『パーティー51』を2024年前後に観た(る)方への少しの補足

オフショアはドキュメンタリー映画『パーティー51』の日本国内での配給・宣伝を担当しています。

この映画、YouTubeで2020年から無料で全編公開しています。今の時代になってもぜひ鑑賞してほしい。でも、この十数年の時代の変化が大きく、背景や感覚の隔たりについて補足や説明をいれたほうがよさそうなこともちらほら出てきました。韓国での撮影期(2009〜2012年)、日本でのプレミア上映(2015年)から時を経て、かなり時代も変わりました。

また先日(2024年7月27日)、CINEMA DoDukさんが久々にイベントでこの映画を上映してくださっていて、そのレポート記事も公開されています。

この記事は、CINEMA DoDukさんのその記事への補足や応答になればとも考えております。

 

ストーリーの解説等は省きます。

 

こちらは映画本編(全編視聴可能)

youtu.be

 

 

こちらはCINEMA DoDukさんのレポート記事

note.com

 

この映画には男ばかりが登場するということについて

まず、十数年の時を経て配給担当者の私が必ず言及しておきたいと思っていることは、「この映画には男ばかりが登場する」という点です。実は、この点について最初に私に気づかせてくださったのは、2017年頃に上映企画イベントを組んでくれた京都精華大学の学生さんたちです。私自身、音楽ライブハウス等で働いたり音楽シーンに身を置いてきていたからこそなのか、男だらけで当たり前の音楽シーンに違和感を感じていなかったことにびっくりして、反省しました。

それ以降、配給担当者として上映希望のオーガナイザーさんと連絡をとるときは、なるべくこの点についてお知らせして相談するようにしています。「この映画、フェミニズムの観点からいうと、ほぼ男性しか登場しないのでかなり偏っています」と。

韓国では『パーティー51』以降、みなさんご存知のように、フェミニズムの運動が大きくなっています。『パーティー51』が韓国本国で公開されたのは2013年。韓国にもフェミニズムの動きが当時すでにあったはずですが、社会で大々的に議論されるようになったのは、特に音楽シーンにおいてそれが顕著になったのは、『パーティー51』完成以降だったと思われます。(映画内に登場するイ・ランさんの大活躍もこの後の時代です。)

とはいえもちろん、「時代が昔だったから」「監督が男だから」「こういう音楽ジャンルが扱われた映画だから男が多い」で済ませられることだとも思っていません。なので、日本の配給担当者として、上に記したようなオーガナイザーさんへのご相談を行なっています。フェミニズムにおいては現代にそぐわない映画だということを考えていただいています。でもこの映画には、音楽とアクティヴィズムの重なる部分の葛藤が描かれていること、韓国ソウルの音楽シーンの歴史を見るという価値もあります。本編は無料公開中ですから、オーガナイザーさんにはまずYouTubeで全編を観ていただき、映画の良い部分と天秤にかけて考えていただき、最後はオーガナイザーさんで上映するかしないかをジャッジしていただくようにしています。

なので、CINEMA DoDukさんともそのようなやりとりは経ておりまして、それでもやはり上映をご希望されるということで、上映を行なっていただきました。

トークレポートでは、トークゲストの高島鈴さんがしっかりと「クィア・コミュニティは出てこないし、もっと言うとマイクを握る女性表象、ジェンダー表現が女性の方も出てこない」と批判されていて、公開の場でこの点が議論されたこと、配給担当者として少しホッとしております。何しろ、今まではこの観点について、私と、私に連絡をくださったオーガナイザーさんとで、メールなどの密室でやりとりしていただけだったので(ちょこちょこTwitterとかでは言及しておりましたが)。高島さんのコメントを読んで、「そうだな、過去の映画であったとしても、「おかしい」と言うことは大事だな」と思いました。

 

ただ、当時の音楽シーンが男性に偏っていたとはいえ、いくらなんでもこの映画は男ばかりが出すぎです。この点について、一つ、私が推測していることがあります(あくまでも推測なので、今度関係者と会ったら答え合わせしてみるのもいいかもしれません)。

