対コロナ便乗型生活見直し記録5/25

 まったく休業にはなっていないけれど、在宅ワークにより通勤の時間は減っているし、時間を持て余しそうな予感がしたので、過去に作ったDISCASのIDとパスワードを引っ張り出してきて、とにかく大量にDVDを借りた。

 

 中国の、まったく有名ではない映画をたまに観てはいるのに、実はほとんど中国の有名映画や大作は観ていない。あと、多田麻美さんが書かれている『映画と歩む、新世紀の中国』を読むと、自分がいかに中国の映画どころか現代中国自体に無知であることを思い知らされた。いったいどれだけ行ってどれだけ勉強したら中国のことを理解したと言えるだろうか。気が遠くなる。

 

映画と歩む、 新世紀の中国 | 晶文社


 この本を読みながらとにかく監督名と作品名をメモし、その中からまだ観ていないもの、観たけどとっくに内容を忘れたものなどを調べ、DISCASであるものはとにかく借りた。

 

 計、40枚ぐらいになって、この1ヶ月、だいたい1日1、2本の映画を観た。仕事はまったく休業にはなっていないが、仕事、ご飯、寝る、それ以外の時間を映画鑑賞につぎ込んだ。

 

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 各映画に関しては、『映画と歩む、新世紀の中国』にて、中国のリアリズムを引き寄せる鮮やかなレビューが読める。私が今更それぞれの映画について語る必要はない。

 

 中国映画の中には、まだまだ観ることができていない作品もあるし、日本ではレンタルDVDではすでに見つからない作品も多い。もちろん、日本で上映されない映画もたくさんある。

 

 今はネットがあるから中国の動画アプリを使えば中国映画を観れそうなものだが、ほとんどの場合が、海外からは観ることができない設定になっている。(著作権の問題。)

 

 今回、約1ヶ月で約40本の中国映画を観て気づいたことは、ネットで引いて出てくる日本語による中国映画それぞれの紹介テキストが、的確でないものも多々あるということ。これだけ日本に中国語話者がいて、中国と日本は昔に比べれば近くなっているはずなのに、文化芸術面においては、やっぱりまだまだ情報が足りない。どうしてみんな中国の経済や政治、食べ物のことには必死で情報を追っているのに、これほど巨大なお金が動いている映画産業のその映画の内容について、もっと明るくなろうとしないんだろう。

 

 

 映画といえばその監督の作風や思想をベースにレビューを展開したり評価したりすることが多いが、私にとって第五世代は非常に難解である。

 

 張芸謀は、『女と銃と荒野の麺屋』のような映画を撮ったと思ったら、『ザ・グレートウォール』のような、エンタメと迫力しか求めていない観客に魂を売るかのような作品も撮る。どれが張芸謀の真髄なのかわからない。

 

 陳凱歌も同じく。『さらば、わが愛/覇王別姫』と『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』。同じ人が撮ったと思えない。

 

 が、その次の世代、第六世代になると王小帥も張揚も、張元も賈樟柯も、それぞれ作品のテイストがブレなくなる。まったくと言っていいほど、ブレないし、それぞれの監督にその監督の"らしさ"がある。監督ごとで映画を比べてみると、焦点の当て方に共通性があったりする。

 

 西洋文化や欧米マーケットとの摩擦や対峙を担った第五世代は、芸術表現よりも「仕事」としての監督業を慎ましくこなすことで、対欧米での評価を上げた。自身の名声のみでなく、中国映画全体の評価を上げた彼らの功績は、第六世代以降のやりやすさに繋がったのかもしれない。第六世代の映画は、その芸術的表現が、世界で高く評価されている。

 

 『ザ・グレートウォール』も『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』も、発想のドギツさや不自然な展開、特殊効果に嫌な鳥肌が立つこともあった。前者はアメリカと、後者は日本と、組んで製作している。中国の中だけで完結できなかった、経済的な政治が大きく動いたであろう映画。壮大な駆け引きもあったかもしれない。第五世代の監督というのは、本当に良く働く人たちだなあと感心する。

 

 

2020年11月 noteより移行