ポピュラー音楽と公的助成

 新型コロナウイルス感染者数増加により外出や行動の自粛が叫ばれ、日本各地の文化的活動を行う自営業者や中小企業が困窮している現状が浮き彫りになっている。音楽家、音楽イベントの制作者やプロデューサー、技術者、スペースの経営者など、自分が相互に認識している知人や友人の範囲においても、SNS上で悲痛な言葉を散見するようになった。

 

 現在、様々な文化事業者が業界ごとにまとまって公的資金からの損失補填や補償を求めるなかで、ポピュラー音楽関係の人々のなかでも公的資金を要求することの当否について議論されている。が、この原稿は、その議論と論点がズレているということを先に断っておく。

 

 しかし、今これを記しておこうと考えたのは、それらの議論を見聞きしたことがきっかけである。自身がこれまで持った疑問や、ジレンマ、経験を思い出した。これまで何かに書き記すことがなく、私の脳内だけにとどめておいたものなので、この機会に整理しアウトプットしておこうと思う。

 

 まず最初に、ここで述べるポピュラー音楽という言葉の定義が広いので、私と同じコミュニティに属さない人でも誤認がないようある程度狭めておきたい。コトバンクで「ポピュラー音楽」を引くと、以下のように示される。

 

大衆に親しまれている音楽。民俗音楽と芸術音楽の中間の広い領域にわたる。ローマ時代にすでにギリシアの吟遊楽人や,シリアの踊り子,黒人の音楽家によるものや,劇場のヒット・ソングが流行したことがあり,中世にはヨーロッパ各地の吟遊楽人によって広められた。ドイツではギルドの集会所でのしろうとによる演奏などに用いられたが,19世紀以降,大都市の出現によりミュージック・ホールや軽演劇場とともに発展した。


出典 ブリタニカ国際大百科事典

 

 これでは少し広すぎる。私はこの原稿において、自身が関わってきた、見てきたことを基軸として話を進める。この原稿で「ポピュラー音楽」が指すのは、乱暴ではあるが「私が関わってきたポピュラー音楽」とさせていただき、それは、分野で言うとロック(オルタナティブロック、ハードコアやパンクも含む)、クラブミュージック、そして即興音楽やノイズミュージックなどのさらにアンダーグラウンドな音楽であり、活動場所はライブハウスやバー、クラブ、数十名規模のスペース等を拠点とする。

 

 定義をある程度狭めたところで、次に自身の経験について述べていきたい。

 

 2015年以前まで(そして現在も)、ポケットマネーから自身の航空券代を捻出し、アジア各地、特に中国語圏へ取材へ出向き、アーティストや音楽家、文化的活動を行う自営業者へインタビューを取ってきた。それが私のOffshoreというウェブサイトである。2015年4月より、アジアを歩きポピュラー音楽や文化的な活動を見てきたという僅かな経験を買ってもらい、公益財団法人沖縄県文化振興会の中に設置された「沖縄アーツカウンシル」というチームに所属した。アーツカウンシルについての詳細はこちらを参照されたい。

 

社団法人日本芸能実演家団体協議会文化政策形成の仕組みづくりのために-海外比較研究と論点整理-」2002年9月

https://www.geidankyo.or.jp/img/research/200209seisakukeisei.pdf


山口洋典「複数形の<アート>を評議する ~アーツカウンシルが問う芸術文化」ネットTAM, 2012年5月14日

https://www.geidankyo.or.jp/img/research/200209seisakukeisei.pdf


 それまでパンクやDIYの思想、考えを実践していた私が、助成金を出す側である中間支援団体に属した。(※厳密に言うと、助成金を出していたのは沖縄県で、沖縄アーツカウンシルの役目は助成金が出される事業を評価し支援することだった)

 

 当時、そのような職業に就くことを話すと、「魂売ったんですか?」や「助成金なんて臭いところに行くんですか?」と心配されることもあった。2015年より以前、私は民間の仕事しか経験がなく、公的助成で開催されるアートプロジェクトおよび文化的プログラム等には参加したことがなかった。しかし、2015年から自分の食い扶持となる仕事の主軸をアートマネジメントと呼ばれる職業に置いていて、現在も大阪にて公的文化施設のもとで働いている。

 

 実は、2015年以前は行政や公務員を信用していなかったし、悪または敵のように見ていた。なぜ、公務員や行政とのやりとりが発生する職業を選び公的助成の世界に入ったかと言うと、ひとつの理由は、大きな疑問を解き明かしたかったからだった。

 