映画後半では、この映画の立てこもりの中心地となったトゥリバンでは"ない"場所で、チンピラたちと音楽家たちが殴り合いになるシーンがあります。さらに、「竜山事件」のドキュメンタリーを鑑賞しているシーンも出てくるのですが、この事件は、トゥリバンと同時代に似た状況にあった立てこもり現場が放火され、死傷者が出たものです(これを観たトゥリバンオーナーが堰を切ったように号泣するシーン)。竜山事件で放火を任されたのは裏社会の誰かだろうと噂されています。加えて、配給担当者として出演していた音楽家らにヒアリングをして知ったのは、映画では終始楽しそうに見える立てこもりの裏側で、実は、暴力や死傷のリスクと隣り合わせだったということです。いつ放火されてもおかしくない、いつヤクザたちが乗り込んでくるかわからない、という状況で、毎日シフトを組んで必ず誰かがトゥリバンの中にいて24時間見張りをしていたと聞いています。「他にも立てこもりしている物件がソウルに同時期いくつもあって、暴力沙汰が少なくなかった、トゥリバンは強制的に排除されずラッキーだった」とも聞いています。そしてその理由は、音楽家たちが参入してライブ活動を行なっていることにより目立っていて、メディアに注目されているから下手に手出しできなかったんじゃないかと話してくれた関係者もいました。裏社会の人たちから突然の暴力を受ける可能性がある緊迫した状況下で、「どうしてもトゥリバンを守る活動は"男性"音楽家たちに偏ってしまった」ということもあったのではないかと私は推測しています。私は女性として、物理的な力の差の問題によりここで引き下がらなければならない社会がどうなんだ、という気持ちもあるにはあるのですが…。

 

ちなみに、トゥリバン立ち退きは韓国の不動産問題と深く関わっているようです。日本語字幕を作ってくださった、韓国ソウル弘大でカフェ「雨乃日珈琲店」を営む清水博之さんのこの記事も、ぜひご覧ください。

amenohicoffee.blog134.fc2.com

 

 

「入っていけない」「加われない」ことと、音楽と政治

ちょっと余談ですが、いまどき「音楽と政治」について考えたことのない人の方が少ないかも?というような状況に日本もなってきました。この映画は、まさに「音楽と政治」のハシリだったと思います。私がこのテーマについて思慮を深めるようになったのは、この映画の配給を担当したことがきっかけです。

そもそも、日本で上映ツアーを行う前、最初の最初にはこんなこともありました。

パク・ダハムから「この映画を日本で上映ツアーしたいと思ってるんですが、制作してくれませんか?」という最初のアプローチに対して、私はこう返しました。

「どうして会ったことない私にメールをくれたんですか?(音楽関係の日本の友達、すでにたくさんいるじゃないですか?)」

するとダハムは、「いや、音楽関係の人だと、政治的なプロジェクトは嫌う人が多いじゃないですか。あなたなら、以前に立退を迫られたライブハウスの映画(香港のHidden Agenda)も日本で上映していると見ましたし、やってくれるんじゃないかと思って」と返事をくれました。

このやりとりで、「この映画はぜったい私が配給する」と決心したことを覚えています。

 

『パーティー51』は政治の匂いが非常に染みついた音楽ドキュメンタリー映画でまさに「音楽と政治」なのですが、しかしながら、「朴槿恵退陣」を求めているわけでもなければ「ろうそくデモ」とも性質が違います。社会全体を変えようとしたというよりも、とても個人的な政治的要求のために、音楽家とトゥリバンが共同で闘った記録です。

 

CINEMA DoDukさんによるトークレポートでは、音楽好きどうしで固まっている状況が音楽に明るくない人にとっては入っていけないと感じたり、加われないと感じたりすることが語られています。ここについては、もしかしたら映画の最後に新宿で開催された素人の乱によるデモのシーンが登場するので、そちらの運動とイメージが混ざってしまっておられたのかも?と感じました。ここについて、配給担当者として補足・応答させていただきたく思います。

 

『パーティー51』で映されるトゥリバンを中心とした運動は、もともとは小さな個人の抵抗運動であり、ソウル社会全体を巻き込む必要のあったものでは“ない”と私は見ています。映画のなかでも言及される最も重要な要求は、トゥリバン経営者が「食堂経営をホンデで続けたい」ということ(他人行儀な言い方をすれば、私的要求です)。そこに、周辺でライブ活動をしていた音楽家たちもちょうどホンデで気軽にライブできるところが減ってきていた状況だったから「ホンデでライブできるところが欲しい」ということ(これも、私的な要求だと思います)。

ろうそくデモや朴槿恵退陣を求めるデモとは、発端も動機も、巻き込むべき規模も違います。音楽に関係ない方、ホンデのシーンに関係のない人であれば、入っていけなくて当然だったのではないかと私は考えています。

 

これについて、2015年の日本での上映会でのトーク記録が少し参考になりそうです。オフショアのウェブサイトから引用すると、パムソム海賊団のヨンマンはこんなぶっちゃけた話を語っています。

 

