2018年から1年半ぐらい、那覇市西町に住んでいた。大田昌秀の「沖縄国際平和研究所」があったあたり。先日那覇に訪問すると、あの平和研究所があったビルがそっくり建て替わっていて、観光客向けのホテルになっていた。
西町に住みながら、三重城の奥にあるテトラポットに囲まれた海岸線や、波の上、辻、若狭、とまりんあたりをよくチャリで徒歩でウロウロしていた。何をしていたのかもはや記憶にないけれど、青くない空、曇天が似合うよい散歩コースだった。三重城も泊高橋も、別れの場所である。しみじみひとりで考え事をしながら進む。
ただやはり女性としては辻はあんまりぶらぶらするのが適した場所ではなかったので、じゅり馬踊りの奉納なども見に行きたかったのだが、「うーん」という躊躇があった。そうこうしていたら、那覇で暮らした最後の年、職場の先輩が長年舞踊をやっていらっしゃる方だと知り、こんなことを言われてちょっと驚いた。
「私、毎年じゅり馬踊ってるのよ。え、山本さん舞踊とか興味ある?(ないでしょ?という含み)」
すかさず「いや、興味ありますよ〜!」と答えていた。
知ってる人が踊ってるなら気軽に見に行きたかったなあという後悔。いや、あのときはじゅり馬の奉納の前に声かけてもらってたけど、用事で行けなかったのか? 思い出せないが、とにかくあの姉さん、いつもシャキシャキしていて教えてくれることもわかりやすくてかっこよかった。
今年はじゅり馬まつりが大々的に開催。パレードも復活。そしてなんと私のようなナイチャーが覗けるYouTube配信もあるということで、YouTubeから拝見。
もっとも仰天したのは、「一般公募」でじゅり馬を踊る女性が集められたということ。つまり、みずから「踊りたい」と申し出た女性たちが、かつて辻に住むしかなかった女性たちに成り代わり、過去の彼女らから受け継いだ踊りを同じ場所で踊るということ。
辻には身売りされた女性が多かったことを考えると、なんともいえない気持ちになる。決して私は否定しているのではなく、この方法で文化を受け継ぐ試みに、とても好感を抱いた。辻に住み男性に接待・サービスすることを「強制された」であろう彼女たちの精神を解きほぐす方法があるとすれば、そこは、確かに「みずからすすんで受け取る」ことを望む彼女たちにしか、解けないのではないだろうか。
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