対コロナ便乗型生活見直し記録5/20

 元からあまり人に会わない生活をしていたので、これからが怖い。人に会わないことを肯定してもらえる期間など、これまでになかった。人と積極的に交流する人が褒められたり肯定的に捉えられていた社会が、瞬間的に逆転し、家にこもれ、人に会うな、と警告される。出不精を肯定してもらえる貴重な期間。しかしCovid-19の感染状況が落ち着いてきているらしい今、ついに6月からの出勤が決まってしまった。

 

 出不精が負けのように見える世界が再びやってくるんだろうか。こっちは出たくないから出ないという自由を謳歌しているのに。そして、せっかく自宅でも仕事ができることを証明したのに、また出勤しなければならないのか。出勤しなければできない仕事とはなんだったのか。

 

 とは言いつつも、若干ホッとしているのも事実。人と会いコミュニケーションを取るときは通常、どんな人でも、人の発する言葉ではない部分から、その人の気分、気持ち、考え、本音を多かれ少なかれ読み取っている。その感知機能の感度は人それぞれだし、感知機能の正確さにもばらつきがある。しかし、誰もがその機能を使って言語のみではない相手の情報を取得していたと思う。在宅勤務になり、動画やデジタル通信のみでのコミュニケーション方式になってしまうと、まさに疑心暗鬼を生ず。感知機能をフルに動かしても感知できない、ZOOM画面内の人の気分や本音。伝わらないニュアンス。積もり積もっていく食い違いには、「ま、テレワークやし」と諦め、齟齬というものをなかったことにする。

 

 再び人がフィジカルに出歩き出会うようになると、齟齬も食い違いも減るだろう。疑心暗鬼もおさまりめでたし。いや、でも、ふと自分の在宅勤務期間を見渡すと、人と協働しなくても済む仕事が増えていた。この状況下でできるだけストレスなく進めていけるように、齟齬や共同作業でのストレスを回避するために、仕事をアレンジしていたらしい。それによって、自分一人で完結できる作業が増えた。ならば、出勤することがまた億劫になる。

 

 これまで何人かにはチラッと話してきたのだが、これからはやっぱり「メール」と「電話(有料)」が来ると思う。メールには開封確認の機能を付さなければ既読かどうかはわからないし、だいたい送る前に読み直すから、攻撃的な発言や失礼な表現を減らすことのできる可能性が高い。すぐ返さないといけないというプレッシャーがないから、メールを読んだ翌日、フレッシュな頭で返信を書くこともできる。また、長文になることへの罪悪感が付き纏わないから、言葉足らずになってしまうことも防げる。そう、LINEもメッセンジャーも他も、最近のファストなツールは、どうして短信主義なんだろう。世の中の、お互いに悪意のない場合の喧嘩や齟齬の原因は、だいたいが「ひとこと足りんかったから」である。また、読解し書くことは頭の整理にもなるし、送る前の読み直し作業は相手の立場に立って考える作業でもある。世間はファストフードよりも有機野菜といった風潮なのだから、通信に関してもスローがトレンドにならないだろうか。

 

 「電話(有料)」も時代に乗って再び一般的になればいいなと思う。例えばメール以外に090や080の携帯電話もしくは固定電話での通話しか手段がなければ、「直接音声で話す」ということに緊張感が生まれる。なるべく短い時間で済まさなければ電話代がかさむし、時によっては相手にとって失礼にもなる。相手に返答を即時(もしくはリアルタイムで)求めることは、相手の時間を占有し負担になるんだということの再認識にもなるのではないか。

 

 と書きながら、まさか世間がメールと電話に逆行していくとも思わないが、せめて自分だけはなんとなくそちら寄りに軌道修正していけたらいいなと実践への落とし込みを思案している。

 

 

2020年 11月 noteより移行