 「どうして自分たちが関わっているようなポピュラー音楽には、公的支援がされないのか。助成金がもらえないのか。」それが最大の疑問だった。もちろん、他にも理由はいくつかあるのだが、一番知りたかったことはそれだった。沖縄で着任し、公務員とやりとりし、行政文書のフォーマットを知り、業務を遂行し、文化振興条例や文化政策というものが各地方自治体にあることを知った。

 

 先に結論から言うと、「ポピュラー音楽に公的資金が投入されない」のではなく、「すでにポピュラー音楽には公的資金が投入されている」。文化振興条例や文化政策を把握し理論ががっちりと組みあげられた事業であれば、どんなポピュラー音楽でも公的資金を投入する必要性がある。その音楽にアコースティックギターでなくエレキギターが使用されていても、そのエレキギターディストーションで歪んでいても、音階やフレーズがなく聴きづらいものであっても、プレイヤーが下手くそでも、どんな音楽だっていい。理論さえあれば公的助成を受けることができるし、すでに受けている事業も多々ある。が、理論なき事業は、ポピュラー音楽にかかわらず伝統音楽であっても公的助成を受ける可能性が少なくなる。

 

 沖縄アーツカウンシルで私が支援を担当した事業は、桜坂劇場の運営会社である株式会社クランクによる、沖縄のポピュラー音楽を世界へ発信する事業だった。ヨーロッパで開催される音楽見本市へ出展し、沖縄でも同様アジアのハブとなる音楽見本市を開催し、国際的な音楽ネットワークの中で沖縄の存在感をアピールしていくものだった。沖縄のポピュラー音楽と言ったときに、琉球音階の民謡や、三線を取り入れたポップスを思いつく人は多いかもしれない。が、株式会社クランクによるこの事業では、沖縄音階や沖縄伝統楽器を一切使わない「ロック」でも、この事業内における「沖縄のポピュラー音楽」と定義して世界に発信していた。ヨーロッパ在住で沖縄音楽をよく知る音楽プロデューサー等には「沖縄のテイストが感じられない」などと、オリエンタリズム希求に基づく批判も受けた。

 

 私が沖縄アーツカウンシルに在籍した2年と少しのあいだ、この事業と向き合い考え、何度もわからなくなった。エレキギターが歪む、いわゆるロックが、この事業で鳴る。権力から距離を置き自立して反骨精神を歌うロックに、公的助成金が必要か?

 

 問いを変えるとわかりやすいかもしれない。例えば、「公的助成金がふさわしいだろうか?」と聞くと、どうだろう。皆「ふさわしくない」と答えるのではないだろうか。「必要かどうか」を考える際に、なぜか「ふさわしいかどうか」もセットで考えてしまう。そこには「前例踏襲しているか」「似合うか」「周囲がそれを認めるか」など、事業評価と関係のない批評が絡んでいる。

 

 公的助成金とは、理詰めの世界である。文化芸術にまつわる地方自治体による助成金は、地方自治体が制定する文化振興条例(その自治体により名称は異なる)に基づいて交付されている。条例により、文化芸術をどうするべきか、どのように発展させるべきかが定められている。条例に基づいて、地方自治体の助成制度が策定され、助成事業の募集が始まる。その助成制度に沿った申請事業に助成が決定する。事業の申請書には、どうしてその事業がこの助成制度を必要とするのか、その事業を行うことによって助成する側となる地方自治体にどのようなメリットが生まれるのか、理論を書き上げなければならない。なるべく、文化振興条例に書かれたポイントなども拾い上げて。しかし、「ふさわしいかどうか」を問われる質問は助成申請書にないし、誰しも価値観が違うなかで「ふさわしいかどうか」を議論していたら何万年もかかる。ふさわしさ、ではなく、助成するに妥当な理論があるかどうか、である。

 

 どこへ行くにも飛行機で飛ばなければならない沖縄県から発信するためには、フライト助成が必要である。沖縄のアーティストに世界で活躍して欲しいと沖縄県民が願うことは当たり前であり、それは住む地に誇りを持つこととなり、地域ブランディングに寄与する。そして、その地域ブランディングが熟し波及力を持った頃には、沖縄県への人口流入も起こり得るかもしれない。それらの起こるべきポジティブな社会効果を理論で組み立てる。「ギターが歪んでいるから」「うるさいから」と、「ふさわしさ」による理由で拒否するとすれば、そちらのほうこそ理論破綻している。それがパンクであったとしても、ロックであったとしてもハードコアだったとしても、理論が組みあげられている場合は公的助成の可能性がある。また、もちろんのこと、助成は事業に対して助成されるものであるから、事業申請書を自らの言葉で書き、事業を理論武装していく作業なしには、得ることができない。

 

