京都精華大学にて-これからの音楽

先週2月18日、京都精華大学にて、特任教授である永田純さんの特別授業にお呼ばれした。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部の2回生・3回生を前に、永田さんから私に公開インタビューを受けるような内容の授業。学生さんたちは、私と、一緒に呼ばれて行った桜坂劇場プロデューサーの野田隆司さんの公開インタビューを続けて聞き、思ったこと、考えたことをレポート形式で提出する。

音楽業界で働くという目標が今まで通りではない、現役大学生。音楽レコード会社やライブハウスで働く道もあるのだろうが、これからの音楽の世界でそれが”成功”とされる道なのかどうかは誰もわからない。音源が売れないと嘆かれ、音楽ビジネスが立ち行かなくなってしまいつつある現代にその空気をしっかりと感じ取っている学生たちが、今どういう思考を巡らせているのか。私もたくさん想像しながら、永田さんの質問にひとつひとつ答えていったのだが、果たして、私も同じく今いろいろ悩みながらアクションを起こしており、彼らへのヒントになったのだろうか。

しかし、自分より10歳も下の人たちの前で公開インタビューを受けることは、私にとっても考えを整理する良い機会となった。一部、今でも覚えていて、さらに、もうちょっとそこを詳しく話せたんではないだろうか、という点について書きとめて、私がこれを機に考えさせられたこともメモしておく。

 

【日本終わった……、の意味】

私がOffshoreを立ち上げた理由として、だいたい述べていることがある。当時アジアに特に興味のなかった私は、メキシコに旅行に行きたかったのだけれど、いざ旅行に行こうと思ったら、お金がぜんぜん溜まっていなかった。それなら、安いところにとりあえず行くか、と思い、中国を含むアジアへ行くことにした。アジアと言っても、いわゆるバックパッカーみたいなことをするのは面白くないし、「日本におるときと同じことしたろう」と思ったのである。ライブハウスに行き、映画館に行き、ギャラリーに行ってみよう、と。関空から上海に着いたのは2011年3月10日。翌日だったか、もしかしたら翌々日だったか。上海のユースホステルに戻ったら宿泊客が全員BBC webの津波の写真を見ていた。上海の地下鉄でも、原発が爆発する映像が流れ、コンビニに置いてある新聞には一面に津波や大震災の写真。中国のネット検閲をかい潜ってtwitterを見てみる。一番食らったのは、twitterを見た時だった。具体的にどういう文言、tweetにショックを受けたのかは覚えてないのだけれど、全体的にものすごく気持ち悪い感触があった。情報に右往左往している知人や知らない人を見て、漠然と、「日本は(情報社会という点において)終わっている」と思ったのだ。これでも説明しきれていないけれど、あのとき、外から日本のtwitterを通して日本社会を見ると、もう末恐ろしいものがあった。

 
【ライブハウスを辞めた理由】

精神的にも身体的にも病んでしまったことが原因でライブハウスを辞め、今でもそのライブハウスの付近に近づくと気分が重くなり吐きそうになる、という話をした。あと、先日京都精華大学の広報サイトにてアップされたインタビューで答えたこの点は重要だと思っている。

 

そんななかで、時間があまりにもなくて、ライブハウスの地下にいるばっかりで“外の世界”を全然知らない、と気づいたんですよね。ライブハウスは面白いことや楽しいことを提供する空間なのに、“外の世界”を広く知らない人間がやっていても、そうはならないだろうと。 

 

他の仕事で、これまた忙しすぎてしんどくなってしまったときにも思ったのだけれど、外の世界を知らない人が、どうやって一般の人を楽しませる空間をつくることができるのだろう。例えば飲食店やお店の経営をする人や店に立つ人、場をつくる人、とにかく、クリエイティブな何かに関わる人は、忙しすぎてそればっかりやってしまっている、という状況に陥りがちである。それは不健康極まりないと思っている。誰でも言うことをあえてもう一度。「遊んでなんぼ」。世間を広く知れば、その分アイディアも増える。面白い人を巻き込める確率も高くなる。でも、今の社会で生きていくには、そうも遊んでられないこともわかっている。やりたい仕事には長時間労働が付きものだったりする。私はそういうときは、いっそのこと、辞めたらいいと思う。やりたいことってなんなのか。生活を差し置いてでもやるべき仕事なのか。朝9時から5時まで適当に働いてお金をもらえる職場を見つけて、アフター5で自分のやりたいことを思いっきりやる、という選択肢もある。やりたい仕事じゃないことを毎日朝9時から5時までやるなんて苦痛、という意見もわかるが、実は、世間一般の、全然クリエイティブな環境に身を置いてない人と会話をすることも、ある意味クリエイティブだったりする。私の人生におけるバイト中の時間はだいたい、「世間一般の人を知ること」に費やしてきた。ものは考えようなので、それでも辛いこともあるけれど、人間関係が良い職場なら、やりたいことが一切ない職場でも意外と続いたりするものだ。ただ、再三書いておくが、その人の性格やモチベーションにもよる。全員が全員にデイジョブとアフター5生活をおすすめするわけではない。

