対コロナ便乗型生活見直し記録6/14

 「軍艦島朝鮮人差別存在せず」というニュースを見て仰天する。反射的に浮かんだ思考は、「わたしがやっとったことは何の役にもたってへん」だった。

 

news.infoseek.co.jp

 


 いくつかアジアのバンドの日本でのライブツアーをプロデュース・オーガナイズしてきたり(草分けだったと自負する)、Offshoreで記事を書いてきたことの源は、すべて「日本はアジアと向き合え。過去と今の自分たちの中にある、"日本がNo.1"思想を取り除き、凄惨な過去を知り学び反省しろ」という意志である。ちょっと言い過ぎのように聞こえるが、心底、そういう気持ちでやっていたから、ポップな方向に流れそうになれば舵取りして"流行"的なものからは逃げまくっている。なるべく深みに読者を連れていくことで、深部にある日本の傲慢さをあぶり出そうとしている。「日本」とは誰のことか、一部の日本人のことでもあるし、なんとなく、日本メディアや日本社会のうえでつくりだされる雰囲気のことでもある。

 

 志はそれぐらい尖っているし高いのだが、たまに自分の頭も整理できずまだまだ経験や学習が足りず、もがいているように見えているかもしれない。

 

 それでも、最近では誰もが台湾の流行音楽を聴き始めたり、韓国から音楽家を招聘して日本で演奏会を開いていたり、また、アジア内の複数地域にまたがるチームでの録音やプロジェクトが頻繁に行われたり、私が2011年にOffshoreを始めた時なんかより随分変わったから、もうみんなアジアのことはよく理解してきただろうし、私がOffshoreをやっている意味もあまりないかもしれない、と思い始めて2年ぐらい。

 

 残念ながら、アジア各地に対して本当に理解を深めた人は、私がOffshoreをやっていようとやってなかろうと、特に増えていないのかもしれない。みんなが飛びつくものは「アジア」という響きのいい3文字の言葉と、その地域から出てくる音楽やアーティスト。いろんな雑誌で特集される観光地としてのアジア各地の美味しいものやインスタ映え風景。そしてそれらを、いち早く自分が知っているんだ、という自慢。その裏側で、相変わらずアジア各地域に対して差別する人はいるし、そういった差別行為を許さないという気運はまだまだ小さい。

 

 とはいえ、自分のやってきたことがそれほど人に影響を与えると思い込むのもアホらしいというかそれこそ傲慢。教育が、教科書が変わらないと、何も変わらないかもね、と見切りをつけて、自分は自分の調べたいことに没頭するまでである。

 

 

 ちなみに、強制労働といえば、西表島にかつてあった炭坑でも、台湾から韓国から人々が強制労働に連れてこられている。西表炭坑は、それはそれはひどい炭坑村だったらしい。

 

yaimatime.com

 

三木健『沖縄・西表炭坑史』日本経済評論社, 1996

https://www.amazon.co.jp/dp/4818808962/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_MG7UFbK2KYZMT?_encoding=UTF8&psc=1

 

 


 大日本帝国時代に後退していく政治と社会。歯止めをかけるためには何が有効的なのだろうか。流行音楽の輸出入なんかでは、変わらなかった。残念だが、一部の好きな人たちが盛り上がっただけだった。アート方面では少し期待しているが、それでも、オリンピックまでのこの約5年間、国際交流基金にアジアセンターが設立され、ASEANとの交流がぐんと増えたことと反比例するように、東アジアへの理解は進まなかった。そう仮定してみると、最近やる気のなかったOffshoreの記事更新にも、もっとやらなければ、と再びやる気が蘇る。

 

2020年11月noteより移行