 助成を得ることは、社会に言葉を開く作業である。音楽コミュニティ、特に私がコミットしているポピュラー音楽の界隈は、一般社会と断絶していると感じることが多々ある。一般のサラリーマンのうち何パーセントが数十人規模のコンサートを観に来たことがあるだろう。私たちはとても特殊な世界で遊んでいる。しかしそこで有意義であり文化的な活動が編まれていることは確かで、それを私たちは手っ取り早く「シーン」と呼んだりもするが、その「シーン」が、かえって、外からのアクセスをシャットアウトしてしまっていたり、曇りガラスの中に閉じ込めてしまっていたりするのかもしれない。

 

 どこで覚えたのかまったく忘れてしまったが、誰かに教わった後、ずっと引用させてもらっている言葉がある。「助成申請を書くときは、その辺、街なかを歩いてるスーツ着たサラリーマンのおっちゃんを捕まえて、『なあ、読んでみて』と読んでもらってすぐに理解してもらえるほどのわかりやすさで」と。私たちが普段使っている専門用語や、偏った意味の言葉の多いこと。誰にでも理解してもらえる言葉を綴ることには訓練が必要だが、その訓練の最中に、自分の事業をぐっと俯瞰できる瞬間がある。その瞬間に、その事業は新しい領域に及んだり、とてつもない強度の理論をもつ事業に化けたりする。

 

 余談とはなるが、私は沖縄アーツカウンシルを離れた後も、自分がコミットしている音楽コミュニティについての理論を考え続けている。助成金が欲しいわけではなく、おそらくこれから資本主義原理に基づく経済活動だけでは成り立たなくなるこれらの文化的音楽活動をどのように保護していくのか。

 

 私たちが訪れるライブや小さなコンサートでは、お客の中にもプレイヤーがいることが非常に多く、プレイヤーと観客が日によって入れ替わったりする。今週末はプレイヤーだったAさんが、翌週末には同じ会場で観客になっていたり、またその逆も起こる。この、プレイヤーと観客が頻繁に交換可能な文化的活動が、他にないだろうか。言い換えると、提供する者と享受する者が固定化されず自由に変容している状態。

 

 今のところ、この状態に一番近いものは、各地に設置されているコミュニティセンターあるいは生涯学習センターの文化講座や文化コミュニティなのではないかと考えている。地域で何か得意な文化表現技術を持っている者が提供者になり、それを享受したい地域の者が集まり、コミュニティを形成する。また、そこで学んだ受講生が技術を磨き、別のコミュニティで表現技術の提供者となる。また、ある人は享受と提供を行ったり来たりしているかもしれない。そのコミュニティは、家庭でも職場でもない、第三の居場所となる。コミュニティセンターや生涯学習センターに通う人々は、その表現技術習得とともに、同じ趣味を持つものどうしでの交流を楽しんでいる。そしてその場を継続させているのは地域の自治体であり、公共サービスの一つである。

 

 私たちが往来している音楽コミュニティや音楽が演奏される会場、ライブハウスなどは、互いの近況報告や(大げさにいうと)生存確認、交流の場としての機能が重要視され始めていて、まさしく第三の居場所としての機能を果たし始めているのではないだろうか。デカ箱化よりも小規模化する傾向にあり客層がタコツボ化していくのは、その証明とも言える。

 

 尊い音楽を奏でる場を趣味の文化活動と一緒にするな、と、立腹する方もいるかとは思う。が、コミュニティセンターや生涯学習センターで繰り広げられる文化活動もまた、相互学習や共助のもとに展開されており、尊く美しいのである。文化的な行動に、プロ・アマの違いはあれど、優劣はない。また、日本では、いつのまにか公衆便所が減りコンビニが公衆便所の役割を担うようになった。現在コミュニティセンターや生涯学習センターで活動している高齢の方々が次世代にその活動と活動拠点を移行できなかったとすれば、幅広く市民が文化体験を享受・提供できる場としてのコミュニティセンターの役割は、民間委託という形でライブハウスやライブスペースに託される日が来るのかもしれない。

 

 いずれにせよ、民間のポピュラー音楽事業者の多くが自転車操業状態であったという衝撃を私達は重く受け止めるべきである。私が知るところによると、北京の民間経営による小規模なライブスペースは現時点で2カ月ほど営業停止しているが、いまだ閉店廃業に追い込まれていない。日本と中国の経済にとてつもない差がついていることを、日々情報収集しながら見せつけられる。

 

 これを機に、ポピュラー音楽の実践について、まずはその社会的意義を言語化するべきだろう。言語化することは理論を組み立てるための最初の作業である。さらには、国および地方自治体に策定された文化政策において、ポピュラー音楽はどの位置を担うことができるのか。実践者を中心に議論が進むことを期待する。

 

2020年11月 noteより移行