我なりの自己啓発について

好久不见!

年度末。この年度末、実は見事な同時進行で2本、大学関係の冊子編集を担当して、2月からつい数日前まで根詰めておりました。ひとつは大学内のみで配布される冊子ですが、もうひとつのほう(こちらは最終的に190ページでしたね……)はまもなくどこかでPDF版も公開されるかと思います。そしてまもなくまた新年度、4月がやってくる。

 

この1年は、流行りの言葉ではデトックスと言うのか、厄祓いなのか、身体と精神をつくりなおすような期間だった。下調べ不足でのフルタイム就職→無残に惨敗→不眠を背負って休職・退職。それからは失業状態。失業状態ももうすぐ終わってしまうが、以前の自分らしかった生活スタイルと同じく、週3程度でパートに行き、あとの時間は自分のことをする。自営業&パートの兼業をやることにした。きっと、オフショアも4月以降はしっかり動かせることでしょう……。4月にはいるとさっそくひとつのおしらせを打つ予定。

 

大学関係の冊子づくりで忙しいなかでも、「ああこれブログに書き残しておきたいな、いつ死ぬかわからんし」と思っていたことが、今書いている「我なりの自己啓発について」である。

 

失業中はだれでもそうなると思うのだが、ハローワークや市、県の就職相談窓口や男女共同参画センターの情報をたくさん目にする。相談窓口は「こころ」方面もあれば法律方面もあるし、セミナーも結構面白そうなものがいろいろあって、もちろん無料。積極的に参加していた。単純に、むっちゃ勉強になる。勤労者は有給を取ってでも行くべし。

 

私は現在神戸市在住で、兵庫県男女共同参画センターやハローワークで開催されるものを中心に受けて、非常に身になったセミナーはこういうもの。

 

だいたい素直に「勉強なったっす!」という気持ちなのだが、ウェブライターの講座に関しては、逆の意味。要は、世の中のSEO対策に沿った記事を量産できる技術を身につけよう、そしてクラウド人材サービスに登録してライターとして食っていくことの厳しい現状(お金になるなんて思わない方がいいですよ〜という忠告込み)が語られるものだったのだが、ウェブでこつこつ一人メディアみたいなことをやってきた私からすると、「これ以上たくさんの人がSEO対策記事を書き続けると社会全体は良くなることはないから、どっかで止めませんか?」と思う。講座を聞きながら「資本主義の骨頂だな」「ウェブのこういうシステムが終わる日は来ないのだろうか」と腕組みしてしまう。

 

他に関しては、受け終わった後「いやー受けてよかった!人間っておもしろ〜」と清々しくなる。そして関連書籍とかも見てみると、よく理解できる。

 

私が聞いた、レジリエンス臨床心理士の方のセミナーは似ていて、ものすごくざっくりと説明すると「自分の受け取り方をまず見直しましょうね」「自分の受け取り方にはフィルターがあるからね、だって他の人は自分と同じ反応してないでしょ」とか、そういうこと。言い換えると、自分の奥底から湧き出てくる「こうあるべき」とか「こうあってほしい」を捨てるためのトレーニング、という感じもする。もっと言い換えると「がまん」にもなるかもしれないけど、それが「しんどいがまん」ではなく「アホのふりして関わらんようにしておくスマートでエレガントながまん」みたいなところでもある。我が強く頑固者の私が、レジリエンス認知行動療法の話をスッと受け止められた理由は、それ以前から、尹雄大さんが著作にたびたび書いていらっしゃる「身体と思考が切り離されることへの違和感」のようなものを感覚的に理解できていたからかもしれない。それと、これは尹さんの書いたことかどうかわからなくなってしまっているが、「痛みを感じている自分」と、痛みを感じている自分を「知覚している自分」は往々にして別だということである。ああ、うまく伝わらない感じがするけどまあいいや。

 

あと、アサーションについては図書出版クレインから出ているアン・ディクソン著『それでも話し始めよう』(アサーティブジャパン監訳・監修、2006年)を電子版で買うに至った。というか、図書出版クレインのラインナップをみると異色に見えるのだが、このアサーティブの本の訳文が非常に読みやすく、「はいはい自己啓発本ね」と片付けるなんてことはまったくできない、文章の面白さがある……。

 

とはいえ、大垣書店とかジュンク堂ではない一般的な書店に行くと、一番目につく棚はほとんどが自己啓発系でギョッとする。みんなそんなに病んでんのかよ……。昔は、思い悩んだ時、辛い時、やるせない時に、支えになるものとして信仰や宗教があったりしたのかもしれないな。と、テキトーな発言で締めたいと思う。