観客からの「インディーバンドがここトゥリバンに集まったきっかけは?」との質問に対して監督が答えようとするが、説明が長く、ヨンマンが明らかにイライラしたそぶりを見せてマイクを奪う

ヨンマン:(監督の説明が長いので)僕が話します!そのジンボ党のチャン・ドンミンという議員とYamagata Tweaksterが、トゥリバンで毎週土曜にライブを始めました。そこにいろんなバンドが集まってきました。猫も杓子もクズもカスも集まってきて誰でもライブをやるようになっちゃった。それが大きくなった最終形が、映画に出てきたあの現象なんです。Yamagata Tweaksterとチャン・ドンミンの始めたライブがだんだん大きくなっていった、ということです。もう少し詳しく、なぜたくさんのバンドが集まってきたかを説明します。あそこにはライブしたくてもできない人たちが集まってきたんです。映画でも出ていましたが、ホンデは家賃がすごく高くなって、ライブハウスがどんどん閉まっていった。ライブできる場所がどんどん減っていた中で、トゥリバンはお金を払わなくてもライブをさせてもらえた。溢れちゃった人たちが集まってきた、というのが経緯です。

 

つまり、音楽家たちも、まずは自分らのこと、自分らの欲求を考えていた人が多かったと言うことです。トゥリバンと、音楽家たちが、共犯関係を結んで(とくに音楽家側が「乗っかって」)、ニュースに載るような騒ぎを起こした、という感じでしょうか。

「音楽が政治を社会を動かす!」と美しく捉えた方には、ちょっとガッカリするような話かもしれませんが、ヨンマンの視点では、音楽家が私欲のためにトゥリバンと連帯していたと面もあるっちゃある、ということでしょう。これを鑑みると、「音楽好き以外もみんな参加しろ」という感じでもなかったんじゃないかと思います。 まずは、トゥリバンでライブを繰り広げて、人が集まる場にするということが活動の発端です。

このあたり、日本で起こった風営法改正を求めるクラブ関係者たちによる運動も似ていたかもしれません。あの運動も(まだまだ現在進行形ですが)やはり、クラブ経営者やDJ、音楽ファンたちが主体で、音楽好き以外からの関心の順位は高くありません。

 

また、「どんな人をも巻き込んでいこう」というタイプの運動ではなかったのではないかという私の解釈の理由は、映画の中に映らなかった音楽家や音楽ファンたちのトゥリバン一連の運動についての批判です。当時、ソウルの音楽シーンで鼻をつまんでいた音楽家や音楽ファンも多かったと聞いています。

これについては、上記の同ウェブページに、こういった記録があります。

山本:じゃあちょっと質問を変えますが、トゥリバンを経験してきたバンドと、トゥリバンが新しくなってからできたバンドに、意識の違いはあると思いますか?

ヨンマン:トゥリバンでライブしていた当時は、トゥリバン周辺と関係持たないミュージシャンと、僕たちで、分かれていました。トゥリバンでライブしないミュージシャンの中には、僕らのようなミュージシャンを本当に嫌っている人もいました。

山本:それって、最後の描写で出てくる、「政治運動圏バンドか?」っていう話と繋がる部分?

ヨンマン:そうです。

山本:嫌われてる、って具体的にどういうことで感じた?Twitterで何か言われてるとか?

ホンジン:Twitterとかよりも、会った時に挨拶してくれないとか。あと、自分のいないところで悪口。今は、そんな人とも挨拶するようになりましたけどね。当時は、「左派のミュージシャンだ」と偏見を受けてました。

 

どんな人をも巻き込むべきなら、まず、音楽シーンの中で仲間割れが起こっている状況がよくありません。トゥリバンに集まった音楽家たちは、嫌われてもいいと思ってやっていた。つまり、自分たち一部の音楽家と、トゥリバンが継続して闘うことが優先で、この活動を「広く大きくしていこう」とは思っていなかったはずです。あくまでも自分達に主体性があったわけです。

ちなみにこのトークのとき、彼らは本当に真顔で真面目にこの話をしてくれていました。トゥリバンで私欲としての音楽活動を繰り広げるのではなく運動の核となって動いていた彼らにとって、音楽シーン内での対立はわりとつらかったんじゃないかと思われます。

 

そして映画の後半であるトゥリバン事件が解決した後、トゥリバンでの運動を引きずるように、左派の定期集会などにエンパワメントのために音楽家が呼ばれるようになっていきます。一部のミュージシャンたちは、参画する動機・欲求が明確だったトゥリバンへの参加は肯定できるものだったけれど…と、悩み始めます。「音楽をやってるのか? 政治運動をやってるのか?」と自問自答し、葛藤します。そして音楽家たちは、それぞれの道に分かれていきます。答えのない、この部分が、この映画のとてもおもしろいところだと私は思っています。

