対コロナ便乗型生活見直し記録6/11

 世の中はどんどん普通に戻っていく……。と、ひたすら心の中で嘆いているのだけれど、では普通にもどっていくとはどのような事象から感じているのか。ものすごく曖昧な空気感で勝手に落ち込んだりするのはよくない。

 

 イライラすることが多い。イレギュラーなことだらけになっているので、ちょっとしたコミュニケーションのズレが多い。流れ作業で進まなくなった。そういうときにイライラせずに「はいはい〜仕事は仕事ね〜」で和やかにやり過ごせる人になりたいものだが、まだまだ器が小さい。この器はどうしたら大きくなるんだろう。そして、このイライラが、Covid-19によるイレギュラーのおかげだ、と思っている時点で、もっと器が小さいとも思う。単にイライラしているだけなのかもしれないのに、都合よくCovid-19のせいにして。

 

 昨日と今日は雨が降っていたので久々に電車で通勤した。心底電車になんか乗りたくないと思いながら電車に乗った。乗ってみると、まあまあ以前どおりで、ただ違うのは、車内広告の雰囲気が変わったことと、乗客のほとんどがマスクをつけていることか。しかし、あれだ。電車の床にカバンを置いている人をちらほら見かけるが、気にならないんだろうか。中国では、空港の検疫にあるような消毒液を含んだマットが学校や施設に登場しているぐらいなのに、日本は、足裏の消毒に気を配らなくていいのだろうか。

 

 電車の車内広告は、思い切り地味になっていて、トーンが落ちて、心地いい。これぐらいでいい。そういえば、先日JRの駅では、駅構内の広告掲示枠が4つ連続で無になっていた。

 

 道頓堀のづぼらやも閉店するらしいし、ちらほら、「えー、あんなところが?」という閉店・閉業情報が出てくるようになった。持続化給付金も、特定定額給付金も、振り込まれたと同時に使うのはあまりにも危険なのかもしれない。来年雇用してもらえるかどうかなんて、まったくわからない。そう心に留めておかないと、まずいかもしれない。地獄はたった今から、始まるのかもしれない。

 

 

 


 昨日は、香川照之著『中国魅録 -「鬼が来た!」撮影日記』を読み終えた。素晴らしい本。ところどころ、思い出す懐かしい感覚に涙があふれそうになる。私はもちろん、中国のど田舎で映画撮影に立ち会ったことなんかはないのだが、この書籍に登場する宿泊所はどことなく、私が福州留学中に滞在していた吕振万楼という名前の宿泊所に似ている。何と言っても、(絶対にこれは確実にご自身で書いていらっしゃる)香川照之の文才に圧倒された。これぐらいの表現力を、私も『中国に関係ないことばっかり』を書くときに身につけていたかった……。あと、自分はついつい文字数制限を気にして書いてしまいがちだから(Webばかりで書いていてもそうなるのである)、完全に自分に自由に書かせたほうがよかった、と反省。図書館で借りたのだけれど、いつか新品をきちんと購入して本棚におさめたい。

 

 あ、しかしながら、本棚だけはさすがに特定定額給付金で買おうと思っていたのだった。それだけは、買おう。

 

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2020年11月noteより移行