対コロナ便乗型生活見直し記録8/20

 昨日、玄関ドアを開けて外に出て、戸締りするためにドアを鍵で閉めていると、視界に動物の糞が入る。なかなかでかい動物の糞である。おそらく隊長50cmぐらいある奴が置いていった糞に違いない。まあまあ予測がつく。イタチだろう。

 

 ネットで画像検索をすると、イタチの糞とまったく変わりがない。試しにハクビシンの糞も調べてみたが、これは明らかに違う。イタチだ。うちの部屋の外周を走り回ったり、夜中に天井を駆け回るあいつは、イタチだったんだ。うちの部屋と隣のアパートの間からたまにアンモニア臭がしているのも、あれはイタチの尿なんだ。

 

 今日の朝、管理人に電話して、イタチの糞が玄関脇にあることを伝え、夜中に天井を駆け回るのはネズミではなくイタチであること、そして駆除をしてもらいたいことを伝える。管理人は「駆除言うてもどうやってやるんやろう」みたいなことを言い出すので、「イタチは勝手に殺せないから市とか区役所に相談しないとダメらしいっすよー」「それと、イタチって病原菌すごい持ってるんで。怖いのでなんとかしてください」と釘をさす。

 

 インターネットにさえ物件を載せないこの不動産屋である管理人は、おそらくなんの対処もしないだろう。この管理人に対してイライラする時間が勿体無いので、さっさと引っ越そうと思っている。たった1年しか住まなかった部屋。残念だ。いや、管理人が重い重い腰をあげるまでケツを叩くべきか?でも、この建物内には恒例のじいさんといかつい中年のおじさんしか住んでおらず、そういう人はイタチでギャーギャー言わないんだろう。私が、イタチでギャーギャー言うくせに、アレルギーも病気も知らない肝の据わった男性どものコミュニティに入ってしまったのが間違いだったのだ。さっさとこういう古い住居を出て、害獣に怯える軟弱者は鉄筋のありきたりなマンションに引っ越そうではないか。

 

 さて、引っ越すことを心に決めた私は、今どうして大阪市此花区に住んでいるのか、自問する。FIGYAが近いだけではないのか。実のところ、街のヤンキーの多さにうんざりし始めていたところでもある。大阪市にいる意味もあまりないかもしれないし、郊外に住む選択肢も加えてみよう。

 

 さらには、今の仕事では月の稼ぎが少なすぎるから、少なくとも月5万円ぐらいの家賃が払える仕事に変えることも必須。週3とはいえ、月に13万円ほどしか手取りがないなんて、何もできなさすぎるのによーくやってたなあ自分は。

 

 せっかく此花区梅香に住みながら沖縄と此花区のつながりを見つけつつあったのに、もう此花を出てしまうのか。いっそのこと、大正区に住んで毎日沖縄そばが食べられる生活に戻したらどうだか。とか考えながら、お昼ご飯で久々に外出する。麻婆豆腐が辛くて美味しいお店に行くと、BGMにBEGINのアルバムがかかっている。

 

 国際通りで平和通りで何度も何度も聴いた曲『島人ぬ宝』が流れる。イントロでは、あのオーバーツーリズムそのものだった国際通りの情景を思い出し、うんざりしかけたが、来客のピークを過ぎた中華料理屋では静かにその歌詞ひとつひとつを聴き取れた。じっくり聴いてみると、沖縄を出た私になんと響く歌詞か。もちろん、私はウチナンチュではないのでこの曲の歌詞にまるっきり自分を投影することなどできないし隔たりがあることは理解している。それでも確かに、沖縄の、取るに足らないんだけれどもよくある光景や、沖縄に住んでいたときに持っていた心情が、ぶわっと蘇る。あの感覚。

 

 辛い麻婆豆腐を食べながらごまかしたが、危うく落涙しそうだった。涙目で麻婆豆腐を食べた。BEGINのこの曲で、今さら泣かされるとは思わなかった。

 

 この中華料理店でかかっていたアルバムはどのアルバムか、調べてみるとBEGINはアルバムを無数に出しており特定できていない。他の楽曲は聴いたことのなかった曲がほとんどだったが、絶妙にポップミュージックとしてのメロディに取り込まれた『かぎやで風』や、単なるカヴァーではなく分析して組み合わせ直したような『唐船ドーイ』に目を丸くした。沖縄にいたときは、沖縄でのメインストリームのトップに君臨するBEGINを聴こうとは思わなかった。古典や民謡と現代ポップスを綿密に計算し配合し、聴く人が聴けばニヤッとする、言い換えれば、ウチナンチュが聴けばジワッと故郷の記憶をくすぐられる、ここまでの偉業を成していたのか。

 

 そういえば私は沖縄で、ポピュラー音楽を助成するような仕事をしていたけれど、当時どうしてこういうことに無知だったのか。ああ今の自分の知識であの時あの仕事を担っていたら、どんなことになっていただろうか。過去を振り返ることなどナンセンスだが、BEGINの楽曲の細やかな技に気づいてしまったからには、後悔せずにいられない。

 

 涙目で食べた麻婆豆腐はピリッと辛いが味が深く、食べ終わるころには涙は止まり、なんとなく、あの頃の自分への悔しさのような感情に変わっていた。

 

 

2020年11月noteより移行

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なーべーらー