対コロナ便乗型生活見直し記録6/2

 先日、友人から家の近所に面白い医者がいると聞いた。内科と整形外科をメインとしながら、診療後にマッサージをしてくれるらしい。Covid-19が流行する前まで家の近くの民泊施設を掃除するバイトを月に1、2回やっていたのだけれど、その民泊施設の並びにあるクリニックがそれである。1階にガラス張りの大きなマッサージ室があるのはそういうことだったのか。てっきり高齢者のリウマチやリハビリ専門の医者なのかと思っていたのだけれど、友人曰く、風邪でも診てもらえるし、なんだったら心療内科の分野まで診てくれるらしい。そして漢方薬を処方してくれるらしい。

 

 背中が痛い。昔にも経験したことのある痛さで、姿勢の悪さや目の酷使が原因だと思う。自分はなんで1ヶ月で40本も映画を観たのか。無理ができる年齢ではない。


 診療を受けた後である今は、1ヶ月に40本映画を観たことなど笑えるが、診療に行くまでは、本当に背中が痛く肩こりも酷く日々頭痛があったので、気分も塞がるしつらかった。映画を40本観たことなど、臭いものに蓋なのかなんなのか、都合よく思い出さない脳になっていた。もちろん、診療を受けた時も医者には言わなかった。アホやと思われそうである。

 

 一応レントゲンを撮ってもらうがストレートネックにもなっておらず、まあマッサージやね、鍼ももしかしたらいいかもね、と言われる。帰りにマッサージを受けると、抜群に体が軽くなった。それから数時間して、頭痛も完全になくなった。必要なのはこれだった。これだけだった。

 

 

 マッサージで気分が軽くなってから、区役所へマイナンバーカードの電子証明書を発行してもらいに行く。この時期の区役所はきっと混む。と、覚悟して向かったが、待ち時間ほとんどなく、滞在時間15分ほどですべての行程が終わってしまった。

 

 

 此花区役所の東側角には大きな時計があり、その下には「祖国復帰記念」と大きく彫られている。此花区沖縄県人会が設置しているらしい。沖縄から此花区に引っ越してきた時、この時計を見てなかなか感慨深かったのだが、その時も、今回も、「祖国」という言葉に引っかかる。沖縄の多くの人も、どう表現していいかわからないことなのかもしれない。日本は祖国たりうるのか。やまとんちゅの私が引っかかるとか言っているのも失礼かもしれない。

 

 しばらく考えて、あれ、祖国復帰とは何月何日のことだったろう?と問いが浮かぶ。祖国復帰とはそもそも何だったか。沖縄が日本に返還された日か。それが1972年だということは覚えているけれど、一体何月何日だったか。(後から調べると5月15日。)あれ、では、ナナサンマルとはなんだったか?(沖縄県全域が左側通行になった日。1978年だった。)

 

 しまった、そもそも、慰霊の日とは、6月22日だったか、6月23日だったか。(すぐ思い出して、6月23日だった。)

 

 今日から出勤するのだが、万全の体制でと思い、持参する自分の食糧を仕込んだところである。12時すぎから21時まで出勤するので、二食分が必要である。おにぎりを作っていると、思っていたようにならなかったところがありうんざりする。そして、どうして二食分も持っていかないといけないのか、どうして二食分も挟む、そんなシフトで働かなければいけないのか、と、悲しくなる。というか、ある程度自分でシフトは調整できるのだから、日に6時間程度にし週の勤務を1日増やす方が、健康的なんじゃないか?無理なく自炊できる回数も増えて、外食も買い食いも減りそうだ。

 

 本当に今日から出勤が続くんだろうか。なんだか信じられない。肩甲骨はがしのために100均で買ったグッズも、今日から事務所に置いておこうと思う。

 

 

 写真は、FIGYA前の花壇に植えられたアカバナーである。ホームセンターで買ってきたアカバナーの苗は、植え替えて1週間後ぐらいにあっけなく1つの花が綺麗に咲き、あっけなく1日で花が落ちた。まるで購入特典だか初回入会特典といった感じ。こんな簡単に咲いたら面白くないような気がしたが、今いくつか付いている蕾は、初回入会特典が終わった後の本チャンになりそうだ。

 

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2020年11月 noteより移行