カンフー映画と肉体と犬肉

もう数ヶ月まえのことだけれど、ブルース・リーの映画を初めて見た。『ドラゴン怒りの鉄拳』。1972年の映画。

肉体的な映画に全く興味がなかったのでこのままいけばブルース・リーを一本も見ずに老人になるところだったが、見ておかなければならないと思った理由はレオ・チン著『反日―東アジアにおける感情の政治』だった。

 

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東アジアにおけるポップ・カルチャーの政治性が引き出されていく書籍。ゴジラブルース・リーのストーリーを題材に論じられている章がある。ブルース・リーもあの時代に香港からアメリカに渡り映画スターとして活躍することが政治的でないわけがないなと合点がいく。

『ドラゴン怒りの鉄拳』、一番驚いたシーンは、公園に入ろうとしたブルース・リーがインド系(だっただろうか? うろ覚え)の守衛に拒まれるシーン。

 

ブルース・リーをやっと見たなら、中国で今40代ぐらいの人たちがみんな見ている『少林寺』も見たほうがいいんじゃないかと思い、iQIYで鑑賞。若きジェット・リー主演の元祖『少林寺』。

『ドラゴン怒りの鉄拳』から10年経ち、1982年の映画が『少林寺』。いろんな俳優が「子供の頃見てはまった」と言っているわけが理解できた。今のカンフー映画に見られるようなCGコテコテではなくほぼほぼ実写。そして技をきちんと見せるシーンがかなり多い。効果音として後から挿入されているであろう風を切る音が気持ちいい。ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』からジェット・リーの『少林寺』までのたった10年のあいだで、映画におけるアクション技術がずいぶん進化したんだなと感心もした。ブルース・リーのは、コテコテCGカンフーを見慣れていると、アクションシーンがあんまり気持ち良くない。それはそれで、筋肉の重さや重力が伝わってくる映像でいいのだけど。

少林寺』を楽しく見ていると、途中で出会った雑種の犬を殺して食べてしまう場面に遭遇する。「あ、あの犬、食べちゃったんだよね〜」「なんてこと!プン!」というような軽さでそれが映画のなかで流れていく。犬は地域や民族によっては食べ物だ。わかってはいても落ち込んでしまった。さっきまで映像の中で元気に走ってワンワン吠えていた犬が、BBQになって食べられた。

 

犬を食べることぐらいで動じないと思い込んでいたが、自分の中にも動物愛護の感覚があるらしい。笑顔の犬は、できるだけ長生きしてほしいと思う。でも犬を食べる地域があることも、わかっている。犬はそれでも、食べられても、DNAに「人間には近づかない」と刻み込まなかったことが面白い。食べる・食べられるの食物連鎖を超えた関係。

少林寺』を見ながらジェット・リーが最近どんな映画に出ていたのかを調べようとWikiを見ると、重い病気で何年も表舞台に出てきていないことが書かれていた。

少林寺』。思いのほか、生きることについて考えてしまった映画だった。

 

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