対コロナ便乗型生活見直し記録5/31

 

 自室に網戸をくぐり抜けた小さな虫がちらほら増えてきた。夏らしい。フタつきのゴミ箱をきちんと毎回閉めるようになった。ゴミ箱は、那覇に住んでいた頃にメイクマンで買ったものをいちいち大阪に送って使っている。100均で買ったものと大きすぎてゆうパックで送れないもの以外はほとんど沖縄から大阪に持ってきている。

 

 白い壁に小さな羽虫を見つけ、ひと思いにティッシュで捕まえ素早くフタつきのゴミ箱の中へ。鳴く虫やったらまだ風情あるけども、と思い、しばらく聴いていなかった高岡大祐さんの『sizen concrete 1』と『sizen concrete 2』を思い出す。

 

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 うちの家のHaierの冷蔵庫は、ときたまコオロギのような鳴き声を背面から発している。最初その音に気づいた時は本気でコオロギが家の中に棲み着いてしまっていると思い込み困惑した。1週間ぐらい本当に悩み、もしや、と思い冷蔵庫のコンセントを抜いてみるとコオロギの鳴き声はしなくなった。

 

 パターン化されたリズムと音階でコオロギの鳴き声だと錯覚していたのだけれど、高岡さんの音源の中にも、たくさんパターン化された生き物の鳴き声が収録されていて面白い。今はHaierの鳴き声を不安に捉えることなく、日々、私が買ってきた食材を守りながら口笛吹いてらっしゃるんだ、ぐらいに思うようにしている。かつ、その口笛の音が変化してきたら製品の劣化を怪しもうと思う。

 

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 張芸謀の『キープ・クール』(有话好好说)を再度観た。1回目には気づかなかったが、公寓の広場にて、姜文(饰)が捕まえ叫び役を依頼する廃品回収屋の役が張芸謀だった。テンポの良い姜文との細かいセリフのやり取りが非常に面白く、また、都会の人間が田舎者を搾取する、都会の構造を簡略化して描いている。中国の街なからしく、ギャラリーが集まってくるのもリアル。

 

 最後のシーンはもやもやさせられる。男同士の友情が芽生えてハッピーエンドで終わる。張芸謀がこんな温かなラストシーンの映画を撮るはずがない、と思い、DVDの特典映像として収録されていた監督インタビューを観ると、「最後のシーンは検閲で脚本を書き直すよう指示されたので変えたけれど、本当は腕を包丁で斬る予定だった」と言っていてスッキリした。あのシーンで李保田(饰)が姜文(饰)の腕を思いっきり包丁で斬らなければ張芸謀らしくない。包丁で斬られるラストだからこそ、あのレストランでの二人だけの会話劇に人間の恐ろしさを見出せる。

 

 この映画には关学曾による語りもの「北京琴书」が挿入されている。李保田が姜文の住む家へ押しかけるシーンで、关学曾が威勢良くリズムに乗せて李保田(饰)の人物像を語る。それが「北京琴书」という語りものの芸らしい。その後も、この映画の滑稽な場面では北京琴书が挟まれる。北京琴书の祖、关学曾について調べいくらかの動画を観ていると、とっても素敵な動画にぶつかった。

 

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 意味がわからないと面白くないのだが、語りものはどうしてもその音と空気感の魅力から、言葉の意味を理解できずともじっくり聴いてしまう。年末に上海に行った時、上海乡音书苑にて评弹を聴いた。席の横には小さなテーブルが用意してあり、その上には1席につき1つ、茶が用意してある。マグカップタイプの湯のみにフタがついていて、中に茶葉がひと匙分入れてある。テーブルの下の段に収納してある水筒から自分で湯を入れると、お茶が飲める。水筒は、隣の席の人と共用だ。お茶代は、チケット代に含まれている。

 

 上海乡音书院は、ほぼ毎週末、苏州评弹や相声(中国の漫才)が聴ける場所だったが、今もまだCovid-19の影響で閉鎖しており、ネット上では積極的に评弹の録音を配信している。乡音书苑が再開した時、あの茶と水筒も再び同じようにセットされるだろうか。

 

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2020年12月下旬に行った上海乡音书院

 

 しばらく長く付き合わなければならないであろうCovid-19をきっかけに、世の中のいろんな古いシステムがなくなって変わればいい、と思っているけれど、茶館や、ああいった西洋劇場にはない飲食できるシステムだけは、あれだけは、文化として守られて欲しい。と、そんな都合よくはいかないことも承知だが……。

 

 そうは言いながらも、次回もし中国に行けたとして、劇場で何かを観ることが幸いにもできたとして、これまで通りじいちゃんばあちゃんが喋りながら茶を飲みながらひまわりの種を食べながら観劇しそのゴミを床にこれまで通りポイポイ捨てる、みたいなことがあれば、恐怖心が湧かないことはないだろう。いや、でも、床にちらばったひまわりの種の殻までが、中国での観劇の醍醐味の一つだったと思う。(北京や上海ではそのような床はすでに見られないのかもしれないが、福州市の劇院や泉州市の劇院では、あまりに普通だった。)

 

 

2020年11月 noteより移行