2018年7月、福州での約11か月間の留学を終えて、最後は晴れ晴れとした気持ちでライブハウスや音楽の鳴る場の少ない福州に「あばよ」と告げて、北京に移動した。今思えば北京よりも福州に行きたいと思うけれども、当時の自分にとっては即興音楽もノイズも鳴らない福州が退屈に感じていた。

 

7月6日頃だったか。北京に到着し、まずはもっとも密な友人である顔峻のスタジオに訪れる。この頃から、私はこれまで顔峻や北京の友人たちと英語でメッセージのやりとりをしていたのを、中文簡体字に変えた。さて、顔峻と久々に再会。何語で話すべきか?

到着するまでは少しそんなことを考えていたが、久々の友人に会って一番自然に口をついて出た言葉はハオジョウブージエン、好久不见、中国語普通話だった。

1週間ほどの北京滞在、顔峻は家族と近隣の別のマンションに住んでいるので、顔峻のスタジオは私が滞在中寝泊まりさせてもらうことになっていた。いつも、遠くヨーロッパや海外から顔峻の音楽仲間が訪れてくるときは、ここを寝床にしているらしい。じゃあよろしくお願いします、と、部屋の中をいろいろとチェックする。見れば見るほど、デジャヴ。ベッドルームのサイズとベッドの位置、クーラーの位置、そしてトイレとシャワールームの中、位置。絶対わたしはここに来たことがある。そういえば、この部屋にのぼってくるエレベーターも、何か見覚えたあったし、1階のエレベーター前フロアの溢れかえった電動バイク電動バイクによって狭くなった通路、広告シールや電話番号を貼られまくった(中国ではよくある光景)共用部分の壁も。おまけに、玄関の角度や、門の仕様もぜんぶ見たことがある。数えきれないほどの箇所に、既視感がある。これをもし夢か何かで見ていたのだったら異様だ。気持ち悪い。

 

1年以上ぶりにあった顔峻とは世間話をしながら、彼が「人がいるときに手伝ってもらってやりたかった」という、天井に吸収板を貼り付ける作業をする。私は下で支えているだけだったから「ふーん、やっぱりスタジオづかいするからこういう作業も大事なんですね」という感じで涼しげに見ていたけれど、顔峻は汗だくになって天井に吸収板を貼っている。真夏の北京は40度ぐらいまで気温が上がるときがあり、この日も、33度ぐらいはあったと記憶している。空気はまだ日本よりも乾燥しているけれど。

 

クーラーは付けないんだろうか? と、当時思ったのか思わなかったのか、もう忘れてしまったけれど、この場所の主は顔峻だから、クーラーをつけるかつけないかの選択は私がするものではないと感じていた。あと、動かなければ、さほど汗をかかない。

 

ある程度落ち着いてから、顔峻は腹がへったとのことで外に出て遅い昼食をとる。私は留学生活最後の最後にかなり腹の調子が悪くなり、ストレス性っぽい下痢が続いていたので「あまり食べられないと思うけど」と言いつつ、北京の春巻きを出す店に行った。店に行こうとスタジオを出て、エレベーターに乗った瞬間、私はいろいろと思い出し、顔峻にこう聞いた。

「私はここにきたことがあるはず、あるよね?」「もしかしたら、そうかも?」

と、記憶を少しずつ手繰り寄せていくと、私はこのスタジオ(と言いつつ普通のマンションの一室)に前も泊まらせてもらったことがある。顔峻が詳しく話してくれたところによると、彼は、このスタジオに使っている一室を昔に買って持っていて、友人夫婦に貸していたと。その友人夫婦が住んでいる時代、私は、日本からの音楽家ツアーに帯同して北京に来たことがあった。日本から7、8名が来ていたが、ホテルの部屋ではなく、経費削減のため、北京の音楽家や友人宅にホームステイさせてもらう形でわれわれは過ごした。私は、この夫婦の部屋の一室をあてがわれていて、当時の夫婦はもう雲南省に引っ越したという。夫婦のかたわれである男性が、雲南省出身で、やたらと美味しい普洱茶を飲ませてくれたことをはっきり覚えている。

