AMN報告会での私の発言の補足。

 3/10、国際交流基金さくらホールにて、「Asian Music Network 報告会」に登壇してきた。役割としては、Asian Music Networkが年次で開催しているフェスティバル、2016年12月に開催されたシンガポール・クアラルンプールでのアジアン・ミーティング・フェスティバルに外部ライターとして参加した者としての報告プレゼンテーションとディスカッションに参加。私は「Offshore」というアジアの実験的な音楽やインディペンデントなカルチャーを情報発信するサイトを運営していて、たまにイベント企画も行っている。AMN内部ではなくまた別の視点でアジアを見ている立場として参加した。また、現在私は沖縄県文化振興会という名称の財団、通称沖縄アーツカウンシルに在籍していてアートマネジメントの端くれでもある。

 

 ひとつ前置きとして話しておくと、私が沖縄アーツカウンシルに入った理由は、「なぜ、音楽だけいつも除け者なのか?」という疑問がある。助成金公的資金が投入されるアートを見たときに、ライブハウスで鳴る純粋な音楽は、含まれていないことが多い。(しかし、アサダワタルさんの活動に見られるような、音楽をコミュニケーションの媒介者とみたててプロジェクトを起こし、それを公的資金が支援しているという例はある。)例えば、現代美術家、劇団、ダンスカンパニー、交響楽団、伝統音楽などと比べていったときに、実験的な音楽でもライブハウスで演奏していたら「ビジネスでやっていける商業音楽だから」とみなされて公的資金を獲得できることが極端に少ないと思っている。音楽によって表現することと、絵画やダンス・パフォーマンスで表現することって、元々の衝動や動機ってそんなに違うものなのか?聴覚は芸術ではないのか?極端に考えていくとそういうところが気になっていて、ある意味勉強、ある意味スパイになったつもりで、どうやったら音楽が公平に世間に評価されるようになるのか、日々考えている。

 

 さらにもうひとつ前置きすると、この報告会の数日前に、国際交流基金アジアセンターの主催のもと(主催という意味は、資金のすべてはアジアセンターから出ていたということでもある)Asian Music Networkは開催されていたが、この2017年3月をもって主催事業としての展開が終了するということを、dj sniffより聞いた。2005年から大友良英氏が個人のポケットマネーと有志の私財による支援で始めたアジアン・ミーティング・フェスティバルは、2014年から国際交流基金アジアセンターの主催事業となったが、また、2017年からは強力なスポンサーがいなくなるということ。個人的には、「ああ、また音楽は切られるのか」とがっくりしつつも、また、それはこの種の音楽が現在の日本の文化政策と距離が離れすぎているんだと痛感した。「音楽って、人の生活や社会において、これだけ素晴らしい効果があるんだよ」ということを言葉で伝えられる裏方が、日本の音楽シーンに寄り添っていないのである。ただ、同時に、音楽を言葉にしてたまるか、とも思う。

 

 私が3/10の報告会にてプレゼンテーションで話した原稿はここに置く。

 

 それでは、補足していきます。

 

【事業のゴールはどこなのか?】

 まず私はこの事業のゴールがどこなのかがよく把握できていなかった。もちろん、大友さんが2005年からこのフェスティバルを続けてきていて、その意味は自分なりに解釈できていると思っている。そこで一応、あまりズレてしまわないためにも、AMNの概要文を引用して「ネットワークの形成」「国際理解」「コラボレーション・モデルの提示」を取り出したのだけれど、報告会冒頭の大友さんの発言で、「あ、違うな」と思った。

 

 大友さんは、「政治や国際情勢がどうであろうと、音楽家はこうやって関係なく互いに理解していくことができる」と言っていた。たぶん、大友さんが2005年にアジアン・ミーティング・フェスティバルを開始した時のブログにもそれを書いていたし、大友さんの最大のねらいはそこなんじゃないだろうか?とも思った。ただ、私の報告では「国際理解」というキーワードは拾っていた。しかし、アジアセンターがASEAN加盟国との関係性をメインに構築していくというルールがあることを考えると、今日本において一番喫緊の理解すべき隣国は中国と韓国である。また、ASEAN諸国との関係性においても、日本は、大昔ほとんどの国を植民地にした経験がある。それを踏まえた上での、「日本が偉そうな顔をしない」関係性の構築の仕方も言及できると良かった。

 

【ネットワークの危険性】

 「ネットワークの形成」という言葉もキーワードとして抽出した。報告会のディスカッション最中に、「dj sniffの書いたテキストの中に……」という話題もあったのだが、私は報告会が始まる前までにそのテキストを読んでいなかった。dj sniffは、私が書いたアジアン・ミーティング・フェスティバルのレビューも参照しつつ、(

http://asianmusic-network.com/archive/2016/12/asian-meeting-festival-with-playfreely.html

)こう書いている。

 

