびに、私は、過去の私が音楽を利用していたことを問われるようでドキッとする。あのとき興味があると思っていたバンドの音楽「そのもの」に、ほとんど興味をなくしてしまったのだから。

 

けれども、本当に「アジア蔑視をなくすため」の近道を考えるなら、今の方法がよりより自分の手段だと考えているし、そうやって「カルチャー」から入ったからこそ見えているものもあるような気もする。社会運動一辺倒だったら見えなかったもの、自分が持っているバランス感覚について、来日ツアーラッシュが始まろうとする今、整理しておきたい。