「そして助成金をうまく使う」の意味――ラジオ公開収録イベントに向けて

年末ぐらいからいろんなTODOに追われている。年度末にかけてとても。仕事が多い。おまけに、オフショア第二号の編集、組版と入稿も、この時期に重ねてしまった。

 

忙しかった日々のピークでは、毎日24時か25時までパソコンに向かい、風呂に入って25時か26時に寝る、という日がまる1週間ぐらいは続いたと思う。3月に入った今は、そこまでではないけれど、まだなんとなく気の抜けない日々。さすがに21時には仕事を終わらせるようにはしているが、でも、「この日は丸一日休めるんじゃないか?」と思える日がない。

 

もともとワーカホリックなせいもあるけれど、やるべきことを数えて、それが増えていくように並べるのが好きなのかもしれない。もしかしたら、その中のいくつかの仕事は多少遅れたって誰も文句言わないし許されたりするのかもしれない。また、仕事のひとつひとつをきちんと見ていけば、まったく割に合わなかったり、ほぼ無料で引き受けてしまってたりすることもあるのかもしれない。よくないなと思いつつも、でも、あんまりお金だけで動きたくはない(我々が存在している文化周辺の仕事なんて、一般的な社会で決められた賃金や労務のシステムが合わなさすぎることを、製作あるいは制作側――つまりは資金調達をやる側――にまわればよくわかる)。

 

12月頃からこんなに忙しくしてきたのに、今は、どこにも出歩けないぐらいの懐事情。まだ入ってこないお金もある。年度末に仕事が集中するということは、年度末が締めなので、行政が関わっていたり助成や何らかの支援が関わっていることが多い。助成金にまつわる仕事をすると、毎年この状況になるだろう。日々とっても忙しく過ごしているのにお金がない。お金は忘れた頃、3月末か4月に入って振り込まれてくる。そして4月に入ったら、またこのことを忘れてしまう。そして11月ごろから年度末に向けた仕事がなだれ込んでくる。仕事を断る選択肢がないので、昨年のことを忘れてしまっていて、ついつい「年度末」に向けた仕事を入れて、振込を待ち侘びながら、おかずを少なく米を多くする。

 

オフショアについては第二号をやっとこさ入稿できたのは良いのだが、これほど時間をかけて編集した号が、前号同様売れてくれるのだろうか。内容は面白い。私が太鼓判を押している。しかし、内容に応じた売れ方をしてくれるだろうか。どのようなものでも創刊号は注目を浴びる。第二号以降のオフショアは「通常」になる。恐る恐る、私は第二号の扉を開けている。

 

第二号を出すとともに、このようなイベントも開催する。私にとっての「年度末」を締める作業である。

offshore-mcc.net

 

あえて副題に「助成金」を引っ張ってきた。助成金や助成というシステムについて、手を出してみたいけれどいまいちよくわからない、気になっているがどこから扉を開いたらいいのかわからない、と思っている人にも来てもらえれば、と思った。下世話にいうと「釣り」のコピーだ。とはいってもきちんとそれ相応の話をする予定。

 

オフショア第一号を手に取った人は、奥付に、助成のクレジットが記載されていることを確認した人もいるだろう。しかしこれは本質的な「助成」の意味とはあえてずらして書いている。私の書き振りはこうである。

 

オフショアは一般財団法人おおさか創造千島財団による2022年度創造的場づくり助成を受けています。

 

通常、助成を受けている場合の正式なクレジットはこうである。

 

助成:一般財団法人おおさか創造千島財団

 

どうして正式な表記をしていないかというと、この奥付において表すべき「本づくりの役割」と、おおさか創造千島財団からの助成を切り分けているからである。私が申請し、助成を得ているのは、あくまでもこの『オフショア』という出版物を出し雑誌としての場づくりをしていくための「準備や広報」にあたるところで、『オフショア』という本をつくるそのものの行為には、助成金をあてていない。

 

どうしてそのように申請したかというと、複合的に絡む理由がいくつかある。

まずひとつは、そもそも、私個人の考えとして、販売する物の制作に助成金をあてると、助成金なしでは成り立たなくなってしまうからだ。助成金がある1年目と、助成金がない2年目の差は大きい。自分のモチベーションも下がってしまうだろう。助成金ありでスタートして、それがだんだん市場経済に依ってやっていけるようになり、助成金なしにできるようになったプロジェクトは、日本では聞いたことがない。あるAという助成金を使いそのプロジェクトを始めたとき、多くの場合で考えられるのは、2年目からはBという助成金をつかい、3年目にはCという助成金を使う、というようなやり方だ。そして根本的に、その申請者本人が助成金に頼ろうと思っていようと思っていなかろうと、助成制度のほとんどが求める「自己の利益のみを追求しない」「社会に貢献する」「公益がある」ような取り組みを行おうとプロジェクトを組み立てていったとき、市場経済においては成り立たないことが多いだろう。公益と私益は相反する。私益は公益につながり、公益は私益につながるはずのに、書類に落とし込む際の解像度をあげればあげるほど、ここで、矛盾がおこる。

 

もうひとつの理由は、これもそもそもの話なのだが、日本で一般的に見られる文化にまつわる助成金で、「販売を目的とした出版物」に使えるもの或いはそのような申請が認められるものは、ほとんどない。私が得たおおさか創造千島財団の助成金であっても、基本的には展覧会やイベント等、発表することであったり、大阪の場を生かした場づくり事業が求められている。出版にも助成しますよ、とは言っていない。これは、元々のおおさか創造千島財団の母体を考えると単純明快である。千島土地という住之江区の土地や不動産を持っている企業から生まれた財団だからこそ、大阪に活気をもたらすことがミッションなのだ。大阪や関西広域圏において何かプラスがなければ、助成する価値が薄くなる。

 

ただし、国際交流基金がやっている翻訳出版助成(と言っても日本語のものを日本以外で翻訳出版することに対しての助成)や、学術出版の助成はある。出版を「文化」として捉えたとき、文化芸術にまつわる各自治体の課や文化庁、そして民間の基金、財団が行っている助成がないのである。

 

日本の文化芸術にまつわる助成金の主たる助成対象は、「催しもの」あるいは「研究」や「教育」で、コピーして頒布される複製物かつ販売物に助成するためのロジックは、まだ成立していない。本に限らず、コンサートや映画製作への助成はあっても、相応の数を市場に出回らせることのできる複製物=音楽CD /レコードや映像ディスク自体を制作することへの助成も、ないのだ(クールジャパンや経産省のものは、文化管轄ではないので省いている)。

 

Calo Bookshopで行う公開収録イベントでは、こういったことも含めて、私がどのような書き方および整理で、おおさか創造千島財団による「2022年度創造的場づくり助成」に申請したのか、少し具体的なTIPSを話せればと思う。複製物を頒布する「出版」という行為についての助成は日本にはほぼないが、何かしら、文化芸術に属する分野での問題意識をもちつつ出版やメディア活動をするならば、それは、助成金を得ることのできるプロジェクトになりうるかもしれない。

 

加えて、「あの人、普段どうやって糊口を凌いでいるんだろう」とすぐ想像したりしてしまうのが私であるし(その分、自分自身も周りからそんなふうに疑問に思われていると思う)、お金についての話が好きな私だからこそ、あからさまな金額は出せないにしても、決算報告のようなこともやろうと考えている。

 

公開収録時には話したけれどもMixCloudでアップロードするときにはカットする部分も多くなると思う。会場定員は15名。質疑応答も予定。会場でお会いできることを楽しみにしています。