東アジアのポップ・ミュージックの連環について、静かな期間に考える〜KITAKAGAYA FLEA『東アジアの街と音楽』トーク後雑感

f:id:yamamoto_kanako:20201123231454j:plain

今日、昼前に『東アジアの街と音楽』というタイトルでKITAKAGAYA FLEAにて配信トークに出演してきた。私が主催のインセクツからコーディネイトを含む依頼を受け、台湾と中国をメインに音楽プロモーターとして活動している寺尾ブッタさん、ソウルで喫茶店を営みソウルの音楽家等の音源も店頭販売していらっしゃる清水博之さんをお呼びし、ZOOMで3者トークしそれを配信した。

詳細はこちらに。

 

kitakagayaflea.jp

 


まずは、実際のイベントとして開催できず配信となり、多大な努力をされたインセクツの皆さんに感謝を。機会をいただきありがとうございます。

 

私はトークのホストとして会場に行く必要があったため、最近あまり起きていない時間に早起きし、北加賀屋へ向かった。向かう途中に、そういえばトークをするなんて何年ぶりなんだろうと考えた。どんなトークでも実は前情報を仕込んだり、それぞれの地域の歴史をおさらいしたり、準備に時間をかけている。今回も前日はほぼ台湾や韓国の近現代史をなぞる作業と、ゲストのお二人がおすすめするアーティストの下調べをしていた。こういう作業を前回したのは、いつだったっけ。もう思い出せないけれど、しばらくトークイベントなどに登壇していなかった。

 

2015年、沖縄に引っ越したからにはやはりオファーも減り(交通費の問題)、自分がアジア全体よりも沖縄という地域に夢中になったことも理由のひとつかもしれない。「そういえば、こうやって地域をまたぐ音楽のトーク、久々で新鮮だなあ」と、今日はしゃべりながらしみじみ感じていた。

 

沖縄への移住、文化行政を実践から学ぶこと、福建省福州市への留学、留学後の自己学習を経て、人前で音楽について話すことへの度胸がついたという実感もあった。知識を身につけ思考を磨けば自信になる。そういえば、アップリンクなどでトークイベントをどんどこやっていた時期は、知識を一時的に身につけただけだったから、自信がなくて毎回ヒヤヒヤしながらやっていた。私も成長したもんですよ。

 

我の成長ストーリーは置いておいたとしても、今日のトークはこれから私が考えていくべきトピックや事象の導入となったという確かな実感もある。アジアと言えど広い。ユーラシア大陸のうちヨーロッパおよびロシア以外がすべてアジアであるというのが、アジアの定義である。私が言うアジアとは大抵東アジアおよび東南アジアに限定してしまっている場合が多く、この「アジア」という呼称もそろそろ自己から切り離していかなければと思っていたところ。今回は、「東アジア」をタイトルに据えた。もちろん、今日のトークでは香港やマカオ北朝鮮、そして一言ではくくれない中国や台湾の小さな地域と民族さらには沖縄もすっ飛ばしてしまったが、それでもまだ許容範囲としておきたい。そして、やはり東アジアをひとつの大きなまとまりとして考えると、様々な事柄が連環していく。

 

例えば、まずは東アジアの多くの地域は日本によって統治されていた時代を持つ。今日のトーク「街」もテーマに据えていたので、もう少しここも切り込んでいきたいところだったが時間がなかった。街の開発についての話題が一瞬あがったのは寺尾さんによる台北の話だったが、過去の日本統治時代の建物をハードとして活用しながらまちづくりを行なっていく台北の状況と、過去の日本統治時代の建物を爆弾で破壊し新しい建物を建てる韓国の手法と、対比させるととても面白い。広大な東アジアを侵略していった国家のもとで生まれ暮らす者として、この対比から感じ取り理解したいものが山ほどある。

 

そして韓国および台湾は戒厳令が敷かれていた時代が重なることも重要なポイントである。一方中国では、戒厳令とは呼ばないが実質文革期には若者が海外の音楽を聴くなんてことは公にはできなかったし、文革開放を経て、さらに天安門事件があった。これらの東アジア諸地域の政治年表と日本の年表を比べると、どうしても日本が東アジアの他地域のことを理解しづらいのは自明である。

 

また、単純に文化が近いということも、東アジアというまとまりで物事を考えることがスムーズになる重要な要因である。今は漢字を使わない韓国でも昔は漢字が使われており、例えば80年代生まれのパク・ダハム(HELICOPTER RECORDS主宰)は漢字を理解すると言う。時代をさかのぼれば、東アジアの多くの地域は漢字圏であり、儒教が伝わった地域である。日本は仏教と神道が混ざった信仰が大きな影響を持っていると言えるが、よく探してみると、日本のあらゆる文化には儒教の影響が色濃く見える。加地伸行著『儒教とは何か』(中公新書)では、日本の生活・冠婚葬祭シーンに見え隠れする儒教の名残を指摘している。

 

