今年一番聴いた音楽(交信【今年〇〇だった△△2024】に送らなかったほうのテキスト)

札幌の交信が企画している毎年恒例のフリーペーパー【今年〇〇だった△△】に、ここ数年毎年、楽しく参加している。【今年〇〇だった△△】の◯◯と△△の部分を自由に設定して自由に書ける1年の振り返り。今年は2つ書きたい候補があって、2つをまずざっくり書いてみてから、どちらを交信に送るか選んだ。

送らなかったほうのテキストを、ここに載せておく。

 

 

「今年一番聴いた音楽」

 

今年一番聴いたのは、沖縄民謡でした。もう、狂っていました。2025年も、もっと沖縄民謡に狂う予定です(実際には沖縄だけではなく八重山宮古奄美も含めた琉球弧の民謡を聴いていますが、まずは沖縄島のものをメインに聴いていますので「沖縄民謡」と書いています)。

 

私は2015年から2019年まで文字通り沖縄に住んでいましたが、まったく民謡に興味が湧かず。ついに私を沖縄民謡の世界へ誘ったのは、沖縄から引き揚げて約5年後の今年になって、ふと読んでみた竹中労の沖縄に関する書籍でした。無頼のアナキスト竹中労は、沖縄を「ニッポンではない」と言い切り、琉球の島々の分厚い音楽文化を丁寧に紐解きつつ、かつ、春歌、つまりエロ唄のおもしろさをそこでしっかり説きました。恥ずかしいような話ですが、私、この竹中労による春歌の解説がなければ、沖縄民謡の魅力がまったくわからないまま今も過ごしていたと思います。唄ですが、詩であり文学であり、そして遊びであり、学びであり……。ああ! つまりは、生きるということ! そのもの! なんです。

 

竹中労に扉を開かれ、竹中と親交があった上原直彦、小浜司などの文章を読み、ありがたくサブスクを駆使して戦後から現在まで活躍したウタサー(唄者)たちの録音を聴き、到達した持論があります――「音楽、それは不良の遊びであるべし」。

 

竹中労が惹かれた60年代末〜70年代の沖縄のウタサーたち、書籍で知るに、むちゃくちゃ不良だったと思います。私は自分が経験してきた2000年代のライブハウスやクラブと脳内で比較したりもするのですが、自分たちの時代も、まあまあ法的にはアウトな物事がチラリと見えたり、悪っぽさがカッコよく見えたり。オールナイトのパーティーとかも10代終わり頃から行ってましたが、法的にアウトなことはしなかったとしても、人が寝ている深夜に音楽を聴いて夜を明かすという享楽が、悪い感じがしていました。この悪さがスパイスとなって、音楽をもっと知りたいという欲求を刺激されたし、自分より音楽をより知っている、つまり遊び方をもっと究めている悪そうな先輩たちに憧れたりしました。もちろん、その悪さの中にはミソジニーやマイノリティへの差別も内包されていたから無条件に肯定するわけではありませんが、他者を思いやることと悪さは、共存できないことはないと思っています。

 

音楽の魅力のひとつが不良的なものであり、悪い奴らのカッコいい遊びだったんじゃないか――と仮定すると、2015年から約5年間過ごした沖縄で、私がまったく民謡に興味を惹かれなかったのも説明がつくんですよね。かつて民謡やウタサーと切り離せない関係にあった興行である沖縄芝居は、公立劇場でチンと行儀よく座席に座って真剣に観るもののことを指すようになってしまっているし、民謡も、同様なぎょうぎょうしい劇場での箔付きの伝統芸能公演、あるいは、華美で過剰な演出のある民謡酒場で鑑賞するもの、というイメージでした。伝統という名のもとに権威化した正統な演奏か、あるいは、観光客という消費者に向けた商売か――。概ねこの2つに分類されてしまっており、竹中労の書籍に描かれたような、ウタサーが聴く者たちの状況に合わせて即興で詩を練り上げ聴く者もウタサーも応答しあっていくような、鮮やかでカッコいい唄あそびの世界はなかなか見ることができません(クラブに行けば、非民謡の音楽で、そのような即興と応答の遊びが盛り込まれたライブやDJは山ほど観ることができるわけですが…)。

 

けれども、今少し期待しながら見ている動きがあります。私と同世代の、沖縄のクラブやライブハウスで遊んできた人たち(つまり、悪い奴らでありカッコいい奴ら)が、地元の民謡を再評価しはじめています。私はヤマトの人間だから、沖縄から独自の言語や文化を奪ってしまった収奪者の側におり、沖縄の未来についてとやかく言う資格はないし、いつでも沖縄に対して引け目を感じています。それでも、沖縄に生まれ育った友人たちが、グローバル化する以前の地元の文化について掘り起こしを試みようとしているその動きは、そっと観察させてもらいたいと思っています。竹中労が沖縄の唄に心奪われたのは今から約50年前。では、現時点から約50年後、何が起こるか? 私はちょっと楽しみにしています。