 

このあたりの悩みと葛藤は、「入っていけない」「加われない」とおっしゃられた高島さんやCINEMA DoDukの洪さん、そして鑑賞後に「なんだか音楽やってる人たちのノリが苦手だ」と思われた方々への、ひとつの回答にもなるんじゃないかと考えたりしています。「賃金上げろ!」や「〇〇党の政策に反対!」「労働者に権利を!」といった主張をするデモや集会に彼らが呼ばれるようになったとき、彼らは、思い悩んだ。彼らにとっては、なんのために誰のために演奏しているのかわからなくなってくるわけです。けれどもデモや集会の場に音楽があると盛り上がるから、主催者である左派や活動家は音楽家をブッキングしたがる――。これが『パーティー51』の後半で、とても重要な部分だったと私は考えています。

サウンドデモや音楽を用いた連帯行動が誰かを置いてけぼりにしてしまうこと――「周縁化」してしまうことと、音楽が政治運動に取り込まれてしまうことの危険性は、強く結びついていると思います。

ちなみに、映画のラストシーンで素人の乱サウンドデモに参加していたパムソム海賊団の2人は、現在、政治的運動とバンドや音楽を、直接的に結びつける行動はしていません。今の彼らなら、おそらくサウンドデモのたぐいのものには、参加しないでしょう。

 

とはいえ、CINEMA DoDukさんと高島さんのトーク内容はとても示唆的です。音楽で連帯することは難しい。私は『パーティー51』以降、アジア各地でポップミュージックの状況を調べているなかで、行政や為政者がそれを利用する例に関心を持ってきました(だからトークイベント「アジア〝政治的〟音楽ガイド」を手始めに、今仲間を集めて特集を編もうとしています)。音楽は魅力的なので、それが「抵抗の音楽」であったとしても、為政者は手を出してきて、それを用いて市民を懐柔しようとします。私は、「政治的なスローガンが音楽とともに鳴り響いている場合は、疑ったほうがいい」と考えています。うかつに音楽で連帯するな、と思っています。

音楽に明るくないことは、決して「ノリが良くない」わけではありません。高島さんや洪さん、そして他にもたくさんおられたであろう「入っていけない」という感想をお持ちになった方は、冷静で、的確なんじゃないかと感じます。むしろ、私は、この『パーティー51』の後半はその危険性について警鐘するシーンが多くあるので、「音楽で連帯すること」を肯定“していない”映画だと捉えています。音楽は、冷静さを奪います。これは大変にヤバいことです。そしてそれをすっぽり自分の身で体験したのが、トゥリバンで活動した彼らです。

 

わかりづらい映画ですが…

この映画は一度見ただけではとにかく複雑でわかりづらく、もしかしたら映画としては失敗しているのかもしれません。韓国の事情に詳しくないと、ついていけないところも多いです。ただ、私が関係者に聞いたうえでとてもおもしろいと思ったのは、チョン・ヨンテク監督だけの采配で編集をさせなかった、ということです。映画の途中に、パムソム海賊団のソンゴンが正直に「監督がほしいコメントを言わせてくる」みたいなぶっちゃけ話をして笑うところがありますが、やはり、監督は社会活動家・ドキュメンタリー作家であり、音楽実践者ではない。監督が「撮りたい」映像と、音楽家たちの「本音」にはズレがあったようです。監督の視点だけで映画を完成させてしまうのではなく、出演音楽家たちが映画の構成・編集にどんどん口を出して、「音楽家側から観ても納得のいく作品」に仕上げたと聞いています。この映画における散らばった感じ、まとまりのなさは、そういったプロセスの表れなんじゃないかと考えています。

 

最後に、鑑賞後、何かご質問やご意見がある場合は私で受け取り、必ず監督や製作メンバーに伝えますので、ぜひご連絡ください。

 

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また、下記リンクもご活用ください。

映画を観た後に余韻にひたるための参考リンク

雨乃日珈琲店ブログ:パーティー51関連記事 不動産のおはなし

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Offshore:映画『パーティー51』上映後トーク:パク・ダハム×バムソム海賊団×ハ・ホンジン×チョン・ヨンテク監督

Offshore:政治活動と政治的な活動、音楽を核とした場づくり仕事づくり-『パーティー51』上映後トーク:アサダワタル×HOPKEN杉本×Offshore山本

Offshore ONLINE SHOP:  zine『20150319 20150324 SEOUL』*Reissue ※上映ツアーの際に副読本、映画カタログのように各地で販売したzineです。