神戸豚まん調査(2)豚まんを食べながら歩く

 神戸に引っ越しを決める前に、「神戸に住むのもいいかもしれない」と思ったきっかけがある。平民金子さんの著書『ごろごろ、神戸。』を読んだことである。平民さんは、この本の中で、ご自身の子供をベビーカーに乗せて、ベビーカーをごろごろと押しながら神戸をうろついて、見た風景を書いている。神戸のごく一部のランドマークを知ってさえいれば、平民さんの文章が、神戸の目立たないけど味わい深い街角をくっきりと見せてくれる。モザイクやトアロード、北野や南京町、そういうキラキラしたところではなく、地元の人が、カッコつけずに普段着で買い物しに来たり食べに来たりしている生活のための神戸の街角。
 この本には湊川や新開地の一帯が多く登場する。約20年前、私は神戸市北区の高校へ自宅の尼崎市から通うため、毎日新開地で神戸電鉄に乗り換えていたのだが、湊川で降りたことはなかったからミナイチは知らなかったし、新開地でうろうろしたいと思ったこともなかった。それでも、ごく一部知っていた駅構内の様子や空気感を、平民さんの文章から脳内に呼び起こし、そこからさらに、脳内で神戸の街を立体的につくってみる。


 神戸に引っ越した後、聖地巡礼よろしく平民さんの足跡を歩いたが、脳内につくりあげた私の新開地〜湊川マップと、実際の街は、さほど変わらなかった。うれしかった。
 『ごろごろ、神戸。』では、平民さんがミナイチや他の市場、そしてどんどんきれいになる神戸市各地の再開発を絶妙な温度で惜しんでいらっしゃる文章が印象的だった。反対するでもなく、諦めるでもなく、グチグチと不満を述べるでもなく、悲観するでもなく。「ミナイチ・エレジー」という章には特に共感し、自分では言葉にできない感覚を、見事に代わりに言ってもらえたような気がした。


 それにしても、ミナイチってそんなに最高やったんか。私は毎日そこに通える定期券を持っていた20年前、どうして湊川でうろうろせんかったんや。後悔しても、時すでに遅し。というか、当時高校生だった私に、元町のレコード屋や、トアロードやモトコーの古着屋よりも魅力的なものは神戸にはなかった。音楽と古着にしか興味がなく、当時キラキラしていたハーバーランドさえも行かなかったもんな……。そして、あの頃の私はなぜか神戸より大阪のほうがかっこいい、アメ村で古着見てレコード買うのがイケてると信じきっていた。今思い出すとなんだか恥ずかしいけれど。


 私が神戸に引っ越してからのミナイチ跡地は、すでに大型マンションの建設のために工事の囲いで覆われている。私はミナイチを、自分の目で見ることがなかった。ただし、ミナイチ跡につながる東山商店街と湊川商店街と、湊川商店街にくっついているハートフルみなとがわなど、これらは今も健在。実のところ、引っ越したとき、自宅がこれらの商店街から徒歩圏内と気づいていなかった。まあ近くにスーパーあるからなんとかなるでしょう、と思っていたら、徒歩たった15分ほどで東山商店街に行けることがわかり、そうなれば、もうスーパーで買い物するのはアホくさい。神戸っ子の誰もが知っているけど、神戸を出たらあまり知られていない東山商店街では、生鮮食品が全てそろう。せっかくなら、チェーンのスーパーよりも、それぞれ個人商店で卸売市場から仕入れてきている商店街で、新鮮な魚や野菜を買うでしょう。実際に野菜や果物をスーパーと商店街でそれぞれ買い比べてみると、やはり収穫後、運ばれてくるまでの時間が違うのだろう。同じキャベツでも、トマトでも、ほうれん草でも、そして特にイチゴとかりんごとか国産の果物は、商店街で手に入れたもののほうが圧倒的に味が濃くておいしい。そして、葉野菜は根付きで売っていることがほとんどなので、きちんと新聞に包んでさらにビニールのジップロック袋等に入れて冷蔵庫に入れておけば、しっかり長持ちする。