 

【なぜ地元じゃない地方のことを考えるのか】

これは学生さんから鋭い質問があって感心した。「山本さんも野田さんも、地元でない沖縄で沖縄を盛り上げようとしていますが、どうして地元のことはやらないのですか?」というような質問。その場でも答えたが、最近地方崇拝主義、東京より地方、な流れがあるけれども、私はもし自分が月に30万円以上稼げるなら東京に住む。月に20万円以上稼げる場合も、東京に住んでも良いと思う。金目線のことだけではなくて、自分がやっていることの性質にも関わっている。私は今沖縄にいることが正解なのかどうかわからない。できるだけ尖ったものや尖った人のそばで、それを自分の目で確かめて、あわよくば取材したい、というのが私の衝動であり、Offshoreではアジアにおいてそういったことをやっている。ならば、アジアにすぐに飛び立てるどこかに住むべきではないのか。また、東京も国内の精鋭が集まっているわけだし、東京も良いのではないか。沖縄に越す前の大阪も、LCCが安くてアジアを近く感じた。今、沖縄に来て、実質距離は短くなっているけれど、便数が少ないため大阪よりも航空運賃が高い場合がある。実は、ちょうどやってみたい仕事があって沖縄に引っ越してみた、というぐらいなので、そういった点をあまり考えていなかった。学生の皆さん、ごめんなさい。実は何の計画もなかったのです。ただ、沖縄に引っ越したからには、自分が楽しく暮らせるように自分にとって面白い音楽イベントや環境があればいいなと思う。だから、ちょっと企画してみたり、過ごしやすい環境を開拓したりする。私は沖縄のことを本気でどうにかしようと考えているのではない、と断言して良いかもしれない。あくまでも、いつまたどこへ引っ越すかわからない移住者であり、沖縄のために自分を捧げようとは考えていない。それでも、もしかしたら、移住者の私が自分本位でやってみたことが、沖縄の他の誰かのためにもなる場合があるかもしれない。

 

これからの音楽、と考えたときに、まず日本においてはCDセールスがもっと落ち込むであろうし、アナログレコードのブームは一過性だろうし、Spotifyはなかなかスタートしないし、まず音源でお金をまわすことは無理だと思っている。じゃあライブで稼ぐのか?ライブで稼げた話をあまり周りから聞いたことがないここ数年。物販も内職の領域で、物販で儲かっているバンド、ミュージシャンはほんのひとにぎり。

沖縄のために人生捧げない私ではあるが、沖縄の状況を見ていてなるほどと思ったこともある。大阪より、もっとライブに人は入らないし、もっと音源は売れていないし、もっとミュージシャンとハコと観客のバランスは悪い。なんでこんな状態やねんと腹たつことはたくさんあるのだけれど、この状態が、日本の最先端、つまりは未来をいっているのだとしたら?沖縄で音楽の現場に集まってくる人たち、特に40歳以下ぐらいの人たちの顔はだいたいわかってきた。沖縄に住む人たちで音楽の現場に来る人たちはだいたい顔見知りで、クラブやライブハウスでたまに会っては楽しそうに話している。次のイベントや最近のお互いの活動について話していたり、また、たわいもないデイジョブの話や昔話をしていたり。これは、ごく一般の人からすると、不定期にやってくる同窓会やコンパ、オフ会のようなものなのかもしれない。音楽って、もしかして、人と人を繋いでいるコミュニケーションツールのひとつでしかないのかもしれない。話のタネであったり、AさんとBさんが仲いい理由がその音楽であったり。自分で書いていてものすごいサムいなあとも思うのだけれど、要は、人が繋がるための磁石のような存在でしかないんじゃないか。音楽自体にお金をまわらせるということ、つまりは音楽ビジネス自体がもう成り立たない。ただ、その音楽が鳴っている環境や現場にはみんなお金を払うことができるし、現にやっている。コミュニケーションツールのひとつでしかないとすると、音楽に関わる仕事をしたいと思っている私たちは、音楽以外のことももっと学んだ方がいいのかもしれない。けれども明確な予測は立たない。学生さんたちと同じく、私も答えが出ないのだけれど、ビジネスにならないことはわかっているから未来に賭けることもできる。今のところはきちんと働いて最低限の生活ができる手段は確保しつつ、音楽ビジネスに取って代わる、新しい音楽状況をつくるきっかけを探っていきたい。これから10年経ったら、学生さんたちが私と同じ歳になっている。そのときまでには、もっと学生さんたちの前で自慢できる大人になっていたいなあ。

 

2020年11月noteより記事移行