2022年11月、中国の市民によって自発的に歌われた「インターナショナル」

まさか2022年、中国で「インターナショナル」が市民により自発的に歌われるとは思わなかった。

ゼロコロナを目指す中国。ゼロコロナという言葉がもしかしたら数年後、10年後、数十年後にまったく意味が通じない言葉となっていたら不安なので付け足しておくと、この記事執筆時点の中国は、Covid-19感染者が出たエリアはどんどん封鎖されている。

2021年、大都市である武漢市全体がロックダウン=封鎖された記憶がもうはるか昔となってしまった。現在の中国における「封鎖」は、わずかな単位のエリアでのことを指している模様だ。あれから変異を続けてきたウイルスは、ごく小さなエリアで検出されるたびに、権威による管理システムを媒介して、その地に暮らす市井の人々の自由な活動、行動、散歩、買い物、運動に制限をかける。

百度地図を久々に開いてみると、写真のように赤いマークがたくさん着いていた。私の北京の友人が住む朝陽区に近いエリアだ。「疫情高风险」と赤いコロナ印が打たれた場所がたくさんある。「6号楼」「1号楼」など、数字に「号楼」が付く表示は、日本でいう団地やマンションのA棟B棟、あるいは3号棟や12号棟など、団地群やマンション群の一棟の建物を指す。集合住宅に住んでいて、同じ棟に住む住民から感染者が出たら封鎖、そして毎日のPCR検査(中国では「核酸检测」と呼ばれる)を義務づけられる。それがこの赤いコロナ印「疫情高风险」(=コロナハイリスク)だ。

 

百度地図で閲覧した北京市朝陽区、「高风险区」は感染ハイリスク地域。

百度地図で閲覧した北京市朝陽区、「高风险区」は感染ハイリスク地域。

 

「コロナ感染者はゼロでなければいけない。ゼロを目指す。」そのためのシステムが今の中国によるゼロコロナ政策と呼ばれているもので、まあ日本のあの頃の「ウィズコロナ」とか「雨ガッパ」とか「イソジン予防」とかもかなりヤバかったと思うけれども、今の中国も、このゼロコロナを「どこで引き下げるのか」が見えていなさすぎた。もちろんこれでは市民はストレスがたまる(そんなことは指導部もわかっているんじゃないかと思うがどうしてこうなっているかが不思議だ)。

それでも、仕方なしに泣く泣く封鎖を飲み込み検査を受けて耐え続けてきた人たちの堪忍袋の緒を切らせたのは、ウルムチ市での火災だった。長期間封鎖が続いていたエリアで火災が起こったが、ゼロコロナを目指すがゆえの厳しい管理で、消防車が火災発生現場に近づくことが難しく、火災によって少なくとも10名が死亡。Instagramかwechatだったか忘れたが、私が見た速報動画では、弧を描いて放たれる大量の水は燃えさかっている建物に届かず、その火災現場の手前であえなく落下していく。管理がいきすぎているが故の市民の死亡や混沌はこれが最初ではなく全省全地域で積もりに積もっていたものだった。

 

ウルムチで、この悲惨な火災を受けてデモが起こった。連鎖して全国、特に大学生たちが行動を起こしはじめ、各大学でも抗議が行われた(そのなかの一つが、何も書かれていない白い紙を掲げて静かに立ち尽くすという抗議方法だった)。上海市の「ウルムチ中路」でも、ウルムチ市の火災で亡くなった10名を悼んで集会が行われた。また、大学生たちの行動から間を置くことなく、大人たちも、それぞれの地域で抗議行動を起こしている。

 

それぞれの抗議行動では中国国家である「義勇軍行進曲」や、中国共産党共産党讃歌としてよく用いる「インターナショナル」が歌われているようだ。どちらの曲も、「起来=立ち上がれ」という言葉が歌詞に含まれている。ブルジョワに奴隷のように扱われることに反発した農民たちの発起の歌であり、草の根の連帯を促す歌で、共産主義の教義ともされている気高い歌なのだから、もちろん、ここで人々は歌詞に倣って立ち上がらなければならないのだ。

 

以前このような記事を書いた。

yamamotokanako.hatenablog.com

まさに今立ち上がらなければ、ウルムチの火災のようなことは全国各地で起こりうる。逼迫した状況で歌われる「インターナショナル」をネット経由で聴くこととなった。

 

Instagramで見た映像では、四川外国語大学での抗議運動では、まさに上記記事でも紹介したバンド唐朝による「国际歌」(インターナショナル)が現場で流されていたようだった。

 

政府や権威によってプロパガンダとして用いられる「インターナショナル」と、唐朝によるロックアレンジの「インターナショナル」。前者の音楽的好き嫌いは置いておいて、後者のヘヴィロック的アレンジは万人受けするサウンドではなく、好まない人も多いだろう。しかし、この二種のアレンジの比較で実に不思議なのは、メロディも歌詞も展開も全く一緒なのに、伴奏が変わることのみによって曲のメッセージが正反対になってしまう現象だ。ヘヴィロック的アレンジが、唐朝というバンドにとっての自然体であり基本でもあるのだが、見事にロックが「記号」になる瞬間。

 

youtu.be

 

とはいえ、現在も続く中国各地の抗議活動において、「インターナショナル」は伴奏なしにアカペラで歌われる場合がほとんどだろう。なぜならその逼迫した状況において、「記号」を選ぶ余裕はないからだ。あらゆるものを削ぎ落とした状態で、生身の人、それも、多くの人々が声帯を震わせ発するこの歌詞、このメロディには、極端な力強さがある。

 

一方で、日本の自分の足元を見てみる。中国に詳しいとされる人たちはしきりに「天安門が起こるかもしれない。うかつに海外から協力するな」といった警鐘を鳴らしている。私は80年代生まれだから、内ゲバがどのようなものだったかをつぶさに見たわけではないけれど、日本人の多くが学生運動内ゲバのトラウマからノンポリを決め込まざるを得なくなったのもよくわかる気がする。またあるいは、現在の自分と他者の苦難の要因は政治であるということに気づいていない場合もあるかもしれない。連帯や協力をうかつな行動と揶揄することは、冷笑系ノンポリとも相性がいいと思う。日本はこのまま、まだ数十年は自民党を許し、癒着と腐敗にまみれた政治をも許し続けるのかもしれない。

 

ちなみに、WeChatを見ているなかでは、私の友人たちの多くはネット上で活発に情報や苛立たしさをシェアしている。北京で大きな抗議活動が起こっている亮马桥は、ちょうど数名の友人たちが住むエリアからかなり近くはあるが、現場に行くよりもネット上での発信・議論に集中している。

 

 

 

 

参考:China's Urumqi to ease Covid lockdown amid public anger over deadly fire | CNN