 なかなか本題に進めないが、豚まんの話である。どうしても東山商店街を賞賛したいがために長くなってしまった。


 最近、東山商店街内においていくつかチェックしている豚まんがあるのだが、そこに向かおうとしたら唐突に目に入った「とんとん餃子」の看板。そういえば、ここ、餃子屋だった。北から南へ伸びた東山商店街の南端から約50メートルの地点で、車道が商店街のアーケードと交差する。その車道を東に曲がってすぐのところにあるのが「とんとん餃子」。ハートフルみなとがわの北側に位置する。急な坂の途中にあるから、徒歩であろうと自転車であろうと、いつも勢いよく下ったり上ったりして、素通りしてしまっていた。店のお持ち帰りカウンターの下部に掲示してあるメニューを注視してみると、あるやん、豚まん。しかも1個90円。


 私が神戸に来てからこの都市にある豚まんをすべて食いつくしたいと思った理由は、その安さからである。本当は、正直なところは、白状すると、神戸市内にある中国料理をぜんぶ食べたい。しかし私の収入はそれを許さない。手頃な金額のランチに絞ったとしても、今の相場では一食750円は下らない。一日の支出をだいたい千円ぐらいに収めないと暮らしていけない低収入の私には、ちょっときつい。パトロンがいないと不可能である。ならば、豚まんなら自分のわずかな年収でも細々と食べ続けることが可能なのではないか。豚まんは、高くても一個150円ほど。そして2個用意すればそれで立派な一食として完結できる。私には、豚まんぐらいの金額の手頃さがぴったり合うのだ。

 

 さらに、私は一つの夢想を持っている。豚まんって、片手で食べられるファストフードなのだ。ずぼらでありつつも食について貪欲な私は、めったに食事を抜かない。仕事や用事で、どうしても時間がないのであれば、コンビニでおにぎりを買って歩きながら食べたりする。歩きながら食べるのは胃腸にとってあまりよくない気もするが、それよりも空腹が満たされない方が私にとってはストレスとなる。歩きながらでも胃に何かを入れたい。歩きながらおにぎりのビニール包装を剥きむしゃむしゃ食べながら歩いていると、たいてい、通りすがりの人に見られる。日本では、食べ歩きがあまりよろしくない雰囲気がある。しかし、これって日本だけじゃないか?


 一年だけ留学で住んだ福州では、学生街や、それ以外の通りでも、お祭りをやっているわけでもないのに道端の屋台で買った食べ物を食べながらゆっくり散歩しているカップルや友達同士の若者がたくさんいた。最近日本では中国料理としての羊肉串が超人気だが、あれも、中国では日本で出てくるサイズの2倍ぐらいの大きさが普通で、つまりは約40cmぐらいの串に約3cm角の羊肉が5、6個ぶっ刺された串を、可愛い女の子が手に2、3本持って歩きながらガシガシ食ってたりする。私は、食べながら歩く、その余裕というか、決して良い子を演じない堂々たる勇ましさに憧れている。
 また、日本人が勝手に想像している「ニューヨーカー」だって、片手にコーヒー、片手にサンドイッチやホットドッグやパンで朝ごはんを歩きながら済ませる、というイメージじゃないか? 本当にそんなことをしている人がいるのかは、私はニューヨークに行ったことがないのでわからない。けれど、先日『唐人街探案2』というニューヨークを舞台にした探偵ものの中国コメディ映画を見ていたら、中国人探偵たちが、片手にホットドッグのようなものを持ってかじりながらニューヨークを闊歩する、というシーンがあった。「みんな忙しいから出社のとき歩きながら朝食食ってるんでしょう。ニューヨークっぽさって、これでしょう!」と、デフォルメされたニューヨークで観客を笑わせようとする。中国人も、日本人と似たような「ニューヨーク」像を持っているらしい。


