2月は公演制作の仕事がクライマックスで、人生でこんな忙しいことがあったかというぐらい忙しかった。2月はまだ残っているが、私の2月はもう終わった。あとは事務処理の残務を確実につぶしていく。
さて、1月2月と忙しかった日々の中でも、歩きながら、飯食いながら、電車で人間ウォッチングしながら、考えたことが多くある。最近は、思慮に耽ったときに「これだ!」と思ったことをとにかくiPhoneアプリのメモに残していっている。打つのが面倒なときは、音声入力を使っている。
そのメモを見返すと、その瞬間は「これだ!」と思ったのだろうが今考えると「?」「何を言ってるの?」「当たり前では?」と思ってしまう内容が多い。
一部をここに書いておく。解説も添えて。
[凡例]
- メモの内容
(今読み直して思うこと)
- その行動と目的はしばしば一致しない。
(何かをやっている時、その行動をやりはじめた目的のことはたいてい忘れてしまっている。行動を連続している場合は特に、目的が別のものに移り変わったりしている。ということだったと思う。)
- 健康を取り繕わない。不健康を正直に
(? なんのことだろう。いつ何時も自分は不健康であるという自覚があるが……)
- 好きなことを仕事にすると言う考え方ではなく、ダラダラといつまでもやってられるような嫌いでは無いことを仕事にする、と言う感覚にする。
(ごもっとも。)
- 何もせずに過ごすと言うのは、やっぱり無理で、人は何かをすることで、死ぬまでの時間を稼ぐ。だから、仕事とか労働とかいう考え方を止めて、自分が生まれてから死ぬまでの時間の過ごし方として仕事を考える。
(自分で自分のブラック雇用主になっているようで少し怖い。)
- 最近の母親は若いのではなくて広告に溺れている
(なんの話や)
- 考えるときは、体を動かしながら考える。あるいは、メモを取りながら考える。
(最近、朝弱い理由もこれに尽きるとわかった。身体を動かさないから脳が動かないのだ。眠かったり頭が重ければ、身体を動かせばいい。そういうことを保健体育の授業で教えてくれたらよかったのに。)
- 犬は、言語を持たない動物だから、行動や犬の欲求を言語で考えても意味がない。
(しばらくインスタグラムでは主に海外の犬アカウントをフォローして犬の虜になっているが、やっぱり、日本の犬投稿と海外の犬投稿は少し質が違う。日本の犬投稿は、ウケ狙いや幼稚なものが多すぎる。特に、柴犬に牙を剥かせて「かわいい」とか言ってるアカウントは地獄に堕ちてほしい。世界のすべての犬からストレスを取り去りたい。)
(性悪説がいきなり出てきている意味がわからない。文章の意味がわからない。何を考えたのか思い出せない。SNSの用途は告知だけで十分じゃないかと最近は思う。でもそうすると誰もみなくなる→ではいっそのことなくなってもいいのかも。)
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メモのもう少し下に行くと、もう少しまともな気づきを書いていた。
- SNSでさえも心の通ったやりとりをする、とかいうのがもうできなくなっているというか、そういう時期はもう終わったんじゃないだろうか。人格を見せるとか、言葉の節々や細かな配慮から「良い人」を醸し出させることが、ひと昔前は「健気な努力」だったり「味わい」のようなものだったけれど、今は演出でそうする人も多いわけだし、そもそも、SNSでどうして心を通わせる必要があったんだろうか。
- ここにはデジタル化された文字しかない。デジタル化された文字の何が不都合かというと、背景にある文脈やターゲット設定がすべて無効化されてしまうということだ。
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SNSについては考えこみがち。どう付き合っていくのか定まらないのは、SNS自体の社会における存在意義とか価値が定まらないから。
ちなみに今年やっていた公演制作仕事は、この感染症の時代らしく、ほとんどがオンラインで進んで行ったのだけれど、やっぱり最後の最後に現場で顔を合わせて作っていく感じのほうがよっぽどやりやすかったし公演仕事の醍醐味もあった。
そういうことに、2022年度の後半は気づくことが多かったので、メールだけで終わることが可能な仕事でも、できるだけ本人と実地で会うように心掛けている。やっぱりface to faceでしょう。
ん、face to faceっていう言葉、アジアを取材し始めた2011年〜、2010年代はよく使っていた。
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最近何がきっかけだったか、約20年前に私はAdrian SherwoodやAsian Dub Foundationをよく聴いていたことを思い出して、Spotifyで聴いて思い出に耽っていた。『Never Trust A Hippy』(タイトル最高!)はAdrian Sherwoodの中でも一番よく聴いたアルバム。このアルバムの発売年は2003年。では、今私が一番深追いしている中国インディー音楽のこの頃は?と考えると、中国は当時SARSが流行った時期だった*1。
2002年暮れから2003年前半は、中国・香港はSARSによって大きな影響を受けている。だから、中国の音楽関係の友人からはこの時期の記憶が出てくることはあまりない。その期間、すっぽり抜けている。
ちなみに、1990年代の終わりは中国インディー音楽シーンが沸き起こり、バンドもヴェニューもそれなりに増えていたそうなのだ。たった20年前のことなので、そんな地下音楽の盛況からSARSによる沈黙、再びの勃興までを一通り体験しているミュージシャンが多い。
日本も世界も、今、やっと音楽イベントが徐々に以前のように開催されるようになってきている。でも、きっとまた止まる。悲観的になるわけではないが、きっとまた集まれない時期が来るだろう。これから十年か十五年に一度のペースで、こうやって、新種のウイルスが蔓延し、移動ができなくなり、集まることが敬遠されるようになるんじゃなかろうか。
それを想定しながら動くこと、今後大事になりそうだ。
異文化を「分かり合えない」ままに認めあう姿勢も、そんな意識のもとに生まれてくるんじゃないかと考えている。
*1:この少し前、中国インディーでは舌头乐队というミクスチャーバンドが流行っていた。ADFの世界的な流行と時期が合致する。