メモ:沖縄に引っ越して1年4ヶ月

銀天団へのインタビューが公開される頃に考えたこと。

 

沖縄・コザのシャッター街を拠点にするダブバンド・銀天団って何者|メンバーが語る「沖縄で究極にマイペースで音楽を作るということ」 - 骰子の眼 - webDICE

 

大阪にいた時の常識をことごとく変えられているし、私の生活ペース、1日の何時間を何に割いて、何を重要視して、どれぐらいの濃度でものごとをこなしていくのか、というようなまさに自分をつくりあげる日々の行いにも変化がみられる。
単語を辞書でひけば、その言葉の意味が書かれているのだけれど、その言葉が映すイメージや「こういうことであるべき」というような自分の中での意味づけ。そういったものが、沖縄に来てから覆されている。


例えば。ライブハウスという場所は、どういう場所なのか。どういう場所であるべきで、どういう人が集まって、どういう人たちによって形成、運営されていくのか。音楽をつくる人は、どういう生活を送っていて、どういう遊びと学びを繰り返して、どういう目標をもっていくのか。


大阪で私が「こうあるべき」と思ってきたものは沖縄では通用しなかった。私が大阪から沖縄に持ってきた感覚はとても狭い。狭いし、それは人に対する押し付けになることもあった。こうあってほしい、と。


インタビュー記事の冒頭に書いたが、沖縄はSNSやメディアやインターネットに支配されない。ここにはまた別のネットワークが存在しており、インターネットを過信する者は沖縄の地面を這うネットワークに距離を感じるだろう。インターネットが発達しないこの場所を“遅れている”と捉えるのか、“新しい”と捉えるのか。15歳のころからインターネットを信じて行動してきた私にとっては、とっても新しいネットワークに思えたのだ。


と、言いつつも、私はもし、これから大阪に戻ってまた大阪で生活することになれば、以前通りにネットを信じ、以前の生活ペースに戻るのだろう。(今のところ、ここ沖縄から出ることがなんとなく考えられないのだが。)

 

2020年11月 noteより移行