特に経済力の強い国からやって来て無自覚にこのキーワードを振り回すことはある種のソフトパワーだと見なされてもおかしくない。


 全くその通りだと思うし、私がこのテキストを先に読んでいたら、ディスカッションとかもう少し斬り込めたんだけどね、と、今更思う。報告会では、ネットワークを作るということに関して何か意見はあるか?とdj sniffが登壇者それぞれに振った。だんだんと抽象的な回答になっていっているような気がしたので、私は「具体的な質問をしてくれ」とdj sniffに無茶振りをしたのだけれど、そうしたらなぜか地方の話になってしまった。それはあとで書く。

 

 私が思うのは、ネットワークなんて幻なのだ。そもそも、人と人の関係性を、何かプログラムやプロジェクトに無理やり形成されてたまるか、と思う。公的資金が投入されたプロジェクトや、公的資金でなくても誰かが用意した場でできるのはせいぜい「オープン・ミーティング」だ。出会って、会話して、その後何が起こるか。誰かがコントロールすることはできないんじゃないだろうか。また、私は2011年からアジア各地に足を運んで、もう6年目となる。1年目や2年目のころにできた友人と、現在と、見渡してみる。もうその地を訪れても連絡しなくなった人もいるし、また私自身も趣味嗜好がだんだんと変わっているし、また相手も趣味嗜好がだんだんと変わっている。私は、報告会では「より強く広いネットワーク」みたいな言い方をしたけど、プロジェクトには「マッチング」しかできないのかもしれない。ただ、そのマッチングするためのネットワークは必要なのかもしれないし、そこにはコーディネイト能力や社交性も必要になってくる。「ネットワーク」という言葉を使うときには、何をもってネットワークと捉えているのか、熟考してから使わないといけない。

 

 さらに、ト調さんのツイートを引用した「観客はネットワークにどう入ることができるのか」という件。これに対しては大友さんから「長い目で見ないと生まれない」と発言があった。私も本当にそうだと思っていて、そんな1年や2年でできるわけないよ、と思っているからこその提起でもあった。私のアイディアとしては、観客って本当に素晴らしく熱心な人たちなので(だって時間もお金もさいて観にくるんですから)、観客がもうちょっと深入りできるような仕掛け、小細工があるとアジアン・ミーティング・フェスティバルがもっと面白くなるんじゃないかな、と思った、ということ。例えばそれは、アーカイブとしてリリースされているレビューやインタビューがその役目の一端を担うのかもしれないし、なんだったらアーティスト・トークとかもやってもいいんじゃないの?とも思う。

 

【コラボレーション・モデル?】

 あと、「コラボレーション・モデルの提示が何なのかいまいちわからなかった」とも発言した。みんなで即興演奏をやることがコラボレーション・モデルなのか?また、即興演奏を得意としない音楽家がこの輪から外れていることに関しては?例えば、報告会が終わった今は、AMNに関わった音楽家がレコーディングセッションを行っているらしい。dj sniffとチーワイによるリサーチでのマッチング、そして合宿のようなミーティングとフェスティバル、それからレコーディング、となって、フィジカルな物体となってその軌跡が残されることは面白いとは思う。ただ、そこって、本当に「即興」だけが効果的なの?と事実私は思っている。これまでのAMNに出ていたSenyawa、skip skip ben ben、先日バンコクで見たピートTRなどは、もしかしたらたくさんの音楽家と即興演奏させることよりも、それぞれの楽曲やパフォーマンスを突き詰めた演奏のほうが、観た観客はぐっとくるんじゃないかな?とも思う。でも、ここは表現に関わることだから本当に難しい。私は、あくまでも観客であり、音楽家ではないからこの視点である。でも自分が音楽家だったとしたら、音を出すことにより会話してみたいと思うのかも。

 

【地方って?】

 そして、報告会で私が謎のぼやきをした「地方」について。私はまだ那覇に住んで2年だ。まだ地方在住者の気持ちなんて代弁できてはいないと思うが、報告会ではdj sniffの「地方でのネットワークについては?」のような質問に変な回答をした。あまり覚えていないが、「地方は腐る」と、荒川淳さんの発言を引用しながら話した。(荒川さんに陳謝。)

 けれども私が彼に共感したのは、あれだけ凄い演奏をシンガポール、クアラルンプールで観て、満たされた気持ちで家に戻り、また那覇でちょこちょこ音楽の現場に行くと、物足りなさを強烈に感じたのだ。そして、その物足りなさを感じた自分に自己嫌悪する。「私は、アジアン・ミーティングで見たアーティストと沖縄のアーティストを比べて天秤にかけて、沖縄のほうが下だと思っているのか?」と。そうやって比べる自分に自己嫌悪して、そういう気分になるぐらいなら、と、どんどん外に出なくなり、落ち込んでいく。そういう気分が実際に12月の後半にあった。沖縄のアーティストも、みんなそれぞれ頑張っていて、心底、音楽で遊ぶということを楽しんでいる。大友さんやJOJO広重さんのような凄いノイズ、フィードバックは聴けなくても、自分のツボにはまらないだけであって、みんな楽しくやっている。そこを否定するような自分の感情が出てくることに嫌になり、それを私は「腐る」という意味だと捉えている。