 神戸の坂を歩きながら(できれば下りがいい、上りで歩きながら食べるのはさすがに胃腸に申し訳ない)、豚まんを片手に、ハフッと齧る。お店ですでにふかしてもらっているものであれば、中の餡が火傷するほどアツアツということはあまりない。たいてい紙や袋に包んでもらえるから、衛生面も問題ない。片手で持つにもちょうどよく、思いっきり齧るのも躊躇しない、食べ歩きフードとしてベストではないか。肉汁が多くなければ、手が汚れることが少ないのだ。豚まんというものはその構造上、小龍包や餃子とは違って、肉汁はもうだいたい皮の部分が吸ってくれている。神戸っ子の、いや、忙しい日本人の食べ歩きフードとして、豚まん、定着しないだろうか。カロリーメイトやゼリー状の栄養剤を飲むよりも、小麦、豚肉、玉ねぎやネギなどの実際の穀物や野菜、肉から栄養を摂れることも素晴らしい。そして、神戸ではあらゆる店で豚まんが売っている。サクッと小腹を満たしたい時には、歩きながら片手で豚まん。朝の出勤時に、歩きながら片手で豚まん。流行らせたいなあ。


 「とんとん餃子」で買える90円の豚まんは、安いだけに小ぶりで、おやつにも適したサイズ。4口ぐらいで食べ終わりそうなので、片手で持って食べ歩きすることにまだ慣れない人にもちょうどいい。また、皮が柔らかすぎず、硬すぎず、ちょうど良い弾力であることも、食べ歩きに向いている。中身の餡は、ミンチ肉と玉ねぎと椎茸。薄い味付けだけれど、噛めば噛むほど皮と餡両方から甘みが出てくる。
 でもできれば、豚まんを買うとついてくるタカラマスタードを付けて食べたい。この辛すぎず弱すぎず、しっかりスパイシーなタカラマスタードをつけることで、味が完成する豚まんだと思う。せっかくなら両手が空くバックパックや肩掛け鞄で行って、片手にタカラマスタード、片手にこの小ぶりの豚まんで、手際よくマスタードを塗り、かっこよく食べながら歩きたい。包んでもらった豚まんのパックから、タカラマスタードを取り出し、うまく両手の指を使ってマスタードの入った小さな袋の端っこをちょっと切る。そのマスタード袋をぎゅっと強く押してしまわないように気をつけながら、豚まん本体を取り出す。取り出した豚まんは利き手と反対側の手で持つ。利き手でマスタード袋をいい塩梅で絞り、豚まんの外周にできるだけ均等に絞り出す。齧るときは、口の周りにマスタードがつかないように注意を払ってクールに。食べながら歩いている間は、けっして猫背にならず、背筋をピンと張る。胸も張る。視線は豚まんと、正面を往復するのみ。横や下は決して見ない。「座って食べる時間がない私は忙しい」「それでも私は食には手を抜かないのだ」という主張を態度に込めて、街をゆく見知らぬ人たちに見せつける。本当はこのあと予定なんてなくたって、本当は座って食べたほうが落ち着くねんけどなと思っていたとしても、堂々と。


 けれども、そこは湊川。周りのおばちゃんやおじさん、婆ちゃんに爺ちゃん達は、基本的に他人に興味なし。この下町で、他人の目を引くことはなかなか難しそうである。神戸の台所と呼ばれる東山商店街や湊川商店街周辺で、堂々と胸張って豚まんを食べながら歩いていても、ここ下町の風景に埋もれるだけかもしれないし、もしかしたら神戸の外から来た観光客と間違われたりして……。「神戸に来て、神戸名物の豚まんを食べたかったんやね、あの子は」と捉えられるのがオチかもしれない……。


 まあ、それでもよし。どちらにせよ、堂々と食べ歩きができる雰囲気なのが、このエリア。ここならまだ食べ歩きが恥ずかしい人も、きっとデビューできるはず。