対コロナ便乗型生活見直し記録6/4

 マスク警察にならないように気をつけて仕事をする出勤2日目。やっぱり通勤することによるメリハリは、大事。あと、外食をまったくしなくなったから、舌が薄味に慣れていて、おにぎりとスープ程度の昼食、おにぎりだけの夜ご飯で、十分満足できる。Covid-19が流行る以前、どうしてあんなに贅沢な舌になっていたんだろう。いや、でも、生理前になると食欲が暴走しがちだから、また外食を欲したりするんだろうか。

 

 先日友人と一緒に出した補助金申請書類に関して、いくつかの補足資料提出をするようにお願いされる。「ちょっとここは何か指摘がはいるかもなあ」と思っていた部分だったので、担当者がきちんと資料を読んでいるということでもあるし、このコミュニケーションがあると安心できる。また、理屈も通っているから勉強になる。

 

 出勤途中にある卸の青果店でりんごといちごを買っていたので、家に帰ってから、白ワインを飲みながらいちごを食べる。いちごは、もう時期が完全に過ぎているようで、酸っぱいだけである。それでも、いちごを食べているという満足感がある。いちごなんて、高くて旬の時期はあまり食べられないから。

 

 ふと考え事をしたときに、あの人にインタビューをとりたい、と感じることがぽろぽろと出てくる。Covid-19以前は、インタビューをとることがある意味暴力になるということを考え込んでいて、インタビューって、本当にやるべきなんだろうか、と悩んでいた。Covid-19以降は、インタビューなんて絶対取るべきだ、という考えに変わっている。Covid-19なんかがある今だからこそ、表現に関わる人や創作活動をしている人は、その時、まさに今考えていることを話して、記録に残っている方がいい。そう考えているけれど、これも突き詰めると、瞭然たる暴力かもしれない。

 

 日々SNSなどで「ライブハウス」という言葉が面白い使われ方をされていて、それにより、この「音楽イベント自粛」の突破口が見えてこない、よくわからない状況に陥っているなあと思う。自分はライブハウスというものが苦手だし関わっていないつもりなのだけれど、まったくライブに行かない人からすると、私がたまに行っていた即興演奏のイベントや実験音楽のライブも、ライブハウスのようなもので行われている営みに属するのかもしれない。

 

 ライブハウスという名前でイメージするものは、サウンドシステムと照明が常設で仕込まれていて、ステージがあり、スケジュールをプログラムするブッキングマネージャーやマネージャーがいて、チケットにドリンクチケットが付いていたり、入場の際に必ずドリンク代1杯分を支払わないといけなくて、それがだいたい500円以上で、バーカウンターに行ったら若い子がドリンクを作っていて、プラカップか使い捨てのカップにあまり美味しくないドリンクを注がれて渡されて、でも本当に体験しに来たのはライブの方でありドリンクはくっついてくる喉の乾き防止程度のものだからあまりそこに意識を持っていかなくて。そういうスペースであるイメージである。

 

 『音楽化社会の現在』では、若者が音楽離れしているように見せかけて、実は音楽と親しく関わっており、友達づきあいに関して今も音楽が重要な役割を担っていることがデータで語られていた。CDは買わなくなってもSpotifyApple Musicで適当なプレイリストをかけっぱなしにしてながら聴きしている人がたくさん増えているのであれば、生演奏を聴きに行く観客にも何かしらの変化があって当然である。

 

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 「音楽イベント」と「ライブハウス」、もっと隔てて、分けて考えていいのではないだろうか。私は「音楽イベント」はなくなってほしくないと思う。音楽イベントが開催されるのはライブハウスだけではない。生の楽器の音を聴くことや、生の空間の響きを感じることができなくなってしまうのは、確かに悲しい。「ライブハウス」というカテゴリの空間をその音楽が脱することができれば、他のガイドラインに則って、音楽イベントを開催できたりするんじゃないだろうか。緊急事態ではないとされる今、劇場や公民館、美術館などがガイドラインに沿って再開しているなら、音楽もそれらの形態に一応の変化をしてみて、適応することができるはずである。美術館で音楽が発表されたこともあるし、劇場で音楽が演奏されたこともある。公民館なんて普段から音楽が鳴っている。欲張りせず音楽を聴くためには、観客は、最低限、聴覚をもって体験すれば満足できるはずなのであるから。

 

 日付は変わったが、六四だった。まだ『ワイルド・スワン』を読んでいる最中で、文革時代の数多の悲劇にやりきれない思いであり、あのような悲劇を経験していた人がさらに六四の日も生きていたのかと思うと、卒倒しそうである。そこまでとことん厳しい経験をしてきた人々に「立ち上がろう」などと声をかけることはやはり酷だなと思う。自分が想像を絶する背景がある。私が六四の日を意識的に過ごすようになったのは、Offshoreを立ち上げた2011年より以降である。今回で10度目の六四を思う日であったが、年々、SNSに六四についての考えや意見を書くことができなくなっている。(また、六四については堂々と意見を述べたとして、Offshoreの主宰であり日本語で発信する私は、どうして南京大虐殺の日を知らぬふりで過ごせるのか、と、思ったりもする。)複雑な背景と個々の傷や記憶を知るほど、自分の理解はまだまだ足りぬ、浅い、と、恥ずかしくなる。

 

 

2020年11月 noteより移行