対コロナ便乗型生活見直し記録5/30_梅香

 うちの家にも特別定額給付金の封筒が届き、さっそくiPhoneで申請しようとするも、引っ越していたのでマイナンバーカードの電子証明書が失効しているということでできなかった。申請できないということが最初にわかっていたらよかったのだけれど、こういうことはたいてい最後に判明して時間を無駄にしたと悔やむことになる。

 

 10万円手に入れたら私は何を買うのか。雇用先からの給与は、平均的な30代の大人が暮らしていけるほどの金額ではないので、ちょこちょこ生活費に使うことで消えそうである。この10万円の給付が決まってニュースで知った頃には、もうちょっと「あのお店であれを買って、この機会に本棚を買って」など、考えていたような気もするのだがそういう気分も消えてしまっている。

 

 5/29金曜日、行ったことのなかったリバティおおさかへ。5/25から5/31まで特別開館するとのことだったので行ってきた。

 

www.liberty.or.jp


 沖縄の展示がこれほど面白いとは知らず、閉館間際に行ったことを悔やむ。また、メモする鉛筆とノートの類も持って行っておらず……。

 

 

 沖縄県那覇市西の部屋を引き上げてから、大阪市此花区、梅香に住んでいる。自分で住所を書くたびに、えらい素敵な名前の住所やな、と思う。"此花"区の"梅香"。実態と言葉のイメージがかけはなれていて、花も梅も香も意味をもたない記号になってしまっている、という気がしている。

 

 リバティおおさかの沖縄関連展示では、普久原朝喜と彼が大阪で設立したマルフクレコードに関わる資料がいくらか展示してあった。普久原朝喜の遺品である三線や蓄音機も、立派に美しく保存されている。そこでは、マルフクレコードから1939年にリリースされた新川嘉徳が作詞作曲した『梅の香り』の盤面が掲示してあり、(確かSP盤だったと思う)「新川は此花区梅香に在住しており、『梅の香り』は居住地の梅香から名付けられたのではないかと言われている」との説明。



 

youtu.be

 

自宅に戻り『梅の香り』をYouTubeで再生してみると、沖縄に4年も住んでおきながらほとんど沖縄民謡を聞かなかった私でも知っているほどの有名な楽曲。さて、新川嘉徳がわが町梅香のどこに住んでいたのか気になり、とにかく梅香じゅうを歩き「新川」の表札を探してみようか、と、現代ならちょっと変質者や犯罪の伏線に触れそうな行動に出てしまいそうな自分を抑え、とりあえず、図書館で此花区と沖縄移民の歴史を少し調べてみようか、と落ち着く。

 

youtu.be


 沖縄県中頭郡西原町の町史だよりがGoogle検索で有り難くヒット。西原町出身の新川嘉徳は、ハワイに移民したあと帰国し大阪市へ移住。"蓄音機に関する発明で特許を取得"や"「天才音楽家」"、"ギターやオルガンなどを自作し"などとあり、極め付けは、ジェーン台風のなかでも避難せずにヴァイオリンを製作し悠々と演奏していた、と。

 

http://www.town.nishihara.okinawa.jp/asset/pdf/2004.03.pdf

 


 梅香がこのような町である所以。梅香の先輩ここにあり。という感じの微笑ましいストーリー。ネットで調べられる範囲では、最後は西淀川区に住んでいたという話である。

 

 それにしても、住宅が密集している梅香では梅を見たことがない。昔はどこかに梅が植えられていたんだろうか。植物にも疎い自分だから、まずは梅の木の特徴を知ること。そして此花図書館で此花区梅香の歴史を調べてみること。

 

 以下のリンクは、1939年のオリジナル盤『梅の香り』と思われる。西原町の小那覇児童公園にある新川嘉徳歌碑。初期マルフクレコードらしい、当時のポップス流儀に乗ったアレンジ。ヤマトの人間としてやはり親しみやすくなる。

 

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2020年11月 noteより移行