文化の相似性についてさらに掘れば、北朝鮮と中国の国境地帯における文化混合について考えることも面白い。例えば中国延辺朝鮮族自治州北朝鮮との国境沿いにある州で、ここを出身とするラッパーWootacは自身のアイデンティティを中国在住の「朝鮮人」としており、朝鮮語と中国語はもとより、日本語も操るトライリンガルである。彼がGroove Bunny RecordsよりリリースしたCDには、英語も加えて4ヶ国語のリリックブックが付属している。

 

groovebunnyrecords.bandcamp.com


また、これこそ今日話題にしたかったトピックなのだが、寺尾さんがプロモーションを担当している台湾のバンド落日飛車と、HYUKOHのボーカル、オ・ヒョクがコラボレーションした楽曲も面白い。オ・ヒョクのプロフィールを調べてみると、大学進学までは中国で過ごしたとある。1993年生まれの彼が中国で海外の音楽を聴いていたとすると、ちょうど中国での洋楽受容メディアは打口(こちらの注釈*2を参照)からインターネット上ファイル交換に移行する過渡期である2000年代。変わって台湾の落日飛車も同年代から少し上の世代だとすれば、すでに戒厳令時代は過去で、大量の中国産音楽も日本産音楽も香港産音楽も流入してくる中、「台湾とは何か」考えることが熱を帯びた時代に多感な時期を過ごしたのではないだろうか。"台灣"を主張するアクションのひとつと定義できる伍佰の楽曲『台灣製造』(Made in Taiwan) は、2005年に発表されている。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

東アジアのゆるやかに連環した文化圏でものごとを広く眺め分析し比較することはどの分野でも行われてきていることだが、新ジャンルであったポピュラー音楽においてもそれが非常に有意義で厚い層を成すものになるはずだと確信する。東アジアのポップ・ミュージックは、確実に欧米のそれより歴史が浅いものではあるが、そうは言ってももう2020年。ここまでの東アジアにおけるそれぞれの地域のポップ・ミュージックが相互に与えた影響や関係性について、丁寧に見ていくと、それはそれは素晴らしい沼にはまってしまいそうだ。かつ、それこそ、「中国の」「台湾の」「韓国の」と冠をつけず、あえて地域を絞らずに広く浅く調べてきたOffshoreだからこそ、ここから考察を積み上げていかなければならないとも思う。

 

加えて、今日のトークでもうひとつ重要な気づきを得た。Covid-19の影響により自由旅行ができず、さらにはイベントごともままならない今、こういった話題が「バンドをやっている人」にとって興味のない話となってしまったような感覚があるのだ。そもそも大阪発信のKITAKAGAYA FLEAだから、東京で専業音楽家・音楽関係者としてやっている人にはなかなか情報が到達しなかっただけかもしれないが、それにしても、これまで私がトークで「アジアの音楽」を話す時のような「ミュージシャンからの引き」がなかった。もちろん、音楽をやっている人にとっては、今、海外に目を向けることよりも自分の活動や生活の計画で頭がいっぱいだろう。

 

私にとっては一部のフォロワー層を失ってしまったということなのかもしれないが、実はこれが、かなり気が楽になるということも確か。ここからやっと、私は、「音楽をやっている側」目線ではなく、「音楽をただ聴いて楽しむ側」の目線で堂々と自由に話せるんだと実感した。ポップ・ミュージックの界隈で巻き起こる現象をそれぞれビジネスやマーケット動向の視点ではなく、文化的視点で見ていくこと。そもそもビジネスの方法として生み出された複製音源を生産消費する行為や、文化産業とも言われるポップ・ミュージックを、どう文化的に読み解いていくのか。ここに面白さが凝縮されているはず。

 

今日のトークでは、ソウルから参加していただいた雨乃日珈琲店の清水さんが、「ライブイベントで音楽を聴いてそこでCDを買う、ということが音楽を聴くということのメインだったので、コロナ禍の今はあまり音楽を積極的に聴くことができていない」という旨をおっしゃっていたが、実は私もそれにかなり近い状況で、それなのに同意してそこを膨らませる時間もないほどのタイトなタイムキープをしていた。ただ、それは音楽を「聴かない」ということではなく、「聴きあさるほどの行為はしていない」、つまりは「消費行為をしていない」というだけで、実はこれって健康的な音楽との付き合い方なのではないかと感じている。本当に自分が「聴く」という行為に時間を割き、時間を委ねられる音楽家なんてほんの少ししかいないはずで、もしかしたらこれまでの状況が、バンドも多すぎて、音楽の種類も多すぎて、イベントも多すぎて、何もかも飽和で、消費自体に行為の目的が挿げ変わってしまっていたのかもしれない。日本から日本以外のアジアへ販路を拡大したいという音楽家も、多すぎたかもしれない。そして、その考えも、やはり消費という行為に基づいていたかもしれない。それがまったく絶たれてしまうというのはやはりちょっと寂しいけれど。

 

ただ、このCovid-19により与えられた静かな期間は、消費は制限されるがじっくり考えることはできるし、クリエイションもできる。ある意味で非常に豊かではないか。私はこの静かな期間をうまく活用して、東アジアのポップ・ミュージックを、じっくり聴き、時には時代を遡って聴きながら、影響しあい連環している様子を明らかにしていきたい。

 

 

2020年11月noteより移行