「ああ、ああ、そうだったそうだった、あのときカナコはここに泊まってもらったんだった」「だよね、全体的に、ぜんぶ見たことがあるなと思って」「いやー懐かしいなあ」

と、エレベーターの中で、思わぬ偶然に、2人で爆笑した。

 

顔峻が知っているレストランは100%外れなしにおいしい。北京の伝統的な春巻きを、腹を壊していると言いつつも、結局は、たくさん食べた。こういうときは、久々に会する友人と楽しく食べているからか、腹の調子は一時的に良くなる。都合がいい腹をもっている。

 

食べながらだらだらと、互いに不健康自慢の話をしていた。とくに私は福州留学生活でストレスを溜めて散々だったから、いろいろと不調の話をしたと思う。顔峻は、「信じるか信じないかわからないけど、俺は〝気〟がよくなくて、気の漢方薬を飲んでる。もし漢方飲んでみたかったらスタジオの近くに漢方薬局があるから紹介するよ」と言ってくれたのを覚えている。当時から私は〝気〟というものを信じていたと思うのだが、どうしてその漢方薬局に行ってみなかったのかといえば、自分に足りていない語彙の不安が大きかった。いきなりガチの北京の漢方薬局に自分が言って、自分の不調を的確に説明できるかどうか。外国語の習得は、いつも、「失敗したらどうしよう」との戦いである。そんなことは気にしなくていいはずが、プライドが高かったりするといつまでたっても踏み出せない。今だったら即その場で「今から行くから連れて行ってください」と言ったか、場所だけ聞いて自分ひとりででも行っただろう。また、顔峻とは他にも、聞きたくない騒音をどう耳栓で防ぐかという話でも盛り上がった。最終的に、「耳栓はドイツ製に限る」という点で意気投合した。

 

クーラーをつける習慣のない顔峻は、私が寝泊まりしていたスタジオで、たまに小さなコンサートを行う。申込者だけに住所・部屋番号が知らされるシステムで、顔峻と顔見知りではない人も含めて、毎回20人ぐらいがやってくるコンサート。ちょうど私の滞在中に、このコンサートが開催されることになったので、私も参加していた。3組ぐらいが出演していたのだが(私もなぜかスコアに沿って演奏役をさせられたのだが)、そのうちの1組が終わった瞬間に、出演者および一部のお客さんから笑いながら「クソ暑いからクーラーつけてくれ」とクレームが起こった。

顔峻は「あ、そう、暑い? 暑かったらクーラーつけるけど、俺はクーラーが合わない体質で、どれだけ暑くてもつけないんだよね…」「いや、この広さに20人ぐらいがいて、この暑さは、一般的には暑すぎます!笑」というようなやりとりのあと、顔峻が負けてクーラーをつけた。さっきまでの、体の周囲にまとわりついていた熱気はなんだったのか、クーラーをつけると一気に涼しくなって、「あ、これが我慢しない状態でいわゆる普通の夏の室内だったかも」と思うようにもなった。

 

気とクーラーはたぶん大いに関係している。私はあれからずいぶんたって、気というものが何なのか、特に本をたくさん読んだりしたわけではないけれど、自分の健康実践とネット上の多少の知識と漢方内科医や鍼灸師の話から学んでいる。体の中でいつもめぐって動いておかなければならないはずの気や水が、滞りがちなのが私の体の癖である。たぶん、顔峻も私と似た体質だったのだろう。あのときお互いに話した不健康自慢は無駄ではなく、顔峻の〝気〟への気のつかい方を思い出して、不摂生にブレーキをかけることもある。友人たちとする不健康自慢の話題は結局のところ、自分の体の状況や状態を顧みるタイミングをもつこととほぼ同じかもしれない。

 

昨日ぐらいから、やっとクーラーのスイッチをオンにしなくても、家に滞在できるようになってきた。暑さによる不快さと、クーラーによる気だるさを、天秤にかけてからクーラーに頼るようにしているつもりだったが、8月に入ってからは癖のようにクーラーをつけてきた。つまり、クーラーに冷やされた私の体調は今、絶不調なのである。