「クロスレビュー」に参加した。異なる専門家が三人集まって、主宰する劇作家・岸井大輔とともにそれぞれにとって異分野となる作品をレビューしあうというもの。
私は『THERE IS NO MUSIC FROM CHINA』という、中国の、ビートもメロディもフレーズもない音楽を集めたコンピレーションを紹介した。
もともとこういった音楽は、こういった音楽の中だけでレビューされていたり、こういった音楽に詳しい人しか語っちゃダメだ、というような空気がある。
しかし、総じて、今回聴いてもらった異分野を専門とする方々からの反応は良かった。私は「こんなのを聴いて何が面白いんだろう?」という疑問が出てきたりするのかな?と思ったりもしていたのだけれど。
でもよく考えてみればそりゃそうで、音楽以外のジャンル、演劇も映画も文学も詩も、漫画も、ゲームだって、わかりやすいメインストリームのものだけで埋まっているわけではない。前衛的だったり実験的だったり、ある程度経験を積まなければ理解しづらい作品はたくさんある。音楽という分野における前衛性や実験性だけが特別だ、なんてことはない。
こういった音楽のコミュニティの中にいると、ついつい「私たちがやっている(聴いている)音楽なんて理解されないから」といった自虐のような感覚が常にまとわりつく。しかし、これこそ思い違いで被害妄想で、むしろ、そんなふうに自虐している態度は他者を寄せ付けないためのバリアあるいは他者を「どうせ理解できない人」とレッテル貼りしてしまう行為のように見えてしまうこともあるかもしれない。
J-POPリスナーにとってみれば変わった音楽かもしれないが、ビートもメロディもフレーズもない音楽なんていまやそこらじゅうにあるもので、こそこそやらなくても堂々とやってればいいし、説明しづらいからと言って「わかる人だけで楽しむ秘密のサークル」みたいに閉じこもるのは、すでに時代遅れだ。そんなことを、昨夜のクロスレビューが終わった後に考えていた。