対コロナ便乗型生活見直し記録6/8

 ここ数日顔面がチクチクするなと思っていたら、6/6土曜に鼻水とくしゃみと涙が止まらなくなる。職場でだんだんとそれらの症状が出てきて、さすがに他のスタッフに申し訳なくなる。が、これは確実に、外が白くぼやけていたし、黄砂かPM2.5のはず。

 

 日曜もまったく症状治らず、朝から晩まで困窮する。救急外来を受けたいほどの、くしゃみ連発、鼻水止まらない、涙も止まらない。そしてその症状により日常の作業が思うように進まないことにイライラする。この日片付けたかったフリーランスの仕事は手をつけることができないと諦めていたが、家事さえもできない。ご飯を作るにも、米を計量カップに入れ炊飯器に入れ、そこで鼻水が出るので鼻をかみ、そして水を入れて研ぎ、米を研いでいるあいだ鼻水が出なかったらラッキーで、炊飯器にセットする前にやはりもう一度鼻をかむ。鼻だけでなく涙も拭く。

 

 月曜の朝。眼科と耳鼻科をはしごし、思っていた通りの薬をもらい帰宅。月曜になると鼻水とくしゃみはだいぶんましになっていたが、あのくしゃみと鼻水の連続をぜひ耳鼻科医にみてもらいたかったところである。もちろん、眼科医にも耳鼻科医にも「熱や他の症状は?」と聞かれたが、自信を持って、ない。体温はだいたい35度台だった。

 

 「こないだの土曜日、外の景色真っ白でしたし、黄砂とPM2.5が多かったらしいんですよ。ネットで調べたらそう書いてました」と言う私に、眼科医も耳鼻科医も「そうなんですか」との回答だった。てっきり、あんなにPM2.5だかなにかがきつかった週末だから、月曜の眼科耳鼻科は、私のようにアレルギー症状に悩まされた患者がいくらか来ているんではないかと思っていたのだが、そんなことないようだった。そういえば、大阪では金曜ごろ、光化学スモッグのアラートも出ていたのだった。

 

 

 此花区は緊急事態宣言中も近所のスーパーで八百屋で果物屋で商店街で買い物する人たちがうじゃうじゃいたから、世間が「コロナなんてなかったのだよ」という空気に押し流されようとしていてもまったく関係がない。夕方になれば、緊急事態宣言下では閉まっていた居酒屋が開きだす、という違いぐらいか。

 

 まったくもって、「コロナなんてなかったのだよ」と言われたくもないし(だれも言っていないが)、なかったことにはしたくない。

 

 引き続き、職場でもマスク警察どころか、何か触るたびに手洗いかアルコール消毒を徹底している。さすがに手洗いに関しては警察にはなれない(人が手を洗ってるかどうかて指消毒しているかどうかチェックし始めたらそれだけで勤務時間が終わってしまう)。警察になりがちな自分も、他人も、そろそろゆるんでいるのかなあという実感はある。

 

 これまで一連の身の回りの出来事を思い返せば、Covid-19に対してどれぐらいの恐怖感や悲壮感を持ち合わせるか、ということに関しては、その人が海外情報をどれぐらい日常得ているか、ということにもかかっているのではないか、と推測する。私はOffshoreを運営しながらこれまで知り合った友人から得るアジア圏の英語情報と、台湾や香港、マカオ、中国の中国語情報を得ている。積極的に何かを調べに行かなくても、SNSで、嫌でも他国の情報が目に耳に入ってくる。各マンションの入り口で検温までやって、公共交通機関に乗るときにも検温されるような国や地域の情報を知っているのだから、私がCovid-19を日本でやたら恐れるのは当然ではないか、と思ってほしい。日本は、あまりにも対策しなさすぎなのである。こんな対策不足の状況で、万が一自分が感染し、1ヶ月以上仕事も休んで治療に専念しないといけないとしたら、ゾッとする。有給休暇を使い切れと言うのか。そんな私の恐怖心は放ったらかされたままで、なんとなーく感染者数が増えなくなり、なんとなーく夏がやってきた。

 

 もうひとつ、今考えていることは、このマガジンへ投稿することをどうするか、である。どの時点でやめるのか。「対コロナ便乗型生活見直し記録」と題したこのマガジンは、緊急事態宣言は解除されたけれども不安が続く状況だった、GWの翌週ごろに始めた。このまま「コロナなんてなかったのだよ」となりそうな気配を察知して、緊急事態宣言解除以降、自分が考えたこと、恐怖を感じたこと、腹が立ったことなどを記しておくために始めた。まさに、今、なんとなーく「コロナなんてなかったのだよ」風の空気が近づいてきた。辞めどきを見失いそうである。

 

 さて、大阪府からも話題の「ライブハウス」へ対する営業時のガイドラインが発表された。

http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/38112/00000000/livehouse_guideline.pdf?fbclid=IwAR30bLH3diLOXWVZqTO8ppghvK9w-mrBrCrr3FZz1RZVp3eTTwqDixz7TYM

 


・座席は原則として指定席にするなどして、適切に感染予防措置がとれる席配置とするよう努めること。
飛沫感染防止のため、ステージと客席の間は2m以上確保すること。又は透明なアクリル板や透明ビニールカーテン等で遮蔽すること。

 

 

 上記のように記述されている。なんや、今まで私らが行ってた音楽イベンントの類はだいたい難なく開催できるということやね、と確認。

 

 あらためて問いたいのだが、「ライブハウス」の定義とはいったい何なのか。私が行くようなライブは、ギャラリーや別の用途でも使われるスペースで開催される音楽イベントだったり、飲食店で行われる音楽イベントだったりする。かと言って、今は職場でもマスク警察をやっているぐらいだから、誰かの音楽イベントを観に行ったり聴きに行ったりする気分になれない。

 

 先日、とある音楽家をあるプロジェクトにお誘いしたら、今はこの状況だし自分の音楽づくりに専念することが面白く、そちらを優先したいとのことで断られてしまった。他にも、この機会に音源をどしどしつくり、bandcampや他の方法で売り出している音楽家もいるし、ここから、不特定多数の人と一緒に聴くライブパフォーマンスではない、録音芸術が非常に豊かになってきそうでわくわくする。その、とある音楽家の方が今後つくる音楽も、楽しみで仕方がない。

 

 そういえば、もう5年以上も前だったか。シンガポールの友人Fuzz Leeは、「僕はライブはやらない。音源専門の音楽家だよ」と言っていた。当時は内心、えー、ライブしてもらった方が日本にも紹介しやすいのに残念だ、と思っていたのだけれど、今考えれば、彼はなんて素晴らしくかっこいい戦略を持っていたんだと思う。誰もがライブパフォーマンスに向いているなんてわけはないのであるし、ライブパフォーマンスを修行のように下積みとかなんとか言ってやらされる必要もないのである。自分だって最近、トークはあまり乗り気でなく、トークするぐらいなら書かせてほしい、と思っている。(昔はよくトークやってたなあ・・・。)そういえば、北京のme:moもほとんどライブはしないが、今でもたまに音源は発表している。そういう音楽の続け方だってある。

 

2020年11月noteより移行