 時間がないのでいったんこれまでとする。また思いついたり加筆したくなったら編集する。

 

【両者の歩み寄り】3/12 夜7時半、追記。

 そして、AMNおよびアジアン・ミーティング・フェスティバルが国際交流基金アジアセンターの主催事業としての展開をどうして終えるのか、私は詳しく知らない。どんな経緯があろうとも、残念ではある。これまであまり公的支援を受けてこなかった類の音楽が、支援されて、資金も投入されて、もっと数年後には、新しいコラボレーションももっと生まれていったかもしれない。

 

 例を出せば、例えば大城真。大城真氏がAMNに参加する前に上海での彼らのライブに同行していたが、その時の大城氏のアジアへの興味と、AMN参加以降のアジアへの興味は大きく違うと認識している。大城氏が沖縄で、AMN台湾リサーチで見たことや、またAMNに参加した際に打ち上げで各地のアーティストたちと話したことをたくさん聞いたが、自ら積極的にアジアを知ろうとしていて、泣けるほど私はうれしかったのだ。(泣いてないけど。)今後も大城氏は自身の独特な表現とキャラクターで、アジアのみならず世界を飛び回るだろうし、アジアセンター主催で行われたAMNが良いきっかけを与えたとも言えるんじゃないだろうか。

 

 音楽は、言葉にすればするほど面白くない。じゃあ「大城真がAMNに参加し、国境を超えた交流をより広げたことにより、日本の実験的な音楽シーンの国際化が進んだ」なんて文章を書いてみるとなんとも気持ち悪い。大城氏本人も「そんな恩着せがましいことを言わないでほしい」と言うだろう。でも大城氏が沖縄に来て、久々の地元沖縄でのライブをした時に、数少ない人たちに限定されるが、彼が台湾で見たことを同じ沖縄の音楽家に話すことによって、沖縄の音楽家たちに「ああ、なんか大城さんが言ってるしアジアの実験的な音楽シーンも面白そうだなあ、いつか見てみたいなあ」と思ってもらうことはできたかと思う。音楽の効果って、とても間接的なんじゃないか?演劇や、文脈が重要とされる美術のように、言葉で説明されることが多い表現と違って、言葉は音楽において置き去りにされる。抽象的だが、その直観性を用いたパワーは凄いと思うのだ。報告会では、映画「パーティー51」の例も出したのだけれど、また違う例を出すとすれば、ラフィンノーズのチャーミーさんが「韓国のインディーロックはすごい!」と熱たっぷりに紹介してくれることで、韓国をぐっと近い国に感じたパンクスたちもいるんじゃないだろうか。

 

 冒頭で書いたことに戻るが、音楽は、支援を受けるアートから外れがちだ。でも、音楽をやっている側も、自分たちの活動が社会や生活において何をもたらしているのか。一度考えてみるべきなんじゃないだろうか。それでも、音楽家たちはみんないやがるだろう。ひたすら音楽を鳴らしたくて音楽を演奏しているのに、それに文脈を付けていく作業なんて、確かに音楽家がやることではない。音楽家は、そのままで良いと思う。足りないのは、音楽家を社会的な存在として世に受け入れてもらう作業をする裏方なんじゃないだろうか。

 

 配布されたdj sniffのテキストには、要約すると「音楽家がオーガナイズすることに意義がある」というような記述があるのだけれど、オーガナイズの実務は確かにアーティストでもできるだろう。でも、それらの動きを編集し、観る側にうまく伝達していく役割は、音楽家にできるだろうか。私はできないと思う。編集という作業は、当の本人がしてうまくいくことはなかなかない。

 

 大友さんが痛切に「必要」と思って私財を投入してまでやってきたアジアン・ミーティング・フェスティバルの真髄は、私はやはり、「政治とは関係ない音楽の交流ができる」ということにあると思う。だとすれば、大友さんが考えたことを歪まない形でうまくアウトプットするために、誰か非音楽家が編集すると、もっと伝わるんじゃないかなあ?と。その場合の編集とは、何も、大友さんとタッグを組むという意味だけではなくて、観客も、関係者も、私のように単発で参加した外部のライターも、みんなが「音楽が自分たちの生活になぜ大切なのか」を、言葉にして説明できるようになっていかないといけない。アジアン・ミーティング・フェスティバルがアジアセンター主催ではなくなると聞いたとき、音楽を愛してきた自分たちの怠けてきたツケが回ってきたとも思えた。

 

 最後に、無論、音楽に公的支援なんていらない、という意見も真っ当。報告会の翌日、ENDONとDJ行松陽介のライブに足を運んだが、あそこまでエクストリームな音に、200人ほどの大人が集まって狂っている様子は気持ちよかった。何に関しても行政や公金の支援が必要と思っているわけではないので、そこはご理解を。

 

2020年11月 noteより移行